東京大空襲・アメリカの戦争犯罪

American war crimes at Tokyo,japan,on 10 March 1945.

昭和20(1945)年3月10日、米軍のB-29による東京大空襲が行われ、一晩で10万人の東京市民が死んだ。

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アメリカ陸軍航空軍の統計管理局の将校だった。彼らは統計分析により、「B-17を廃棄してB-29を大量生産し、対日戦に投入する方がコスト面で効率的だ」と主張した。マクナマラらの意見は採用され、カーチス・ルメイの下で対日戦略爆撃B-29を大量投入して大きな戦果を挙げた。
その後、マクナマラは1961年から1968年にかけてケネディ政権・ジョンソン政権で国防長官を務めた。
2009年、93歳で没。
元・国防長官・ロバート・マクマナラの "The Fog of War" から、日本の都市爆撃についての部分を紹介し、東京大空襲に焦点を当てて考えてみたい。フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白 - allcinema

The fog of War - Lesson 5 HQ (日本語字幕)



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帝都大空襲
および
日本各地で繰り返された無差別都市絨毯爆撃

空襲による民間人の死者
空襲対象に関する米軍の意図や正当性については、東京新聞大図解「空襲被害」(2015年8月2日)に掲載された山辺昌彦氏(東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)による解説文を以下に引用するので参照されたい。

イメージ 3「米軍など連合国軍による空襲は、日本の軍事施設を破壊するとともに、国民の戦争継続の意欲をくじくことによって日本を降伏させようとの狙いがあった。本土空襲の初期は、飛行機工場が第一目標であり、それができない時は第二目標として産業都市とみなした市街地を空爆した。工場爆撃の巻き添えを含め、民間人に被害が出ており、軍事施設だけでなく民間施設をも狙う無差別爆撃が、すでに始まっていたといえる。

 これが大きく変わるのは、1945年3月10日の東京下町大空襲からである。米国は一年前から、都市の最も燃えやすい人口密集地域を目標に設定し、木造家屋を効果的に焼く油脂焼夷弾を開発し、大型で航続距離の長いB29爆撃機とともに大量生産していた。

 これらがそろった3月に都市を焼き尽くす空襲を始めたのである。単に無差別攻撃というより、民間人を主な標的とした空襲だった。

 当時の国際法では民間人への空爆は禁止されていた。しかし、日本も日中戦争段階で中国の重慶などの都市を空襲し、それを現代の都市は高射砲や航空機で守られているので無防守都市ではなく、無差別攻撃をしてもよい、と正当化していた。米軍も日本の市街地爆撃に際し、そこは小さな軍需工場がある産業都市なので空襲する、などとしていた。

 そして戦争犯罪裁判では、連合国の空襲はもちろん日本の空襲も裁かれなかった。そのことが世界で今でも、盛んに空爆が行われ、誤爆の名のもとに民間人の被害が続いていくことにもつながっている。」
出典:   http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5226e.html

米軍本土攻撃の県別死者数
1:風吹けば名無し:2013/05/21(火) 18:49:48.64 id:lbSw4NHd
広島262425 
東京116959 
沖縄94000 
長崎75380 

大阪15784  愛知13359 兵庫12427 

神奈川9197 静岡6539 福岡5776  三重5612  鹿児島4601  山口3493  茨城3299 富山2300  

和歌山1830 福井1809  岡山1773  青森1772 徳島1710 

新潟1467  千葉1448  香川1369  群馬1237 北海道1210
岐阜1191  山梨1181  宮城1118 

熊本869  大分710 福島661  高知647  宮崎646  岩手616  栃木612
愛媛546  埼玉392  京都215  佐賀138 

 秋田94  鳥取61  長野52  滋賀45  山形42  島根38
奈良31  石川27
引用元:米軍本土攻撃の県別死者数

地上戦のあった沖縄以上に、
東京で死者を出していることが忘れ去られている。

長周新聞    記者座談会 語れなかった東京大空襲の真実(
ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。
 「1.日本国民に戦争を忘れさせたいのである。
    2.戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。
だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、
これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。
 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

