日本共産党と憲法九条
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成28年(2016) 8月12日(金曜日)弐 通算第4990号の「読者の声」から、表題の論評を紹介いたします。
ことで、「自分が平和主義になったら、アカンやないか。負けるで・・」ですかな?
先般行われた参議院選挙において日本共産党は憲法九条を守ることをその選挙スローガンの前面に押し出していたし、その後の東京都知事選においてもやはり憲法問題を争点にあげて、 小池百合子=改憲・軍備強化派、 鳥越俊太郎=平和・護憲派 という対立軸を煽ったが結果は惨敗であった。 では日本共産党は最初から憲法擁護政党であったのだろうか。以下は昭和21年日本国憲法を審議する衆議院において共産党代議士の野坂参三が行った演説の骨子である。 「われわれは民族の独立をあくまでも維持しなければならない。日本共産党は一切を犠牲にして、わが民族の独立と繁栄のために奮闘する決意をもっているのであります。要するに当憲法第二章(第九条)は、わが国が自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえにわが党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならないのであります。」 今から見ると極めて真っ当な内容であり、 実は日本共産党のみが新憲法制定に反対票を投じたのである。 戦後の共産党は米占領軍=GHQを「解放軍」と規定していたが、やがて米ソ対立が深まるにつれて本家のソ連から平和革命路線を批判されるようになった。 昭和25年初頭にコミンフォルム(1943年に解散したコミンテルンの後継組織、国際共産党情報局)から名指しで批判された共産党は、対応をめぐって所感派と国際派に分裂し、 やがて同年6月に朝鮮戦争が始まると一部は軍事闘争に突入した。 当時の軍事委員長が志田重男であり、武装闘争を展開し、中核自衛隊や山村工作隊が組織され、火炎瓶闘争も行われたが、労働者大衆の支持を得ることは出来ず、 結局昭和30年の六全協において極左冒険主義として批判され、以降共産党は宮本顕治の指導下合法路線を歩むこととなる。但し、武力革命方針が放棄されたのではなく、革命の形態は「敵の出方」によるとの「敵の出方」論をいまだに堅持している。 また共産党は戦前昭和7年(1932年)のコミンテルン・テーゼ以来講座派史観に基づく二段階革命方針を掲げている。 すなわち当時のブルジョア民主主義革命から社会主義革命への強行転化へ、 という方針が、 戦後は民族民主革命から社会主義革命へ、 そして現在の民主連合政府樹立から社会主義革命へ というように表現は変わってきていても本質において変わっていない、と捉えるべきである。 では共産党が思想的立脚点としているマルクス・レーニン主義(現在共産党はこれを科学的社会主義と言い変えているが実質は同じである。)では 憲法九条の非武装主義をどう理論づけているのだろうか。 共産党機関紙「赤旗」には平和・非武装主義の理論的裏付けにマルクスやエンゲルスを引用する論文も散見されるが、これは全くの誤りである。 結論からいうとマルクスやエンゲルスは軍事というものとその役割を極めて正確に捉え、重要視していたのである。 1870年から1871年にかけて戦われた普仏戦争は、クラウゼヴィッツの忠実な使徒である参謀総長モルトケの指揮するプロイセン軍が、フランス軍を完膚なきまでに打ち破った戦争であったが、 社会主義者でありながらもそのクラウゼヴィッツの『戦争論』を極めて高く評価していたのがマルクスであり、とくにエンゲルスであった。 終生マルクスの良き理解者であり、経済的な庇護者でもあったフリードリヒ・エンゲルスは社会主義者であるとともに軍事問題研究家でもあり,しばしばすぐれた軍事評論を発表していた。 