『日本よ!米中を捨てる覚悟はあるか』宮崎正弘の書評

西村幸祐vs石平『日本よ! 米中を捨てる覚悟はあるか』徳間書店
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                             書評 宮崎正弘
出典:「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成22(2010)年7月3日
http://www.melma.com/backnumber_45206_4898763/

 保守陣営のなかでは中国論花盛りな時期に、いささか趣の変わった中国論がでてきた。
 本書は、
このまま民主党の横暴がつづけば日本は間違いなく「中国の『倭国自治区になる』
という激しくも辛辣な日本現代政治批判となっている。
 趣旨はその通りにしても、やや違和感を抱いたのは、「倭国」ではなく『中華人民共和国「倭族」自治区』と比喩した方がわかりやすいのではないか、ということだった。
 チベット、ウィグル、モンゴルはそれぞれが「自治区」であるように。

 その昔、日本は米国五十一番目の州になればいい、として「アメリッポン」という標語が流行り、国語もやめて英語で言い、それはジャグリッシュだろう、とか。結構、まじめに議論している手合いがいて驚いたことがある。
 敗戦直後にも桑原武夫とか志賀直哉は『日本語はローカル語だからフランス語にせよ』とする奇矯なる妄説を吐いていたっけ。
 通貨もドルで共通とすれば問題はないじゃないか、と真顔でいう人がいた。評者(宮崎)は
「我々にとって最も重大な要素は国家の矜恃、民族の個性であり、通貨は主権行為であり、そういう説は絶対に受け入れられない」
と反論すると、相手はさっと引っ込めたが。つまり基礎的な主体性論議が、これらの妄説を弄する人たちには欠落しているのである。
入力者コメント
 mityueraさんは、競馬関係者だそうだが、彼のブログにこんな記述があった。
「私自身、中国の幹部筋から、自衛隊駐留米軍、そして日米安保条約、どれか一つでも正常に機能しなくなったら、我が国は日本の占領を視野に置いている。」と聞いて、驚いたものですが、そのことは、国際的にはむしろ常識だったのです。
今までの自民党政権下では、大多数の国民はこんなことを知らずに済んだ面もあり、ある面幸せだったのかなあと思います。」
http://blogs.yahoo.co.jp/mityuera/52345384.html
 さて本書は触れていないが、もし
「中国『倭族』自治区」に日本がなる
とすれば、
1:日本人の教わる「国語」はもちろん中国語、
2:マスコミは北京が内容を指令し、
3:教育現場では中華思想の歴史が教えられ、
4:通貨も人民元となる。
5:国防は中華人民共和国の軍隊が駐屯する。
6:反中国の言辞は禁止され、さしずめ保守言論人はことごとく労働改造所送りとなり、
7:歴史書は焼き捨てられるだろう。
8:天皇は当然ながら廃位されられるだろう。
 その上、本書で触れられているように
9:「日本女性は強制的に中国人男性と結婚を強いられ」、気がつけば合法的に民族浄化
10:本当の日本人は消滅することになる。

この未曾有の危機をいかに乗り切るか。さしあたっては現政権を過半数割れに追い込むしか道はないだろう。

 西村幸祐は焦燥を表しつつ、こう言う。
 「このままでは、独自の軍事力でプレゼンスを築けない日本は、米中両帝国に都合のいいように富を簒奪されながら、さながら香港のように、『倭人自治区』としてシナの西太平洋支配の要諦としてのみ存在できる空っぽな孤島になっていくだろう。日本が戦後体制から脱却し、さらにポストモダン状況を主体的に迎え入れることで、『歴史の終わり』を冷戦後の米国で宣言したフランシス・フクヤマに対し、『歴史の始まり』を日本が宣言することが可能になる」。

 さはさりながら、石平は基本的にそれが可能なのか、次なる言葉を用いる。
 「私が不思議に思っているのは、中国で日本の歴史書を幕末、明治からいろいろ読んできましたが、日本に来て現実の生身の日本人とつきあうと、どう考えても、いまの日本人と歴史書に書かれた日本人とがつながらない。幕末、明治或いは戦前の日本人と、これが同じ人種とは全然思えない

