【討論】 もし大東亜戦争の開戦が無かったら?

【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?[桜H30/8/11]  
 2018/08/11 に公開
パネリスト:
 岩田温(政治学者・大和大学政治経済学部専任講師)
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 小堀桂一郎東京大学名誉教授)
 髙山正之(コラムニスト)
 田中英道東北大学名誉教授)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
 林千勝(戦史研究家
 宮崎正弘(作家・評論家)
司会:水島総
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アメリカの庇護のもと、国際デビューする日本(アメリカはこう言っている。
遠くの塀の上から、清が見ている)。
 石原はアメリカの軍検事との会話の中でこう言った。「日本の犯した罪は相当深いが、一体何処までさかのぼるのか?」「日清、日露の戦争までさかのぼりたい」「どういうわけか?」満州事変の根源は日本の大陸侵攻の日清、日露戦争にあるからだ」「よし判った。そんなに歴史的にさかのぼるなら、ペルリを呼んでこい」「エッ、ペルリ?」「自国人のペルリを知らないのか」「それは、どういうわけか?」「我々は徳川幕府の昔から鎖国主義で満州も台湾も不要であったのに、貴国からペルリが黒船に乗ってやってきて大砲でおどかして門戸開放を迫り、日本を世界の荒浪の中に押し出し、自ら侵略のお手本を示した。こうなってくると、日本としても何とか生きる方法を考えなければならないから異国を大先生として、日本も泥棒の侵略を習い覚えたのだ。その元兇はペルリだ。ペルリをあの世から呼んできて戦犯としてはどうか」
芙蓉書房 「秘録 石原莞爾」 横山臣平著 33ページより

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                当時の清国・陸軍(事実上は李鴻章の私兵)


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1894-1895





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日清戦争で日本が勝ったことに驚く列強(左から、ロシア・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリア・イギリス)。
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                          下関条約

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「眠れる獅子」は「眠れるブタ」と判って乗り出す欧米列強。日本も同類と思っている。

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ドイツが描く三国干渉


                 ロシアを恐れるドイツ

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 三国干渉(仕掛け人は、露仏同盟の圧迫をそらしたいドイツ)
「臥薪嘗胆」は国民の合い言葉・・(戦後でも「子供向け読み物」に)


1894年7月の日清戦争に先立つこと半年の1月4日には、露仏同盟が締結された。ロシアとフランスが軍事同盟を結べば、挟み撃ちの危機に陥るのはドイツだ。
実際、この当時のロシアは、ドイツを攻める気でいた(ウィッテ)。
うろたえる独皇帝ヴィルヘルム二世にとって、日清戦争は朗報だった。東西に長く、欧州とアジアにまたがるロシアは、東西両端の国境で同時に戦争を起こすこと(二正面作戦)を極端に嫌う。ロシアの関心をアジア方面に向けることができれば、ドイツ・ロシア国境の当面の平穏は保障される。
ドイツは日本陸軍の師匠。
でも、押し合いへし合いの「ヨーロッパ半島」でもまれて、なかなかセコイのだ。
ヴィルヘルム二世は露仏に手を回して、日本に三国干渉を仕掛けてきた。こうすれば、露仏同盟も緩和される。
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清の譲歩を飲めと、ロシアの圧力(フランス戯画)。
三国干渉を機に、ロシアは李鴻章をワイロ漬けにし、事実上の満州の割譲を受け、鉄道を敷設、アジア進出を本格化させていった。
日本が三国干渉に屈したのを見て、得意の事大主義を発揮した李氏朝鮮がロシアに媚びへつらい、自ら国土に招き入れるような姿勢を示したことも、露皇帝ニコライ二世には幸いと見えた。
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ロシアにすり寄る  イメージ 50
       ロシアが
       清の後は朝鮮を食らう。
       日本はただ見てればよろ    
       しい(フランス戯画) 

やがて北清事変、龍岩浦事件を経て、日露国交断絶の時を迎える。

日露戦争に至る欧米列強の思惑とは?
日露戦争の原因となったロシアの朝鮮侵略をけしかけた国はどこの国か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-328.html

