通州事件

2016.10.6生放送『やらまいか』#19
 通州事件〜中国人の残虐性を知れ〜    

出演者

 ゲスト:藤岡信勝拓殖大学客員教授
     阿羅健一(近現代史研究家)

VTRゲスト:

          加藤康男(ノンフィク出演者ション作家)

            『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』(飛鳥新社)著者

            10/6発売→ https://www.amazon.co.jp/dp/4864105146/

レギュラー:
堤 堯(ジャーナリスト・元文藝春秋編集長)
志方俊之軍事アナリスト
福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授)
日下公人(評論家・日本財団特別顧問)
塩見和子(日本音楽財団会長)

アシスタント:高松香織(DHCシアター)


こういう動画は、下のようにすぐに見られなくなる。
現在では、ニコニコ動画で見られる。




 日清戦争以来、シナ軍に捉えられた捕虜はなぶり殺しにされ遺体をさらされるなど、ただ死ぬよりずっと辛い結末が待っていた。
イメージ 1
 この刑は清朝時代に行われていた処刑方法で、站籠(たんろう)あるいは立枷(たてかせ)と呼ばれていた。この方法は首枷(くびかせ)の変種で、中国の処刑の一種である。「図説中国酷刑史」(徳間書店刊)より。 この写真は1905(明治38)年に絵葉書として街中で売られており、横浜宛てに送られていたものもある。ただし、この写真の処刑された者はシナの罪人で、日本兵ではない。
  2007年のニュースによれば、中国ハルピンのサファリパークでは、生きた牛をトラの餌にするところをバスの中から見物することが家族連れのレジャーとして人気がある様子が報じられている。
次のURLでこの動画を見ることができる。公開処刑をレジャーとして見物する気風が、こんな形で残っているのである。
 シナでは現在でも公開処刑をレジャーとして楽しむ気風がある。西尾幹二氏はこれを「ヨーロッパ世と同じだ。『大陸はまだ中世にある』のではないのか?」と述べている。

       第二次上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑

 非人間的な仕打ちを受けて死ぬくらいなら潔く自決した方が良いと警告したのが
戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」だった。
このように、通州事件に類するシナ人の残虐さは、戦前・戦中までは日本人に広く知られていた。
ところが、戦後はまったく言われなくなった。
なぜなのか?

それは、GHQの検閲指針があったからなのだ。
検閲指針」は、以下を禁じている。
(4)検閲制度への言及
(5)合衆国に対する批判
(6)ロシアに対する批判
(7)英国に対する批判
(8)朝鮮人に対する批判
(9)中国に対する批判
(10)他の連合国に対する批判
(11)連合国一般に対する批判
(12)満州における日本人取り扱いについての批判
(13)連合国の戦前の政策に対する批判
昭和27(1952)年SF講和条約が発効して日本が独立し、占領軍が去っても、教育界やマスコミは保身による自己規制で「検閲指針」に従い続けた。
なぜなのか?

「検閲指針」に従っていれば、戦後の東京裁判史観(日本悪玉論)に抵触しないでうまく保身をはかることができたからである。これは、アメリカの圧力と言うよりは、朝日やNHKが主導して日本人がやって来たことなのである。

 昭和27(1952)年に、国内外で戦犯として収監されている者を即時に釈放すべしという国民運動が発生し、4千万人の日本国民の署名が集まった。そしてA級戦犯の「名誉の回復」については、昭和28(1953)年、国会決議で回復された。
つまり、「日本国内では、法的に『戦犯』はいなくなった」のである。

昭和天皇の「墓参り」(昭和54年)
 ところが、マスコミ・教育界の日本悪玉論がジワジワと日本を侵食し、昭和末から平成になると、「一番悪いヤツ」の意味でA級戦犯が使われるようになった。私はテレビ討論で、自民党の国会議員がこういう使い方をしているのを見たことがある。

 なぜ、日本人が「日本悪玉論」を推進したのか?

それは、敗戦で日本の指導層にのし上がった敗戦利得者が、「戦前の日本を悪く言わなければ、自分の立場を失うことになる」からであった。
                             東京裁判とニュルンベルク裁判(1)

通州事件に類するシナ人の残虐さに言及すると、日本悪玉論が成立せず、指導層の多くがタナボタで得た立場の正当性を失うからであった。

通州事件の関連記事

以下の出典:「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成28年(2016)10月18日(火曜日) 通算第5063号 http://melma.com/backnumber_45206_6435566/
(読者の声4)『ユネスコ記憶遺産に登録申請した「通州事件」から』。
その6、「通州事件」遭難生存者(4人)の証言。
その(3)通州惨劇とその前後 東京日日新聞 橘善守。
 遭難生存者の証言その3は、東京日日新聞天津支局詰めだった、橘善守記者の現地レポートです。
 橘記者は、天津で28日に不穏な空気、保安隊反乱の情報を受けていましたが、29日午前2時ころには、天津日本租界中央部に迫撃砲弾が落下。車で司令部に向かい夜明けをむかえて、保安隊が29軍の指揮の下、天津、通州、塘沽その他で一斉に反乱起こしたことを知ります。
 この現地レポートは、昭和13年7月号の『文芸春秋』に掲載されたものを『昭和史研究会報』第101号』(平成17年9月10日)に再録されたものです。
  日本語原文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Tachibana.pdf
  英訳文:URL: http://www.sdh-fact.com/essay-article/845/
PDF:
http://www.sdh-fact.com/CL/Testimonial-record-of-suvivors-Tachibana-Moriyoshi.pdf
海外には英語文で発信しました。
   (「史実を世界に発信する会」会長代行 茂木弘道


東京裁判史観の批判や、GHQのWGIP(日本人に戦争に対する罪悪感を植え付ける宣伝計画)を扱った動画は、すぐに見られなくなることがあります。
①「靖国神社
②「GHQは何をした?」
を扱った#71だけが非公開にされています。

ニュース女子#71の動画は、
こちらの記事の一番下のURLで見ることができます。
日本のマスコミが保存・公開をビビる重要番組は、
一般に外国に保存されるようです。