映像は、昭和19(1944)年9月3日のものだと思われます。この日は日本がインドネシアの独立容認を発表した日です。(映像に出てくる日付は皇紀2604年9月となっています。) タイトルは1945年となっていますが、多分、皇紀2604年の意味が理解できなかったものだと思います。 |
ヘンリー・S・ストークス「日本人は日本を見直そう」 2.あの戦争
一題をご紹介したい。
「強調文字や改行や図・写真」は私が編集したが、
本文はあくまでも著者・ストークス氏の意見である。
本文はあくまでも著者・ストークス氏の意見である。
以下、引用はじめ。
「侵略が悪いことなら、世界史で、アジア、アフリカ、オーストラリア、北米、南米を侵略してきたのは、西洋諸国だ。しかし、今日まで、西洋諸国がそうした侵略を謝罪したことはない。どうして日本だけが欧米の植民地を侵略したことを、謝罪しなければならないのか」。
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欧米に不都合な「大東亜戦争」史観
ヨーロッパの植民地だったところを塗りつぶすとこうなる
>馬鹿でも日本が侵略したとは思えない。
いやあ・・・、その馬鹿が、戦後日本でずいぶん幅をきかせていたんですよネ。
戦前の東南アジア
1942年の日本の占領地域
今年(2013年)は、大東亜会議70周年にあたる。この会議の意義は、第七章でも述べたとおりだ。
欧米では大東亜会議を、日本の“占領下”にあったアジアの「傀儡(パペット)」が集まったと決めつけている。だが、東京に日本が戦ったことによって、その後西洋から解放された有色人種の国々のリーダーが一堂に集まったというのは、歴史の事実だ。
チャンドラ・ボースの演説
大東亜結集国民大会(日比谷公園)→
本記事、一番下の動画に映像あり。
インドがオブザーバーとして参加した。まだインドは独立しておらず、チャンドラ・ボースが、完全独立を目指す自由インド仮政府首班として参加した。マレーや、インドネシアは日本が占領していたが、まだ独立はしていなかったので、参加できなかった。インドネシアは1945年9月に、独立することになっていた。
「アジアを侵略した」とされる日本に、そうした国々の指導者が集まった。日本が戦った目的に呼応しなかったとすれば、そのようなことは起きなかった。
アジア諸国の欧米による植民地支配からの独立は、日本によって初めて可能となった。これは厳粛な事実だ。日本はアメリカによって不当な圧迫をこうむって、やむをえず対米戦争を戦ったが、アジア解放の理想を掲げた。明治維新は欧米の帝国主義によって、日本が植民地化しないために行われたが、アジアの開放はその延長だった。
はじめ欧米諸国は何が起こっているのかわからなかった。
しかし、アジアの諸民族が自ら独立のために戦う決意をし、立ち上がったということが、明らかになってきた。
日本がアジアに進攻することがなかったなら、アジアはいまでも植民地のままだったろう。アメリカで黒人が大統領になるどころか、いまでも黒人たちが惨めな地位にあえいでいたことだろう。
戦場は太平洋ばかりではなかった。日本が解放を目指した欧米の植民地はアジア全体に広がっていた。
どうして「太平洋戦争」なのか。
だから、日本は「太平洋戦争」と呼ばなかった。
日本が戦争を戦った真実を把握するには、「大アジア」を戦場として、アジア諸民族を搾取する植民地支配者であった欧米諸国と戦い、アジアを解放した「大東亜戦争史観」をもって見る必要がある。
アジアを蹂躙(じゅうりん)し、植民地支配をした
決定的にまずい。日本が「太平洋戦争」を戦ったことにしておきたいのだ。
アジア独立に日本が果たした貢献を知られると、欧米の悪行があからさまになってしまうからだ。見せかけの正義が、崩壊してしまう。「大東亜戦争」という観点を持ち出されると、欧米の戦争の大義が崩壊し、実はアジアを侵略したのは欧米諸国であったことが、白日の下にされされてしまう。
日本の立場が海外で理解されないのは、日本が効果的な発信をしていないからだ。日本の主張が、英語で発信されてこなかったことが大きい。そのかわりに、村山首相談話のような謝罪が行われてきた。これではまったく逆効果だった。
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引用、おわり。
注記:この本の英文原稿が、アメリカで出版されることになった(2016/11/9 追記)。
私のコメント
あらゆる国が自国の利益を第一にしている。「自存自衛」のために戦う
のが戦争の第一目的であって不思議はない。
さりとて他方、日本が「アジア解放」という戦争目的を心に秘め、一部にそう公言して戦ったことも紛れもない事実なのだ。
そこには当然、二重性がある。
戦後の日本人がおかしくなったのは、この意識の二重性を失ってしまったことである(西尾幹二)。
これは戦後の日本の指導層がアメリカの傀儡で、長年にわたって国民を洗脳してきたからである。
アメリカ人の口まねをするのは知っているが、話にならない。
話をソコに向けさせないためのズル賢い煙幕プロパガンダだ。
なるほど、「戦勝国としても、反論は困難だったのかぁ・・」と納得した。
GHQは、検閲指針によって「思想の自由」を弾圧した。
われわれに気づかせずに・・。
「検閲」は占領憲法でさえ違反だ。
戦後日本に「大東亜共栄圏の宣伝」を禁じたのは、
「反論すると欧米の悪事が露呈するので、
話題にさせずに日本人の国民的意識から消し去るのをねらった」
と気づいた。
敗戦後間もない大阪で、ある復員兵が黒人兵たちに取り囲まれて逃げ場を失った。復員兵は、「殺される」と覚悟した。すると、リーダーらしい黒人兵が進み出てこう言ったという。
「俺たちの代わりに真珠湾で暴れてくれて、ありがとうよ。
本当は、俺たちがやらなきゃならなかったんだ。」
米国黒人の公民権獲得運動は、戦後の1960年代の話である。
白人支配の世界観におもねる卑怯者である。
それにしても、国連の「日本たたき」はどこから来るのか?
日本を悪者にしておかないと、
連合国(国連)の悪事がバレてしまうからだ(馬渕睦夫)。
この動画は、ここで見られる。
この本は、こちらにもう少し詳しく載せています。