アイヌは北海道の「先住民ではない」

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  縄文時代にも階級は存在し、集団儀礼が行われ、遠隔地と交易があった
  一万六千年前から日本は独自な文化・文明圏を形成していたのだ  ♪
関裕二『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(PHP新書)
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 三内丸山遺跡の発見は、日本の古代史に革命的衝撃をもたらし、教科書からも消えていた縄文時代を雄弁に復活させた。古代史の解釈が塗り変えられたのだ。もとより真面目な考古学者は三内丸山遺跡について私的な調査を続行してきており、縄文時代の実態を知っていたが、左翼全盛のメディアが意図的にスルーしてきたのだ。
 従来、日本の歴史学界の通説は、縄文時代を真面目に論じなかった。というより、マルクス主義に立脚する左翼学者が、その学問的浅薄さ、ドクマによる視野狭窄などによってまともな議論をしなかったのだ。
著者はこう言う。
唯物史観が史学界を席巻してしまった。物質や経済、生産力という視点で歴史を捉え、人間社会は段階的に発展し、最後は共産主義に行き着くという考えで、農耕を行っていなかった縄文時代に対し、負の歴史的評価を下している。生産力は低く、無階級で、無私財であり、停滞の時代と見なした」(26p)
本書はこのように次々と通説を批判し、考古学の新しい常識となりつつある歴史の変貌、つまり左翼の学説の間違いを同時に糺す営為が続く。
 評者(宮崎)はかねてから青森の当該遺跡を見学しようと思いながら、時間的に果たせず、宿題として残っていた。おととしの夏、三内丸山、亀岡遺跡などを含む青森、岩手、秋田の縄文遺跡六ケ所を回るという奇特なツアーに巡りあえ、参加した。行く先々で、縄文時代の空気に触れたような錯覚にとらわれた。
 弥生の文化には渡来人の影響がたしかに認められる。しかし縄文は日本独自の文化と文明を形成し、およそ一万六千年前から、狩猟と植物、とりわけ栗などを食したが、大きな集落を形成し、しかも弥生時代を豁然と区別する事実があった。
すなわち遺骨から採集されたDNA鑑定もさることながら、縄文人が戦争をした形跡がないことである。縄文は平和な時代だったばかりか、かなり遠隔地へ出かけ、翡翠、黒曜石などを入手している事実も判明している。
ところが、佐賀県吉野ヶ里遺跡に象徴される弥生式の集落からは、戦争で負傷した遺骨が夥しく発掘された。つまり戦争の傷跡が多数発見されており、また弥生時代は稲作が普及したことも考古学で確認された。
著者の関氏によれば、通説の縄文と弥生の境界線を峻別するのは短絡的であり、縄文後期には稲作をしていたことを力説される。
縄文時代に階級の差違が別けられていた事実もお墓の配置、副葬品、大きさなどから判明しており、また栗の料理法からも、夥しい器具の発明があったことなど、そして最も特徴的なのは『芸術』としての縄文土器の存在である。
「装飾的な縄文土器で。非実用的(宗教的、芸術的)な土器を作らせ手に入れることが出来る富者と貧者の差」があった。そのうえ「非実用的工芸が発達したのは、威信経済が存在したからで、しかも集団儀礼が発達したから」だという。(45−46p)
本書は平明な記述によって要点を押さえつつ、縄文の問題点をすべて一覧しており、有益である。◎◎◎
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成31年(2019年)2月17日(日曜日)通巻第5993号より

(読者の声1)貴誌5993号に書評のでた、関裕二氏の著書『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』。
興味をもって拝読させていただきました。古代史のお話を伺うといつもワクワクしてきます。
 そこで思い出すのは、今は亡き作家の林房雄氏の著書のことです。
 『神武天皇実在論』か『天皇の起源』だったかは、書物が手元に見当たらないため良く分かりませんが、林房雄氏はこの著書の中で、その内、一万年以上の遺物が出土、発見されるであろうとのことを強調されていたように記憶しています。
 若いときから古代史に興味を持っていた小生からすると、数千年前の時代のことで議論していた当時として、「一万年以上の遺物」については正直言って理解ができず林房雄氏の説には懐疑的な感想を持っていたものでした。その後、お亡くなりになられた後に次から次と遺物が発見され、今では縄文時代の一万六千年前に遡ることができるようになってきました。しかも縄文時代は平和で豊かな文化を持っていたとの説が出てきている今日でもあります。
 それにしても、今から思えば林房雄氏の先見の明は驚くばかです。
 宮崎さんが言われるように、当時は左翼史観に立脚した歴史認識で史学会が席捲されていた時代でありました。彼らの考えは日本の歴史が短ければ短いほど都合が良いのです。日本の歴史が長いと彼らは困るのです。
それは自分たちが主張してきたことが全否定されることに繋がるからです。それは取りも直さず「天皇の起源」、「天皇の存在」にも繋がり、上代天皇の存在を肯定せざるを得ない状況になってくると思われるからです。
 古代史は夢と浪漫があっていいですね。これからもきっと新しい発見が続くことでしょう。期待したいものです。
                                                            (鈴木秀寿)

 (宮崎正弘のコメント)林房雄の『神武天皇実在論』がでたときは、主要書店に幟が立ち、光文社あげての宣伝でした。のちに学研M文庫に収録され、いまでも古本屋ルートで入手が可能です。
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成31年(2019年)2月21日(木曜日)通巻第5998号より

(読者の声1)貴誌5998号の(読者の声1)で鈴木秀寿氏が「今では縄文時代の一万六千年前に遡ることができるようになってきました」と書かれました。
 縄文時代の開始はまだ確定していませんが、放射性同位元素の割合による年代推定では1万9千年以上前の縄文土器も見つかっています。断言はできませんが、いずれ2万年以上前というようになると思います。

 縄文遺跡に関しては面白いことがあります。
縄文中期の遺跡が北海道で見つかっていますが、同時代のアイヌ人の遺跡は見つかっていません。縄文後期は世界的な気候変動で北海道に人間が住むことが困難になりました。それ以降の最古の北海道移住民の記録は9世紀で、和人が入植したものです。

 アイヌ人の遺跡で見つかる最古のものは14世紀のものです。つまり、アイヌ人は、14世紀になって北方領土や既に和人が住んでいた北海道に移民してきました。北海道には既に日本人が住んでいたので、北海道に渡ってきたアイヌ人は不法移民であり、先住者の和人は彼ら不法移民を平和裏に受け入れて共生・共存したということです。
 明治32年に旧土人保護法が制定され、彼らの身分は不法移民から日本に帰化した日本人となりました。また、当時小学校の義務教育は有料でしたが、アイヌ人の子弟は授業料を免除されました。入植者には開拓地を与えられましたが、アイヌ人には入植者より広い土地が与えられました。
 アイヌ人は狩猟・漁労を行っていて、農業技術を持っていなかったので、入植者に土地を貸して地主となりました。このような破格の条件で不法移民であったアイヌ人が日本への帰化を認められたのは、日本の国柄でもあり日本人のやさしさでもありますが、アイヌ人が国会へ請願したこともあります。

 第二次大戦後農地解放が行われた時、アイヌ人活動家が、駐留軍にアイヌ人の地主を農地解放から免除するように請願しましたが認められませんでした。
自民党が国会に上程しようとしているアイヌ法では、アイヌ人を北海道の先住民としています。
荒唐無稽な話です。
 まさに、ニーチェが言ったように、「この民族、この国民をみよ」と全人類に向かって云わねばなりません。
偏見と差別は必然ではないということの証明です。                       (當田晋也
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成31年(2019年)2月22日(金曜日)通巻第5999号より