トルーマンの一言

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焼き場に立つ少年(産経新聞

 亡くなった弟を背負って、火葬の順番を待っている少年。(長崎にて)

写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

 重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」              (朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 今日、偶然、
NHKスペシャル「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI米軍カメラマンの苦悩・原爆の真実」
を見た。
 そこで興味深い会話を聞いたので記録しておく。

 退役したオダネルは、トルーマン大統領の専属カメラマンになった。
 1950年、トルーマンは、当時、朝鮮戦争を指揮していたマッカーサーと、ウェーキ島で会見した。
 この時、オダネルは、前々から大統領に聞いてみたいと思っていたことを聞く機会を得た。

「大統領閣下。私は軍にいた時、広島・長崎で写真を撮っておりました。

原爆投下を後悔されたことは、おありですか?」


すると、トルーマンは、顔を真っ赤にして怒鳴った。


































「それは、もちろんある。だが、前任者の決定だったのだ!」

極東ブログ:「ジョー・オダネルのこと」
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/08/joe_odonnell_6972.html
 この記事のコメント欄に、今日放送された「トルーマンの一言」について、意見があった。


 このブログでの本件関連記事と、論客のみなさん。

「日本政府、原爆投下に抗議す(サヨクさん、見てね♪)」
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/35936432.html

「[転載]日本政府、原爆投下に抗議す(サヨクさん、見てね♪)」
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/35974490.html

追加関連事項
事実に基づく反論はどこまでもやるべきだ。
 では説得によってアメリカの政治指導者が慰安婦問題の自分の認識が誤解だったと認めるかと言えば、可能性は小さいだろう。ある関係者から、アマコスト以来の歴代駐日大使で、慰安婦問題について条理を尽くした説明を受けても納得した人は皆無である、と聞いた。
これはアメリカの政治エリートの間で、日本を道徳的に非難するカードは絶対に手放さないという強固な意志が暗黙のうちに共有されていることを示唆する。それは言うまでもなく原爆投下に対する道徳的非難に対抗するためである。
だからこそ、原爆投下を「しょうがない」と言ってしまった久間発言は、被爆者の感情だけでなく日本の長期的国益を損なうという点でも政治家の発言として最悪なのである。
出典:http://fujioka-nobukatsu.blog.so-net.ne.jp/2007-08-02
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php