 本書を読んで憂鬱さが増すだけか、立ち上がれ日本とさけびつつ行動に移るか。

以上、引用おわり。

入力者コメント
 石平氏の感想は興味深い。戦前日本を悪の国とする東京裁判史観(自虐史観・広くはWGIP)で、敗戦を境に日本の歴史文化は分断されたのである。

 日本の歴史文化の分断に日本国内から応じたものらがいた。日本の敗戦によって利益を得たので敗戦利得者と呼ぶ。彼らが、「戦後という時代の欺瞞」を作り上げた。それは、占領下日本独立後日本を明らかに区別しなかったことだ。

昭和20(1945)年8月15日 ポツダム宣言受諾の旨、終戦詔勅
昭和20(1945)年8月28日 占領軍として米軍の日本上陸開始。
昭和20(1945)年9月2日 日本、降伏文書に調印。日本は国家主権                と独立を失って連合国の占領下に入る。
昭和20(1945)年9月10日 GHQ、新聞・ラジオの検閲始め。
昭和21(1946)年2月 GHQ憲法草案を示し、日本政府に改憲を迫               る。
昭和21(1946)年5月3日 東京裁判、開廷。
昭和21(1946)年11月3日 GHQ草案に基づき日本政府は憲法案を               作り、帝国議会を経て日本国憲法を公布。
昭和22(1946)年5月3日 日本国憲法施行。
昭和24(1948)年11月12日 東京裁判、終了。
昭和26(1950)年9月8日 サンフランシスコ(SF)講和条約日米安保条約、                  締結。
昭和27 (1951)年9月8日 サンフランシスコ(SF)講和条約発効。日本は                 国家主権を回復して独立。

 つまり、占領下で制定・公布された日本国憲法が、独立後も存続するという奇妙なことになった。
 なぜなのか?
敗戦後「公職追放」で空いたポストを敗戦利得者が占有した。独立後、裏切り者として第二の公職追放が起こり、せしめたポストから追い落とされることを心配した、指導層にのし上がっていた敗戦利得者が「占領下と独立後の区別をボカした」のである。
あたかも、占領期がまだ続いているかのように・・・・・・・。
 この辺の事情は、次に説明される。
 「10分でわかる!現行憲法の『ここがダメ』」
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/32418399.html
 もう少し詳しくは、こちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/31885775.html

 日本国憲法は、占領期の産物である。自虐的にならないわけがない。
現行憲法こそ、占領期・属国日本の自動延長装置。自虐史観の発動源。
ところが、鳩山前首相が
「日米対等」・「日米同盟」を連発するにはタマゲテしまった。
もっと驚いたことには、鳩山発言に結構人気があったことだった。
日本人には、日本の危うい現状が見えていない。
経済大国として、日本文化の発信国として、そこそこの名声も得た。「日本は独立国ではない」とは、どこの諸外国も言わない。しかし、それは、
外交辞令というものだ。
多額の国連分担金を払い続けても、常任理事国にもなれないではないか。

もとより「日米対等」となることに異論はない。そのためには「米軍が攻撃されれば、自衛隊が援軍に向かう」のが当然だ。日米安保は「日英同盟」のような、対等な「同盟」ではない。
「日米対等」を目指して「仕組みを作る」のが政治家の仕事のはずだが、鳩山はこういうことも分かっていなかった。
普天間移設」は、「県外か、国外か」の問題ではない。その前に、「憲法日米安保」の問題である。
 ところが、マスコミの論調はこうはならない。「憲法論議」を意識的に避けて通っている。

 なぜ、こんなことになるのか?
毎日毎日、学校では自虐史観が教えられ、毎日毎日、テレビ・新聞は自虐史観「で」解説している。自虐史観を意識しようにも、「空気のような存在」で、どうも見えないようだ。
それもそのはず、自虐史観の発動源は、憲法そのものである」という、忌々しい現実に気づかざるをえない。

 アホな国民は軍拡おびただしい中共軍に
核攻撃の最後通告を受けて凍り付く日まで、
クソのようなお笑い番組に興じて、その日その日をおもしろおかしく暮らせればそれでよいと思っているのだろうか?
 私が中共の司令官または主席なら、命中精度の高い近いところからねらう。
第一日目、長崎市。第二日目、広島市。第三日目、京都市。第四日目、前橋・宇都宮などの関東地方の中小都市。これで、東京はいつでも攻撃できるとの恫喝になる。日本のインフラや国富・人的資源を中共支配下に置くのが目的だから、日本を壊滅させてしまったら元も子もない。いきなり東京をねらっては、交渉相手がいなくなる。日本は、三日目か四日目に降参するはずである。