私のコメント
 老齢に至ったマクナマラの滑舌の良さには驚く。マクナマラの次の言葉を考えてみたい。
1:36~「戦争にも釣り合いが必要だ」
2:50~「我々が批判すべきは、当時、そして今日もなお、
              『戦争のルール』を確立してこなかったことだ」

 アメリカは殲滅(皆殺し)戦を選んだ。四分六なり三分七分なりの優勢勝ちは考えなかった。「釣り合い」などと言う事を考えていたら、アメリカの望む勝利は得られなかっただろう。マクナマラの言葉には、すでに矛盾が含まれている。日本がポツダム宣言を受諾して条件降伏をしたら、アメリカはそれを無条件降伏に塗り替えたではないか
「戦争のルールを確立してこなかった」と言う。(それについては、責任の一端を感じている)と言いたげである。しかし、当時にしてすでに戦争のルールはあったのである(都市の無差別爆撃が国際法に違反する理日本政府、原爆投下に抗議す(世界初の原爆抗議、1945年8月10日)。
その「戦争のルール」を勝手に破って、反則技で日本の都市を絨毯爆撃する作戦に踏み切ったのはアメリカである。
日本の神風特別攻撃隊戦時国際法違反ではない。が、米軍の東京大空襲戦時国際法違反である。戦争犯罪であることに間違いはない。
アメリカが勝ったのだから、アメリカは戦争犯罪に問われない」という考えが誤りであることは、子供でも分かることだ。

 米軍が日本本土に近づくにつれて、日本軍の反撃は熾烈になってきた。郷土の家族と国という運命共同体を守るためだから、当然のことだ。それが硫黄島戦であり、沖縄戦である。沖縄戦ではアメリカ海軍はアゴを出しかけていた。日本のカミカゼ特攻によって、この海域での米軍艦艇の被害は質・量ともに突出している。そうした中で、日本の民間人殺害を目的とした殲滅戦を米軍は実行して行くのである。
 一方で、沖縄戦前の昭和20(1945)年2月から、日本政府は停戦工作を始めている(太平洋戦争の和平工作 | https://repmart.jp/blog/history/ww2-mediation/【江崎道朗・小野義典】終戦工作・日米戦争―背後の仕掛人 )。結果として、7月の原爆完成後、8月の広島・長崎までアメリカは日本との和平交渉に乗ろうとはしなかった。日本が譲れない唯一の条件は、「国体護持」であることを熟知していたにもかかわらず、である。

 マクナマラは日米戦争の当事者として、悔恨を残して世を去った。
当事者として、生々しい自分の行為を客観視することができなかったようだ。
アメリカは「戦争のルールを確立してこなかった」。
そこに過ちがあった」とマクナマラは言いたげなのであるが、
もっと前にアメリカが犯した過ちがある。
それは、
アメリカが「戦争のルール」を破った
ことである。
マクナマラは、この欺瞞を直視できなかった。

これがアメリカの戦争犯罪の正体なのだ。
         
追記
    
河添恵子#12-2 ゲスト:馬渕睦夫★1%の大富豪がつくる世界共産主義体制  林原チャンネル
広島と長崎への原爆投下や東京大空襲国際法違反の民間人大量虐殺であり、トランプ大統領に見られるような信義を重んじる本来のアメリカ人が本当にあのような酷いことをしたのだろうか?とずっと疑問に感じておりました。最近ふと思ったのですが、あの民間人大量虐殺は本来のアメリカ人がやったのではなく、共産主義者の影響を受けた、あるいは共産主義者そのものであったルーズベルト~トルーマンがやったのではないか?つまり広島と長崎への原爆投下や東京大空襲は、ロシア革命でのロシア人大量虐殺、毛沢東による人民大虐殺、ポルポトによる大虐殺など、共産主義にようる大量虐殺の範疇に入れるべきではないか?こう考えた方が腑に落ちますし、共産主義の恐ろしさを実感できると思います。
 
コミンテルンハルノート書いてますからありえますね彼らには人の死などどうでも良いんでしょうね    
面白い解釈です。ルーズベルト民主党で、周りの取り巻きがソ連のスパイです。トルーマンの回りにも、GHQにも。


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