ナポレオン戦争の経験から戦略論・戦術論を体系化したクラウゼヴィッツの死後その夫人によって刊行されたのが名著『戦争論』(1832年)であるが、 マルクスやエンゲルスもこれを高く評価した。 そしてそれは後にロシア革命の指導者となったレーニンやトロツキーにも引き継がれたのである。 エンゲルスはその軍事論において、資本主義ブルジョア国家における軍隊や徴兵制の価値を認めた。たとえブルジョア国家においてであるにせよ、近代的軍隊は進歩的な存在であり、労働者階級もその軍隊に入隊して、軍隊的規律を身に着けることは将来のプロレタリアートとしての階級的規律の練磨に大いに役立つであろうし、近代的兵器の扱いに習熟することも労働者階級の軍隊設立に大事なことであると主張したのである。 レーニンやトロツキーにとってクラウゼヴィッツが魅力的であったのは有名な『戦争論』における 「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」というテーゼにおいてであろう。 ロシア革命において赤軍を創設したトロツキーにとって、トハチェフスキーなど帝政ロシア軍出身の有能な将校は赤軍の貴重な人的資源となった。 精強な軍隊を建設するには、イデオロギーよりも軍事的素養と能力が重視されたのである。 しかしやがてスターリンが権力を握ると既に国外に亡命していたトロツキーはメキシコで刺客により暗殺されたし、トハチェフスキーをはじめ夥しい数の赤軍の将官、将校が粛清されたのである。 第二次世界大戦後に成立したドイツ民主共和国(東ドイツ)は1990年の終焉までソ連の庇護の下強力な軍隊=東ドイツ人民軍を保持したが、その人民軍士官学校の名称が「フリードリヒ・エンゲルス軍事大学」であったのは興味深い。 旧ソ連や旧社会主義国家においてエンゲルスは平和主義者ではなくてプロレタリアートが保有する軍事力の理論的イデオローグであったのである。 今の日本共産党や日本の平和主義者達はどれだけこうした歴史的事実を知っているのであろうか。 現在のロシア連邦軍は、軍事的ドクトリンにおいて旧ソ連軍を継承するものであるし、 中国人民解放軍も創始者の毛沢東の軍事論とともにクラウゼヴィッツの正統派軍事論を基礎としている。 だから現在の南シナ海における中国の軍事的膨張政策や尖閣諸島に対する軍艦、公船、漁船(と称する海上民兵)が一体となった圧迫攻勢も、硬軟両様を使い分け、常に敵の弱点を突いてくる伝統的戦略の発揮と理解すべきであろう。 結局、日本共産党にとって平和憲法とその象徴である憲法九条を守ること、 そして日米安保体制を批判することは、日本を武力的に弱体化させ、 日米安保体制の抑止力を低下させることにつながり、 やがて彼らが目標とする民主連合政府の樹立にとっての環境づくりに資する所が大であるからである。 共産党が政権獲得の暁には、人民労働者による日本人民軍を設立するというのであれば、筋が通っているが、結局共産党も政権獲得の展望を持ちえず、 当面は野党統一戦線と非武装中立を掲げるしかないのであろう。 従来共産党をスターリニストと非難攻撃してきた中核派や革マル派などの極左勢力も、 昨今は「安倍内閣による改憲攻撃を許すな」とか「憲法九条を守れ」などと全く同じ主張をしており、 結局のところ国民、労働者大衆から見放された左翼勢力が最後に行き着くところが、 彼らのいう米帝国主義が日本に押し付けた占領憲法を守ることしかない、 というのは歴史の何という皮肉であろうか。 また泉下のマルクスやエンゲルスがこれをどのように論評するのかも興味深い。 おそらくマルクスやエンゲルスは「日本の平和主義者達よ、まず我々の著作、とくに軍事論をよく読みたまえ」というに違いない。 (多田彰矢 国防問題研究会会員)
つまり、「平和主義でもなんでもいいから、敵の軍事力を弱め、味方の軍事力を強めよ」と言うことですなぁ・・。
「軍国主義」は敵方への非難であり、味方への賛辞である。「つべこべ言うなら、戦争でカタをつけてしまえ」ということで、「自分が平和主義になったら、アカンやないか。負けるで・・」ですかな?
