白人支配(広義の東京裁判史観)の残滓?

 次に紹介するのは、高山正之.2006年.『歪曲報道―巨大メディアの騙しの手口―』PHP研究所.の「まえがき」の一部である。私は2つほどのブログでこの文を読んだが、どこのブログか思い出せなくなった。そこで、今日、この本を入手したので紹介する。


 ロサンゼルスに特派員として赴任間もない頃、ちょっとしたホームパーティに誘われた。日米のジャーナリスト、それにハリウッドのお膝元という場所柄もあって映画の制作関係者、写真家や弁護士など結構な顔ぶれが並んでいた。

こちらが新顔と見て、主催者側の米国人スタッフが話しかけてきた。ユダヤ系で大学を2つ出て、今はシナリオ選定の仕事をしていると言う話だった。
「海外駐在はここが初めてか?」
「いや…、中東に少々。最近までミャンマーに居てアウン・サン・スー・チーに会っていた。彼女を食い物にしている英国人の亭主がたまたまやって来て話も聞いた。帰りにバンコクに寄ったらクーデター騒動に巻き込まれた。軍隊も出て市民が数十人殺された」というような話をした。
 例のスチンダ将軍のクーデターで、首相の座に就いた彼に市民が珍しく大規模な民主化デモを展開して抵抗し、スチンダを退陣に追い込んだ事件だ。

 すると彼、
「アジアか…」
と深刻そうな顔つきをして
「日本は昔、アジアの国々でたいそう悪いことをしたな」
と言いだした。
「いや、別に」
と否定すると、彼はかなりびっくりする。鳩が豆鉄砲を食らったようなという表情でこっちを見据えて
「いや日本はひどいことをした。日本は朝鮮を植民地にしたではないか!」
という。
 「違うね」
と、もう一度否定する。
「朝鮮について言えば植民地colonizeじゃない。あれは併合annexだった。米国がテキサスを手に入れる時の併合と同じだ。それに日本の統治はうまく行った。少なくとも、フィリピンを植民地支配した米国に何か言われるほど非道なことはしていない」。
 彼は真っ赤になって言い返す。
「米国はフィリピンを開化civilizeさせた。いいことをした。しかし、日本は朝鮮で残酷なことしかしなかったではないか!」。
 「お言葉ですが…」、
と言い返す。
「米国はフィリピン人に独立させてやるからと騙して宗主国のスペインと戦わせた。スペインが降伏すると、米国は約束を反故にしてフィリピンを米国の植民地にした。
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カネを手にして去って行くスペインと、フィリピン鎮圧に手こずるアメリ

 怒ったフィリピン人が抵抗すると、軍隊を出して彼らの虐殺を始めた。彼らの家族も捕まえて家に火をつけ拷問して殺した。米国スペイン戦争は、1898年4月に始まり8月にはスペインが降伏しているが、戦争はなぜかその後4年も続き、1902年に終わっている。
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十歳以上は皆殺し

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何をもって終わったかというと、『フィリピン人の抵抗が鎮圧された。もう米国の植民地支配を認めます』と言った時まで続いた。しかも、その4年間で、米軍はレイテ、サマールの2つの島の島民を皆殺しにするなど『20万人のフィリピン人を殺した』と上院の公聴会の記録に残っている。
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ヒトゴロシの米兵が去って行くのと入れ替わりに、プロパガンダ教育機関が入ってきた

