検閲と東京裁判史観(上)

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 平成20年(2008年)11月18日(火曜日)
           通巻第2393号より  

真実の歴史の復活を求めて―検閲と東京裁判史観―
                岩田 温(拓殖大学日本文化研究所客員研究員)

 混迷を極め、一刻一刻、時が止まるのを許さぬ如く熾烈極まりない争いが繰り広げられている。他でもない日本を取り巻く国際情勢である。
 それは、何の罪もない無辜の日本人を数百名規模で拉致した独裁国家北朝鮮をめぐる昨今の情勢一つ取ってみたところで明らかだろう。
北朝鮮を名指ししてイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」だと国際社会に宣言していたアメリカは、前言を翻すごとく、北朝鮮への歩み寄りを始めた。日本に対する明らかな裏切り行為である。
それは国際関係の冷徹さ、非情さというものが暴かれた一瞬でもあった。すなわち、あくまで国家は自国の国益を追求する。同盟国とて所詮は他国に過ぎない。つまり、同盟国は数ある外交カードの一つにはなりうるが、カードによって自らの手が縛られることのないように、他国を自国に優先させることはありえない。
当然と言えば当然の過酷な現実が日本につきつけられたのだ。

 だが、驚くべきことは、この間の日本人の態度そのものではないか。
アメリカの背信行為に等しい北朝鮮への歩み寄りを日本人はいかに受け止めたのか。余りに過酷で非情な現実に恐怖し、青ざめたわけではない。激しい憤りの念に駆られたわけでもない。現実を現実として見つめることすらなく、以前と変らぬぼんやりとした日常生活を営むだけであった。
それは、あたかも目隠しされた幼児、眼前の危険に気づくことすらなく無邪気に遊んでいるようなものである。
 日本人の現実感覚の欠如。これこそが根源的に問われなければならない問題だろう。すなわち、何故に、日本人は危機を危機として認識することすらできなくなったのか、と。
 
 振り返れば、十九世紀からの日本の近現代史の歩みとは、危機への現実的な対応としての歩みだった。
植民地争奪戦を繰り広げる帝国主義の時代の中、日本は「独立自尊」、自らの足によって立つことを第一の目的とした。他国の植民地にだけはなるまいという危機感と気概が我が国の歴史を動かした原動力である。日清・日露戦争の勝利は、紛れもなく日本が独立を守るために戦い、勝利した戦争であった。
日清・日露戦争を以て、日本の侵略戦争の嚆矢とする見方もあるが、これは全く当時の国際情勢を無視した暴論である。日清・日露の両戦争は、紛れもなく日本の独立を目指すための戦いに他ならなかった。

 それでは大東亜戦争はどうだろうか。
戦後の日本では「大東亜戦争」と呼ぶこと自体が禁止され、愚かで侵略主義的戦争を日本が仕掛けたという歴史観が一般的である。
それは丁度アメリカが、日本を一方的な悪の存在と断定するために行った政治劇とも言うべき東京裁判における歴史観とぴったりと符合している。「東京裁判史観」と呼ばれるべき歴史観である。

 だが実際に調べてみると、大東亜戦争とは単なる愚かな侵略戦争などではありえなかった。
日本は独立を保ちながらの平和的解決を模索し続けたのだった。
その日本に突きつけられたのが一九四一年十一月のハル・ノートであった。アメリ国務長官ハルが提示した提案は、日本の全ての主張を無視した一方的な提案であった。
それはおよそ「提案」と呼びうる代物ではなく、「恫喝」に等しい内容であった。東京裁判で日本側被告全員を無罪にすべきだと主張したパール判事は、このハル・ノート指して、「アメリカが日本に送ったと同一のものを他国に通告すれば、非力なモナコ公国ルクセンブルク大公国と言った欧州の弱小国でさえ、必ずやアメリカに対して自衛の為に武力を以て立ち上がったであろう」と指摘したが、正鵠を射た指摘だと言えよう。

 ハル・ノートを受諾することは、日本がそれまでの全ての主張をかなぐり捨て、自らの主体的な意志をも放棄して、アメリカに従属することを意味していた。明治維新以来の日本の基本的方針とでもいうべき「独立自尊」の精神を捨てよと迫られたのだ。

 これに対して、日本は敢然と立ち上がった。
確かに、そこには日本人の驕り、精神主義に傾きがちで冷徹さを欠いた点、国際情勢の中で、謀略を見抜く力に欠けていた点など、現在の目から見直せば、幾多の誤りがあったことは事実であろう。冷静に分析し、反省をなすことが肝要であることは言うまでもない。
 しかしながら大東亜戦争もまた、自らの独立自尊を目指したものであったという事実を忘れてはなるまい。
武運拙く敗れたとは言え、大東亜戦争が自らの意志を以ての決断であったのは揺るがすことのできない事実である。敗れはしたが、自らの独立自尊を守るために、自ら決断した結果が大東亜戦争なのである。
敗れたこと自体を反省すべき必要はあるが、その正統性に関しては、いささかも恥じる必要がない。

 日本をやぶったアメリカは「二度と日本をアメリカの脅威としない」(SWNCC―一五〇文書)ことを目標として、占領政策を開始した。
現在、中学校で使用されている殆どの教科書が、アメリカを中心としたGHQの「民主化政策」として、この占領統治を讃えているが、全くの見当違いであり、端的に言って誤謬である。国家はあくまで自国の国益を追求する。全くの善意から他国の改革を行う国家などというものは存在しない。
 
 GHQは日本人から歴史を奪うことを企図した。
そのための壮大な政治劇こそが、先に指摘した東京裁判であり、この「東京裁判史観」は、今なお多くの日本人を蝕んでいる。そして、私が本論文で指摘したいのは、この「東京裁判史観」を日本国民に植え付けるためにGHQが行った「検閲」についてである。この検閲によって日本人自身の歴史が忘れられ、歴史とともに現実感覚が失われていったことを証明したい。
 
 GHQの検閲の実態を知るためには、プランゲ文庫にあたるのが最も効果的である。
プランゲ文庫とは、GHQの参謀第二部(G―2)に勤務していたプランゲ博士が、日本における検閲資料をアメリカに持ち帰り、メリーランド大学に寄贈したものである。
一つ一つの検閲資料には、何故にこの記事が検閲に値するかを説明したGHQ側の資料も添付されている。
このプランゲ文庫はマイクロ・フィルム化されており、日本でも国立国会図書館早稲田大学などに収められており、実際に目にすることが可能である。
 プランゲ文庫の中で実際に筆者が発見した検閲された資料を一つ紹介したい。                                             (続)
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