「中華民族」という言葉の欺瞞
中国は国民に対して「中国は有史以来、一度も異民族に支配されたことがなかった」と歴史教科書で教えています。いままで中国を侵略したのは、異民族でなく、あくまで中華民族の中の一部族にすぎないと主張しています。
なぜここまで捏造するかと言いますと、異民族の清やモンゴルが征服した全ての領土を中国の「固有の領土」であると主張できるからです。 |
チベットやウイグル、モンゴルを固有の領土だと厚かましく言っている根拠がこの捏造された歴史にあります。
出典:http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-362.html
この点は 非常に重要です
「これ見逃すな」氏の「”中国”についてのこれまでの考え」を 全く変えた次の本には こう書いてあります
「これ見逃すな」氏の「”中国”についてのこれまでの考え」を 全く変えた次の本には こう書いてあります
孫文が犯した大罪ー黄昭堂 「滅亡へ直進する中国」P170~171
そこで孫文は新たなスローガンを打ち出す。それが、「五族共和」つまり漢・満・蒙・回(トルコ系・イラン系・アラブ系)・蔵(チベット)の団結を標榜したものだった。そして彼は漢民族という言葉を捨て、「中華民族」という新しい言葉を唱え始めた。
・・・ところが、孫文は清朝打倒を成し遂げるや、漢民族の国では、それまでの中華帝国の彊域(勢力範囲)であった各辺境地域を失うことに気づき、急にこれが惜しくなってしまったのである。 |
すなわち孫文は中国各地における心のナショナリズム=民族主義を奪ってしまったのである。
私は、この
と思う。
「中華民族」などといういい加減な「民族」を捏造し、本来、なんら共通性のない五つの主要民族をはじめ、五四の民族を、孫文の政治権力による統一願望だけで縛り付けてしまった。 |
私は、この
孫文の罪は大きい |
「自分の観たところでは、今日満洲は全支那で殆ど唯一の安定せる地域である。・・・日本は軍事的意味に於いてのみならず、経済的にも満洲を発展せしめつつある。日本がかくするのは、満洲に赴く少数の日本人開拓者の利益のためではない。実際の話、満洲開発は中国人の利益になっているのだ。不安定な戦争状態が中国の広大な部分に拡がっているため、今や中国人は、他の何処に於ても受けねばならぬ匪賊行為や略奪から逃れるために、何千人と云う単位で南満洲に流れ込みつつある。[1,p336] 」
中共の歴史によると、ある日突然、支那人が幸せに暮らしていた所を理不尽にも、日本軍が侵攻制圧し「偽」満州国を創った。そのおかげで支那人は虐げられ、塗炭の苦しみを味わった、のだそうだ。
満州国は関東軍が軍事力だけを行使して、無理やり作った偽国とされているが、三千万もの民衆のいる国家がいきなり軍事力だけで出来るものではない。国民的合意がなければ無理であろう。
日帝の悪逆非道な暗黒の満洲史を捏造している。
満州国は関東軍が軍事力だけを行使して、無理やり作った偽国とされているが、三千万もの民衆のいる国家がいきなり軍事力だけで出来るものではない。国民的合意がなければ無理であろう。
強烈な弾圧により統治された民衆を、果敢に救ったことにしたい中共は、 |
清の時代、つまり満州族が支那を支配していたときは、支那人(漢族)は支那と満洲は別のものだと言っていた(←なるほど、満州は「万里の長城」の外にある)。その区別を前提に、日本は支那と外交関係を結んでいた。
満洲人は長城を越え支那を征服し、植民地とした。清国政府は、満洲を「封禁の地」とし、漢民族だけではなくモンゴル人や朝鮮人も侵入を許さなかった。もともと狩猟民族だった満洲族は、自分では農耕をしなかったので、漢人や朝鮮人を奴隷として使う満州人経営の農園以外の満洲は、ほとんど荒野として残されていた。
そこに漢民族が怒濤のごとく流れ込んだ。
孫文らは「滅満興漢」「滅清復明」をめざした。満州族が侵略し植民地としている関内を、漢族の手に取り戻す、ということである。しかし、辛亥革命が成り中華民国が成立すると、急に、満洲も支那だと言い始めた。今の中共もそう言っている。
これは、日本の植民地から独立した韓国が「日本はわが国の領土だ」と言うのと同じようなもんで、理屈に合わないが大中華の支那人は平気である。 満洲人は長城を越え支那を征服し、植民地とした。清国政府は、満洲を「封禁の地」とし、漢民族だけではなくモンゴル人や朝鮮人も侵入を許さなかった。もともと狩猟民族だった満洲族は、自分では農耕をしなかったので、漢人や朝鮮人を奴隷として使う満州人経営の農園以外の満洲は、ほとんど荒野として残されていた。
そこにロシアが侵入し、鉄道を敷き大連やハルピンのような都市をつくり、港をつくり学校や病院をつくった。
そして日露戦争の後は日本も満洲に乗り込み、巨額の投資をした。そこに漢民族が怒濤のごとく流れ込んだ。
その後も関東州と満鉄付属地以外は、産業らしきものはなかったが、満洲建国後、驚異的な発展をとげ、短期間で近代産業国家に成長した。
毛沢東はかって「仮にすべての根拠地を失っても、東北さえあれば社会主義革命を成功させることができる」と語った。実際、戦後の満州は中国の重工業生産の9割を占めた。満州国の遺産をめぐる国共内戦は3年もかかり、最後は中共の手に入り、中華人民共和国が樹立された。中華人民共和国を支えてきたのは、満州国の遺産であった。満州国の遺産を食いつぶしたのち始められたのが、新しい路線転換である改革開放路線である(黄文雄『満州国の遺産』)。
「中華人民共和国」の国旗
通称「五星紅旗」とも呼ばれ、赤い地色は共産主義革命を象徴する。大星は中国共産党と人民の団結を、4つの小星はそれぞれ労働者・農民・知識階級・愛国的資本家を表わし、黄色は光明を象徴する。
また同時に、大星は中国本土を、4つの小星はそれぞれ満州・モンゴル・ウイグル・チベットを表わすとも言われる。
経済学者でもある曾聯松のデザインによるもので、1949年9月に制定された。
また同時に、大星は中国本土を、4つの小星はそれぞれ満州・モンゴル・ウイグル・チベットを表わすとも言われる。
経済学者でもある曾聯松のデザインによるもので、1949年9月に制定された。