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そして結局、フィリピンはシナへのタダの踏み台へと・・・
シナ市場をめぐって、日本とアメリカは争うことになった。第一次世界大戦後、ヨーロッパ諸国が衰退して手を引いて行く中で、日米のシナにおける貿易戦争がますます激しくなる。黄禍論のヴィルヘルム2世をはじめ、当時の白人、なかんずくアメリカが心配したのは、日本とシナがガッチリ結びつくことだった。そうなれば手出しはできないどころか、ゆくゆくは白人の世界支配も危うい。そこで、アメリカ人宣教師らによる反日宣伝など、日支離間を謀った。それが大正8(1919)年の「五四運動」という反日運動である。これも日米開戦の導火線になって行く。一方、フィリピンは鉛筆さえ自前で作れず、アメリカからの輸入に頼らざるを得ないほどの植民地のままに置かれ続けた。
参考:中国におけるウィルソン主義の宣伝と五四運動 http://modernchina.rwx.jp/magazine/1415/yamagoshi.pdf
参考:鉛筆組合史年表http://www.pencil.or.jp/company/chronological_table/chronological_table.html
昭和16年(1941)朝鮮総督府の協力により日本鉛筆、トンボ鉛筆、眞崎大和鉛筆3社の出資で、朝鮮・太田に資本金50万円で「大東亜鉛筆」設立。

朝鮮は違った。T.ルーズベルトが『朝鮮は、もはや国家の体をなしていない』とはっきり発言して米公館を閉じ、日本に任せている。日本は学校を作り、電気を引き、工業を興して真の意味のcivilization、つまりあなたの言う開化を行った」。

 そう説明すると、彼は
「日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたのは事実だ!」
と吼えて、
「もう、この話はやめだ!」
と言う。

日本をしたり顔でくさして、旗色が悪くなると、怒りわめく。こちらも少々むかついたので、「百歩譲って日本が朝鮮をフィリピン並の植民地にしたとして、それでも日本が悪いというのは、もしかしてあなたは『日本が植民地を持つことを許せないと思ったのか?植民地を持つのは、白人国家の特権と思っているのか?』」と、畳みかけた。
 彼は顔を真っ赤にして四文字の言葉(fool?)を投げかけて、どこかに行ってしまった。

 この男とは、後に再会する機会があった。彼はあのあと、フィリピンと朝鮮の歴史を調べてこちらの言い分が正しいのを知ったと、あっさり非を認めてきた。そして、こう付け足した。

「初対面の日本人に朝鮮の植民地の話をすると、みんな『申し訳ない』と言う。そういう形で付き合いの主導権を取ってきた。反発されたのは、今度が初めてだった」

と。

日本人には有効な「決め言葉だったのに……」

と笑っていた。

 ここで注釈をつけると、かれの言う「日本人」は新聞記者であり、総領事館のスタッフ、つまり各省庁からの役人であり、一流企業の駐在員など世論にコミットする世界の人々だ。

そんな彼らは、朝鮮併合の中身も近代史も何も知らない。特派員に至っては、そういうあやふやな知識で、微妙な国際問題をさもまともそうに記事にしている。
                       


 以上、引用終わり

戦前教育を受けた日本人は、欧米の植民地支配の実態を、多少とも日本語の活字を読んで知っていた。
しかし、戦後になるとこうした本は図書館から一掃された。

GHQ焚書図書である。
アメリカや連合国に都合の悪いことを書いた本は洗い出され、GHQによる没収リストが作成された。
次いで、文部省と警察の手を介して、各都道府県に没収指令が出されたのだ。
これは、日本国憲法に禁じられた「検閲」である。
日本国憲法」がこの程度の占領法規であることは、報道できる訳がなかった。

日本人の側からこれに協力したのが、敗戦利得者である。
敗戦利得者と言っても、特別に特殊な連中ではない。東大をはじめとする各大学教授や文化人。新聞社なら朝日をはじめとする新聞各紙、出版社なら岩波書店をはじめとする各出版社、放送局ならNHKをはじめとする・・・・・。
戦後日本はアメリカの傀儡(カイライ)政権だったから、売国奴の敗戦利得者が社会の指導層にのし上がり、ハバをきかせた。彼らの言う「日本悪玉論」が戦後の世をおおったのである。この影響をモロに受けて育ったのが、「団塊の世代」だった。

この辺の事情は、この本に詳しい。
西尾幹二(2008)「GHQ焚書図書開封」(徳間書店
この動画でも、解説されている。
https://www.youtube.com/watch?v=Ehj1rHJuWwY