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1899年 泣きそうなドイツ

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 見えてきた大敵オソロシア(ドイツに東進をそそのかされてその気になったロシア)

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  ロシアとともに、日本と戦おう。水兵の戦い。

    コサックの朝飯

      ロシアから見た日露戦争前夜

    日本の皇帝と彼の邪悪な友人たち

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  マットの地図がオソマツ↑


イメージ 12←小さくとも痛い
「日本軍の旅順港閉塞作戦に損害を与えた」と言っている。

日本軍は、狭い旅順港の入り口に日本船を沈めて、港のロシア軍艦が
出港できなくさせようとしたが、失敗した。

ロシア語の和訳は、こちらにお世話になりました。





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           旅順港鳥瞰図と
   屍山血河(しざんけつが)の二〇三高地

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ドイツが描く旅順要塞攻防戦

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旅順港外で被弾するロシア鑑

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二〇三高地の攻防戦
                                      死者             負傷者
                     日本側           5,052名          11,884名 
                     ロシア側          5,308名         約12,000名  

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    旅順(りょじゅん)開城(かいじょう)約(やく)なりて・・
敵の将軍 ステッセル
乃木大将と会見の
所はいずこ 水師営(すいしえい)

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                 動員令(1904ー1905年)
「出征」に、身内だけがわかる万感の思いを今の我々に伝えている(名作だ!)。
家族との別れ






田舎の墓地へ行ってみよう。
「陸軍伍長」などと書いてあるひときわ立派な墓は、たいてい日清・日露の戦没者だ。

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敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス
本日天気清朗ナレドモ波高シ
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先頭は連合艦隊旗艦・戦艦三笠。後部マストが折れている。

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被弾炎上するバルチック艦隊旗艦・戦艦スワロフ。

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逃げるのはロシア艦隊、追うのは日本の魚雷艇、笑うのはミカド。

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日本が挑発し、支那が仲裁しているように描かれている。史実ではないだろう。

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旅順・対馬での敗戦をドイツになじられるロシア
「なんだ、そのザマは。俺が言った通りだろう」ですかね?自信なし(W
でも、ロシアが弱体化してドイツは一安心。ところが・・・・・

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         旅順港(Port Arthur)争奪戦

日清戦争     白人は「日本の戦争」を、
           「帝国主義による植民地争奪戦」としてしか
           見ていなかった。
           彼らが、そういう原理で生きていたからである。

三国干渉     「地政学的に日本の安全保障(国防)は、
           朝鮮・満洲の安定なしにはあり得ない」
           と初めて理解した白人は・・・、


           第二次世界大戦後になって、
           日本から朝鮮戦争を指揮した
           マッカーサーだった。
           彼は、日本にいて、日本を防衛する立場に
           立ったからである。
           
           「東京裁判の欺瞞」を誰よりも悟ったのは、
日露戦争     マッカーサー自身ではあるまいか? 

           それは、昭和26(1951)年の
           「マッカーサー証言」において明らかである。
           http://www.watanabe-shoichi.com/contents/mac.html

            
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                                         ロシアの威信喪失

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                      1907英仏露三国協商に蹴られるドイツ

1904年(明治37年)4月8日、日露戦争開戦の約二カ月後には、英仏協商が結ばれていた。さらに日露戦争の二年後、1907年には、日露協約まで成立してしまった。
日英同盟・英仏協商・露仏同盟・日露協約。
ここにおいて四カ国の協調関係は完成。ドイツは、この「四国協商」に「包囲」される格好になった。
 これが第一次世界大戦の導火線になって行くのだ。

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1914 第一次世界大戦

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成30年(2018年)8月11日(土曜日)弐 通巻第5787号より
読者の声2)
 弱り目の習近平と言います。反日を抑え込んで、日本にゴロニャンと、異様な態度で、擦り寄ってきています。
これこそ、またとないチャンスではないでしょうか。いまこそ安部首相は靖国神社に参拝してほしいものです。
                                                           (SE生、山梨)