映画 「羅生門」

羅生門(1950年)の主な出演者

多襄丸(三船敏郎)、金沢武弘(森雅之)、真砂(京マチ子)、杣売り(志村喬)、
旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎)、巫女(本間文子)、放免(加東大介


二度目は、多襄丸(三船敏郎)の証言(37:20)のあと、
杣売り(志村喬)の証言(1:01:11~1:18:46)に飛んで下さい。
真砂(京マチ子)の証言と金沢武弘(森雅之)の証言を後回しにするのです。

> そうすれば、この映画が夫婦間の愛の問題を扱った、男と女の物語だという
丑四五郎説が、まんざら嘘でないことを解っていただけると思います。



ウィキからの引用で、この映画を簡単に解説しておきます。
日本では公開時は不評だったが、海外では高く評価され、ヴェネツィア国際映画祭でグランプリにあたる金獅子賞を受賞した。日本映画として初めて海外映画祭でグランプリに輝き、世界における日本映画の評価が高まるきっかけとなった。

羅生門』のグランプリ受賞は、当時まだ米軍占領下にあり、国際的な自信を全く失っていた(敗戦直後の)日本人に、古橋廣之進競泳で世界最高記録を樹立したことと、湯川秀樹ノーベル物理学賞を受賞したことと共に、現代では想像も出来ぬ程の希望と光明を与えた。この受賞により黒澤明監督と日本映画は世界で評価されていき、日本映画も黄金期へと入っていった。

黒澤明は、作品が映画祭に送られたこと自体も知らず、受賞のことは妻の報告で初めて知ったという。後に開かれた受賞祝賀会で黒澤は次の発言をしている。
日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった。その日本映画を外国に出してくれたのは外国人だった。これは反省する必要はないか。浮世絵だって外国へ出るまではほとんど市井の絵にすぎなかったよね。我々は、自分にしろ自分のものにしろ、すべて卑下して考えすぎるところがあるんじゃないかな? 『羅生門』も僕はそう立派な作品だとは思っていません。だけど、「あれは まぐれ当たりだ」なんて言われると、どうしてすぐそう卑屈な考え方をしなきゃならないんだって気がするね。どうして、日本人は自分たちのことや作ったものに自信を持つことをやめてしまったんだろう。なぜ、自分たちの映画を擁護しようとしないのかな? 何を心配してるのかなって、思うんだよ。[10]

サイパンさんのコメント
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映画「羅生門」は芥川龍之介の名著「藪の中」を原作にしているのに、どうしてタイトルが羅生門なのでしょうね。芥川の 同名のほうはぜんぜん映画とは関係のない内容ゆえに。 削除
2017/5/3(水) 午前 4:07 彩帆好男 返信する

 私のコメント
サイパンさんへの返事は、下記コメント欄に書きました。まあ、しかし、私のコメントは、返事としてはどうも足りないような気がします。

黒澤明が「藪の中」の脚本を次回作に選んだ時、当然のことに同じ今昔物語から採った「王朝物」の「羅生門」も頭に浮かんだと思います。しかし、「羅生門」では、ストーリーにふくらみがない。そこで、「羅生門」の登場人物の下人をこの映画に連れてきて語らせた。
「人間不信など当たり前のことで、そうでなければ弱肉強食の人の世に生きて行けない」と。下人にもはや迷いはなく、ふてぶてしいまでに主役面している。これに対して力不足は旅法師です。唯一の知識人で求道者なのだから、絶体絶命の危機感と苦悩をもう少し演じてもよかった。
下人の登場で、舞台背景は羅生門になる訳です。
黒澤明にとって、羅生門を舞台にするのは、必然だったはずです。なぜなら

落雷や風雨で倒壊しかけた羅生門こそ、戦災跡も生々しく国土が荒れたまま、社会もすさんだ敗戦国・日本の姿そのものだったからです。

この現実を受け入れた上で、「後の世代を信じて、希望を持って生きようではないか」と呼びかけたかったのでしょうが、当時の日本人には伝わらなかったらしい。
この願いが日本国民全体に伝わり、社会現象にまでなったのは、昭和天皇の全国巡幸を待たねばならなかったのです。