カナリアの忘れた歌

忘れ去られた大東亜戦争の時代精神 より、一部を編集して信時潔の作品を紹介します。

都留文科大学新保祐司先生は、9月24日の産経「正論」で、先の大戦を忘れたふりした代償」として、今の中韓による「歴史戦」で相手の攻勢を許してしまっている、と述べています。大東亜戦争とは何だったかを根本問題として問い直そうというのです。

 先生の専門である文化史で見ると、戦前の昭和とは、明治維新以来の蓄積を経て、日本人の精神が多様で豊穣な精神を示した時代である、昭和15年の「紀元二千六百年」の前後には、日本の文学、絵画、音楽などの文化は、近代以降のピークを迎えていたと言います。文学では島崎藤村の「夜明け前」、川端康成の「雪国」、小林秀雄の「無情と言うこと」、保田(やすだ)輿重郎の「万葉集の精神」、美術では梅原龍三郎安井曾太郎、音楽では信時潔山田耕筰等々が活躍していました。

 しかし音楽では信時潔は忘れ去られました。その傑作は「やすくにの」であり、「鎮魂頌」であり、交声曲(カンタータ)「海道東征」とのことです。「海ゆかば」もそうです。

 「やすくにの」は、シナ事変で部隊長が若くして戦死した部下に捧げた和歌に曲をつけたものですが、同時に靖国に祀られた全英霊と全母性に捧げられたもので、当時ラジオ歌謡として国民に愛唱されたとのことです。信時潔は、長い作曲生活を通じて、最も感銘深い曲と自ら言っています。しかし今は聴くことは出来ません。

      「靖国の 宮に御霊は 鎮まるも をりをり帰れ 母の夢路に」


 「鎮魂頌」は、国文学者折口信夫が縁者の戦死の報に接して作詞したもので、戦後日本人が忘れてはならない戦没者への感謝と祈りが込められたものとのことです。
  http://gunka.sakura.ne.jp/nihon/chinkon.htm
  https://www.youtube.com/watch?v=4f4eezf7J-s
                 「鎮魂頌」           
               思ひみる人の はるけさ
               海の波 高くあがりて
               たたなはる山も そそれり
               かそけくもなりにしかなや
               海山のはたてに 浄く
               天つ虹 橋立ちわたる

               現し世の数の苦しみ
               たたかひにますものあらめや
               あはれ其も 夢と過ぎつつ
               かそけくも なりにしかなや
               今し 君 安らぎたまふ
               とこしへの ゆたのいこひに

               あはれ そこよしや
               あはれ はれ さやけさや
               神生れたまへり
               この国を やす国なすと
               あはれ そこよしや
               神ここに生れたまへり


 交声曲「海道東征」は、紀元二千六百年の奉祝曲として、北原白秋作詞、信時潔作曲で作られた作品で、日本の国産み(くにうみ)を描く壮大な叙事詩として、日本書紀古事記の記述を基に書き上げた万葉調の格調高い詩に作曲をしたものです。紀元二千六百年の奉祝曲として、外国の著名な作曲家にも作曲の依頼がなされ、ドイツのリヒャルト・シュトラウスも応募しましたが、新保先生によると凡作とのことです。凡作でもドイツ人の祝典曲は日本で演奏されるのですが、日本人信時潔の傑作「海道東征」は演奏されない、戦後日本の自虐精神が、「海道東征」を忘却の彼方に追いやった現象がそこにあります。
  https://www.youtube.com/watch?v=oMWN7bRtznw


「海道東征」字幕つき全曲  https://www.youtube.com/watch?v=8UqGPJA0PHA
 しかし時代は少しずつ変わりつつあります。「海道東征」は、平成26年2月に、熊本で戦後二回目の演奏会があり、来年11月には、大阪での演奏会が企画されているとのことです。熊本から大阪へ、更に東京で演奏会が開かれれば、文字通り「東征」が達成される、戦後レジーム脱却の象徴となると、新保先生は期待してそう言います。

 「日本を取り戻す」・・・。戦後GHQの洗脳による呪縛を解く、日本には「広大な忘却の海」がある、その海底から忘却させられた記憶を取り戻す、大東亜戦争時代精神を振り返る、再評価する、詩人達の感性を理解する、日本人の精神を復活する、「愚民」であることから脱却する、・・・。戦後自虐日本の象徴であった朝日新聞の凋落は、そのよい機会になるでしょう。
                                                                                    以上
                                      (うまし太郎)  2014/10/01