自虐史観が触れない「戦前の国際経済情勢」(1)

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鈴木敏明(2004)「大東亜戦争は、アメリカが悪い」(碧天舎)の表紙

 「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の著者・鈴木先生のブログ記事
半藤一利の著『昭和史』の欠陥」
http://endanji.blog60.fc2.com/blog-entry-8.html
から、表題の部分について抜粋・編集してご紹介いたします。〈 〉部は、説明を補うために入力者が挿入した部分です。

引用始め

1.半藤一利(2004)「昭和史」(平凡社)などのような
自虐史観(=東京裁判史観)本では、ほとんど絶対と言っていいほど語らないことがあります。それは国際経済情勢です。
戦前の国際経済情勢がどうであったか、ここで少し詳しく書いてみましょう。

(1)日本は貿易で生きていかなければならない国です。幕末日本は欧米諸国と不平等条約を結ばされました。不平等条約の一つが関税自主権の喪失です。欧米諸国から色々な物資が日本に輸出されてきますが、輸入する日本は、その輸入税をいくらにするか自分で決めることができないのです。

 輸入税は日本の国庫に直結します。ただ同然で輸入しているわけですから、どんなに輸入が増えても日本の国庫が潤うことはありません。日本はなんとか不平等条約を改正しようと涙ぐましい努力しています。後世、非難の的になる鹿鳴館も涙ぐましい努力の一つです。

(2)その不平等条約が撤廃されたのが明治44年です。日露戦争が終わったのが明治38年です。日露戦争勝利の6年後のことです。不平等条約を結ばされてから撤廃までほぼ50年かかっています。日露戦争に勝ったから欧米諸国は、日本を一人前の国と認めてくれたのです。
 これで戦争に負けていたらいつ不平等条約が撤廃になったか想像がつきません。こうして日本は大正時代から、輸出入という国際経済、欧米諸国主体の国際経済活動の仲間入りができたわけです。
〈この頃、太平洋を西漸してフィリピンに至ったアメリカが、GDPで大英帝国を抜いて一位となり、第一次世界大戦直前に世界の大国として勃興してきます。このアメリカが、日本の前に立ちはだかることになるのです。〉

下図の下側:最高水準の経済を達成した世界のリーダー国の移り変わり

世界の覇権はスペイン→オランダ→イギリス→アメリカと変遷してきたのですが、それは海洋軍事力の変遷の歴史でもありました。

図は、クリックすると拡大します。
 産業革命を達成したイギリスが経済覇権を握っていましたが、20世紀に入るとアメリカがトップになります。
 戦前の日本については、正確ではないようです。朝鮮併合下の「韓国」が、一貫して「独立国扱い」になっています(韓国人の「願望データ」を、鵜呑みにしたんですかねえ・・)。そうすると、日本が鉱工業のインフラ建設を行った、併合下の「北朝鮮」のデータがないことになります。「台湾」や「満州国(1932-1945年)」の扱いも不明です。
 戦後の国共内戦は「満州国の遺産争奪戦」でもあり、決着まで3年かかりました。戦後の満州は、中国の重工業生産の9割を占めました。戦前の日本経済を考える時、満州国を無視しては成り立ちません。
 余談ですが、黃文雄(2001)「満州国の遺産」は、こう書いています。
 「満州国は巨大な遺産を残した。毛沢東はかつて『仮にすべての根拠地を失っても、東北さえあれば社会主義革命を成功させることができる』と語った。実際、戦後の満州は中国の重工業生産の九割を占めた。満州国の遺産をめぐる国共内戦は三年もかかり、最後は中共の手に入り、中華人民共和国が樹立された。中華人民共和国を支えてきたのは、満州国の遺産であった。満州国の遺産を食いつぶしたのち始められたのが、新しい路線転換である改革開放路線である。」
 戦後の社会科地理で「北朝鮮は鉱工業が盛んである」とか、「中国東北部の鞍山には大規模な製鉄所があり、撫順には露天掘りの炭田がある」と習いました。「北朝鮮や中国も、そこそこヤルんだろうなあ・・」と中学時代に思っていましたが、アンナノほとんどが日本の遺産だったんですねぇ。戦後教育では、戦前の日本がそれほど強大だったとは露ほども教えられませんでしたからねえ・・・。
満州:幻の先進工業国家
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図の出典:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4545.html
「1913年と1940年の韓国のデータ」があるのは、キッカイですね。当時に、韓国なんてありませんから。たぶん、日本統治下の朝鮮半島のデータを放り込んだんでしょう。そうすると、その分の日本の数値を上乗せしなければなりませんが。満洲国の扱いはどうなりますかね?マ・・、深くは追求しません。