貴誌前号投書欄ですが、最近、日本共産党は「暴力革命を放棄していない」「その本質は変わらない」式の標題の批判を散見する。小生はそれらを読んでいないのだが(いずれ読むつもりではある)、日本共産党に暴力革命をやる意志も力もない、つまり、かなり的外れの批判なのではないか、と予想している。 そもそも彼らには、暴力的にせよ平和的にせよ革命的精神や気力はとっくに失せている。たんなる臆病者・反日主義もしくはそれへの追随者とみるべきなのだ。 貴誌第4990号(読者の声2)多田彰矢氏の論考は、小生の考え方を裏付けてくれるものであり、一服の清涼剤であった。多田様、ありがとう。 (等々力孝一)
読者の声欄の貴コメントを拝読しました。日本共産党に対する私見にご賛同いただき恐縮です。等々力様がいわれるように、共産党はもはや革命政党ではありません。確かに「敵の出方論」は堅持していますが、むしろユーロ・コミュニズムに近い立場と思います。 平和、憲法擁護などを叫んでいればそれなりの票数と議席が確保できますから、激減した小さな「左翼市場」で行き場のない少数者を取り込むこと自体が自己目的をなっています。もちろん真面目に社会主義革命を夢見る左翼原理主義者もいるので、科学的社会主義(=マルクス・レーニン主義)の旗はおろさないでしょう。 野党統一戦線も、今や滅亡寸前の社民党や民進党内部の旧左翼の連中を取り組むための戦術であり、これにまんまと乗った他の野党はいまや滅亡に向かってひた走っているのです。そういう意味では「反帝国主義反スターリン主義」を唱えてきた極左集団も同じ道を辿っているのは皮肉なことです。 結局旧ソ連圏が崩壊したときに、マルクス・レーニン主義についての何の総括も出来なかったことが原因です。共産党も極左勢力も労働者大衆とは無縁の存在なのです。 (多田彰矢)
貴誌4993号「読者の声」欄で多田彰矢氏が「等々力様がいわれるように、共産党はもはや革命政党ではありません。確かに『敵の出方論』は堅持していますが、むしろユーロ・コミュニズムに近い立場と思います」とかかれています。 日本共産党は大正11年(西暦1922年)に共産主義インターナショナル日本支部として創設されました。私は日本共産党が共産主義インターナショナル日本支部から日本共産党に自身を変革したと発表したことを聞いたことも読んだこともありません。 ということは日本共産党はいまだに共産主義インターナショナル日本支部なのかそれともある時に変革したが発表しなかったのか、なんとなくいつともなく変革したのかのいずれかです。 もし、ある時をもって変革したのなら、どう変革したのか、なぜ変革したのかと変革前の共産主義インターナショナル日本支部にたいする批判があってしかるべきです。この質問に答えるのが、日本共産党の一番の義務と考えます。 もし、答えをご存知ならご教示願います。 万一、こんなことにも答えられないなら、日本共産党は公党として存在する価値はありません。もっとも、日本には綱領のない政党すら存在しているので、日本共産党は「なんとなく公党」なのかもしれません。 (ST生、千葉)
貴誌前号「読者の声」の「千葉ST生」様へ。 まず日本共産党は公党ではありません。あくまで私党です。おそらく今の党員諸君は上層幹部を除いて共産党の歴史は何も知らないでしょう。 コミンテルン日本支部として創設されたこと、 党の目的が労働者の祖国ソ連を守ることであったこと、 天皇制打倒を掲げたことによって多くの労働者大衆が離脱したこと、 戦後においては占領軍を解放軍と規定したこと、 日本国憲法の制定に際してこれに反対したこと、 昭和28年にスターリンが死去したときに盛大な追悼行事を行ったこと、 昭和31年のハンガリー動乱についてソ連の軍事制圧を支持したこと、 昭和39年の部分的各実験停止条約に国会で唯一反対したこと、 昭和30年代後半から40年代初めまで機関紙「赤旗」は毛沢東と金日成の賛美記事で埋め尽くされていたこと など、今の日共党史には一切出てきません。 だから共産党員諸君は軍国主義と戦争に反対し、戦後は平和と民主主義のために奮闘したという公式党史しか教えられていません。 日本国憲法に反対した野坂参三は百歳になってソ連のスパイであったことを理由に除名されましたし、中国に逃亡した徳田球一は家父長的権威主義指導者として批判されました。 火炎瓶闘争など軍事革命路線を指導した志田重男は左翼冒険主義者として弾劾され、その他袴田里見も党規律違反で除名されました。獄中18年の志賀義雄や作家の中野重治はソ連派として除名。戦前から命脈を保ったのは宮本顕治だけです。 宮本の愛弟子である不破哲三や志位和夫は正にスターリニスト官僚。自主独立の党という、うそで固められた党史を掲げる共産党には公党としての資格はありません。 (武蔵国住人)
おまけ |
日本共産党の実情
出典: https://www.youtube.com/watch?v=DDUezZblHPY私も恥ずかしながら、日本共産党という所にね、単なる党員じゃないんですよ、私は。中央委員会 の職員としてですね、20年ぐらい働いてきた人間です。国会議員の秘書もやってきました。 筆坂秀世という参議員議員、あの追放された議員ですね、あの人の公設秘書だったんですよ。 私は本当にね、政党の裏ってものをずっと見てまいりました。政党ってのはね、「生活手段」になっちゃってんだよ、今。 共産党で考えてもね、皆さん、職員て何人いるか知っていますか? 3000人いるんですよ。 議員が数人しかいない党がね、3000人も党の職員がいるから、みんな食わなきゃなんないのだからね、いろんなことを言ってですね、「赤旗」を取ってもらったりね、国会議員の歳費をちょっと チョロマカして、国会の秘書の歳費をチョロマカしたりしてね、なんとかね、やって、建物だけは デカイのでやってんですよ。でもね、そんなものが国民のためになるんですか? だから本当にね、「政党の政治」ってのは限界になったってのは、 今回の都知事選ほどはっきりしたものはない(1:25~2:27)。 日本共産党ってのは、そんなとこへ入っちゃうと出世できないんですよ。就職もできないし。 そうすると後がないから、一生懸命 党を維持しようとするんです。でも追い出されてみて、 私は何をしても生きて行かなければならないから、そういうブラックに近いジャーナリストも やったし、今はね、しがないハウス・クリーニング業者です(15:27~)。 2016年都知事選候補・山口敏夫の応援演説にて 元・日本共産党 篠原常一郎
1: 2016/07/10(日) 23:10:19.01 ID:0+0UKQ2x0● BE:614796825-PLT(17667) ポイント特典
不破さんの私邸は、小学校が入るぐらいの敷地面積で豪邸じゃん
不破哲三(ふわ てつぞう、1930年1月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党前中央委員会議長。元衆議院議員。現在、党中央委員会常任幹部会委員で、党付属社会科学研究所所長。
67: 2016/07/10(日) 23:31:21.91 ID:E+wg7q5w0
>>1
これ選挙前に流せば共産党の票が激減したろうな
206: 2016/07/11(月) 01:52:27.65 ID:9bHNk1a60
>>176
41: 2016/07/10(日) 23:25:28.72 id:ExpbWoZF0
こんな家に住めるなら専従職員の給料なんとかしてやれよ
不破さんの私邸は、小学校が入るぐらいの敷地面積で豪邸じゃん
不破哲三(ふわ てつぞう、1930年1月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党前中央委員会議長。元衆議院議員。現在、党中央委員会常任幹部会委員で、党付属社会科学研究所所長。
67: 2016/07/10(日) 23:31:21.91 ID:E+wg7q5w0
>>1
これ選挙前に流せば共産党の票が激減したろうな
206: 2016/07/11(月) 01:52:27.65 ID:9bHNk1a60
>>176
アースで見ると、家屋は3棟あるみたいっすね・・・
41: 2016/07/10(日) 23:25:28.72 id:ExpbWoZF0
こんな家に住めるなら専従職員の給料なんとかしてやれよ
135: 2016/07/11(月) 00:02:02.33 ID:4BNDmRr/0
ドン引きだわ・・・どういうことだよこれは
ドン引きだわ・・・どういうことだよこれは
353: 2016/07/11(月) 10:57:56.93 id:zcSQE4jq0
資本家を叩いてる連中なんてこんなモンだよ
自分の資産は自分のモノ
自分以外の金持ちは資産を吐き出して貧民に分け与えよ、ってね
資本家を叩いてる連中なんてこんなモンだよ
自分の資産は自分のモノ
自分以外の金持ちは資産を吐き出して貧民に分け与えよ、ってね
123: 2016/07/10(日) 23:55:32.31 ID:X+U3Un7i0
選挙期間中には明らかにならなかったwww
選挙期間中には明らかにならなかったwww
シナ人は「力の信奉者」である。相手が弱ければ強く出て、強い相手であれば友好を演出して時を待つ。弱みを見せるとかさにかかって力ずくのゴリ押しに出る。これが支那の本性である。 |
「日本の戦後」が育てたごくつぶし |
拉致被害者、石岡亨さんから有本恵子さん家族に手紙が届く
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有本さんらが土井事務所に相談
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土井たか子が手紙の件を北朝鮮に連絡
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拉致被害者大ピンチ ↓
北朝鮮「石岡亨さん・有本恵子さんらは死亡。死亡日は手紙到着の2ヶ月後」
この人、北朝鮮のスパイでしょ。 |
よくこんなのを衆議院議長にしたもんだ。 |