(3)ここで皆さんに前置きとして知ってもらいたいことがあります。大東亜戦争終結8年後の1948年にGATT(ガット)(関税及び貿易に関する一般協定)が国際間で締結されました。それが現在のWTO世界貿易機関に繋がっています。1948年にガットができたというのも大東亜戦争の意義の一つです。
 なぜなら戦前には、国際間の貿易に関する取り決めなどなにもなかったのです。

 例えば時計を輸入しても輸入国は、自分かってにまちまちの輸入関税をかけていたのです。そういうような無秩序とも言える国際経済の中で日本は、欧米先進国に追いつこうとする、当時たった一つの発展途上国でした。当時日本は、最近の中国と同じように低賃金を武器に輸出攻勢をかけていました。

(4)当然欧米諸国にとって日本製品は脅威の的です。〈実は、日本製品は本当の競争力を身につけていました。〉当然のごとく日本製品差別が始まりました。大東亜戦争は、人種戦争とも言われ、人種差別はよく語られますが、日本製品差別はあまり語られません。どのようにして日本製品差別をしたかというと日本製品だけに高関税をかけるのです。
 当時発展途上国が数カ国あれば日本は共同で欧米先進国に対抗できたでしょう。しかしながら戦前の日本はたった一国の発展途上国だった。それだけに日本の孤独な戦いが強いられたわけです。

(5)日本は東南アジア諸国に輸出しようとします。東南アジア諸国はほとんど欧米の植民地です。植民地の宗主国は、安い日本製品には高関税をかけて、高いヨーロッパ製品を植民地国に買わせようとするのです。こういう日本製品差別が極端にあからさまになったのが、1929年の世界恐慌からです。

(6)1929年のニューヨークの株式市場の大暴落をかわきりに世界恐慌が始まりました。この時アメリカは、なにをしたか。アメリカは自国の企業や農民を守るために1000品目にもわたる製品に高関税障壁を設けました。ペリー提督が日本に開国を迫った時、自由貿易を提唱しました。

 そのアメリカが自由貿易を捨て外国品を締め出すために高関税をかけ、そのくせカナダやラテンアメリカには、高関税を適用しませんでした。これをブロック経済といいます。現在の日本もアメリカは日本の重要な輸出先ですが、当時もアメリカは日本で一番重要な輸出先でした。アメリカのこの高関税適用で、日本のアメリカ向け輸出が激減しました。


当時の日本の主要輸出品は生糸と綿織物でしたが、昭和4(1929)年の世界恐慌の始まりから昭和16(1941)年の日米開戦に向けて、輸出額が激減していることがわかります。
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図の出典:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4750.html

 この辺の事情は、以下に詳しく説明されています。
 「経済封鎖に挑んだ日本」
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog486.html
 「スムート・ハーレイ法」
  http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-297.html
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(7)ブロック経済化に連鎖反応が出ました。1932年カナダのオタワでイギリス帝国経済会議が開かれました。参加国はイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカ連邦アイルランド、インド、南ローデシアでした。これ等のイギリス連邦とアジアやアフリカにあるイギリスの植民地は、一つの経済圏を作り、域内同士の商品に対して無税ないし低い関税にし、日本製のような外国商品には高関税をかけることにしたのです。
 フランスもアフリカや中近東に植民地を持ち、アジアにもラオス、カンボディア、ベトナムなどの植民地があります。フランスもブロック経済圏を確立したのです。それでなくてさえ日本製品は安いがために差別されていたのに、このように世界がブロック経済化してしまっては、日本は、ほとんど輸出できません、生きていくためには日本どうしたらいいのでしょうか。

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 現在の日本経済は、強力です。欧米諸国がいくら日本経済の存在がねたましくても、日本経済を潰すことはできません。日本をつぶしたら世界恐慌になるからです。しかし戦前の日本経済は、発展途上国、日本経済を潰してもなんの影響もありません。
 日本経済を潰した方が、競争相手がいなくなって白人の繁栄が謳歌されて好都合です。それだけに露骨に日本製品を差別したのです。(続)