特攻
第二次世界大戦最終盤の数カ月、アメリカ海軍は日本近海で、日本の神風特別攻撃隊と苦しい戦いを繰り広げていた。それは、これ以降ないほど大きな海上での戦闘であった。本書は、一九四五年五月一一日、神風特攻隊の攻撃によって甚大な被害を受けたアメリカ海軍の航空母艦バンカーヒルの艦上で起きた出来事を描いたものである。 あの日、バンカーヒルの上で、日本とアメリカの文化が衝突した。生きようという意志を消し去るほどの文化の力というのは、当時も今も変わらずアメリカ人には理解しがたい。 あれほど大勢の若者たちが、達成することが必然的に自らの死を意味する任務のために何カ月も訓練をするなんて! しかも彼らには、まもなく日本が戦争に負けるということが分かっていたというのに! アメリカが対テロ世界戦争の行く先を模索し、世界じゅうで自爆攻撃が行われているという事実と向き合おうとしている今こそ、私たちは、「生きよう」という人間の基本的欲求に打ち克つほどの文化の力というものを理解しなければならない。 1945年5月11日、沖縄沖の米艦隊を目指して、多数の特攻機が鹿児島の鹿屋基地を飛び立った。そして安則盛三中尉(兵庫県赤穂郡上郡町出身)と小川清少尉(群馬県碓氷郡八幡村[現高崎市]出身)の搭乗機は帰投する米軍機編隊を雲に隠れながら追跡し,米軍レーダーの隙を突いてバンカーヒルに殺到,突入した。この空母は甚大な被害を受け、650名以上が死傷した。本書は、その日の激闘を中心にして、そこに至る経緯、そしてその後を描いたノンフィクションである。 当日、まず最初に突入したのは、安則中尉搭乗機(零戦52丙型)。バンカーヒル後方から突入し、500キロ爆弾を投下。爆弾は飛行甲板を貫いて左舷側壁を突き抜け、海上で爆発、左舷側に多くの死傷者を出す。次いで機体が突入、甲板上の航空機をなぎ倒しながら、そのまま海へと落下した。この突入によって、多数の艦載機が爆発・炎上し、バンカーヒルは大火災を起こす。 安則機の突入に続き、小川少尉機(ゼロ戦52丙型)も急降下し、爆弾を投下、その後、自身もアイランド基部に突入した。小川機の放った500キロ爆弾は、飛行甲板とギャラリーデッキを貫いて格納庫で爆発、艦内にさらに大規模な火災を巻き起こした。また、機体そのものもアイランドを破壊して多くの死傷者を出した(小川少尉の遺体は、火災に巻き込まれることなく艦上に残り、その遺品は、56年後の2001年に遺族に返還されることになる)。
安則機に続いて空母バンカーヒルに突入する小川機
米軍兵士たちは、燃え上がる艦内に渦巻く煙と有毒ガスに苦しめられながら、まさに絶望的な状況に直面する。と同時に、そこは、炎に閉じこめられた仲間を命がけで救い出す者、熱による暴発で飛びかう銃弾の中を必死の消火活動にあたる者、死にゆく仲間が汚水に浮かぶ機関区に残って艦の機能を維持し続ける者、それぞれの男たちが戦った、極限の「戦場」でもあった。
被弾・炎上する空母バンカーヒル上甲板の光景
著者は,次のように述べている。彼ら(特攻隊員)の最後の望みは、未来の日本人が特攻隊の精神を受け継いで、強い心を持ち、苦難に耐えてくれることだった。 |
現代を生きる私たち(アメリカ人)は、神風特攻隊という存在をただ理解できないと拒否するのではなく、人の心を強く引きつけ、尊ばれるような側面もあったということを理解しようと努めるべきではないだろうか。 |
十年ほど前に,アラブ社会の映画事情を紹介する新聞記事を読んだ。
アラブの映画館では,アメリカ空母を攻撃する日本の神風特攻隊の記録映画が大人気ということだった。
今のところ,日本がアラブの自爆テロに遭わないのは,師匠に対する敬意なのかも知れない。とすれば,日本人は英霊に守られていることになる。
「自爆テロ」に悩む現在のアメリカ人が,その震源たるカミカゼを理解しようとしている。そして,著者は,西洋人も勇敢な英雄が仲間をたすけるために命を捨てる自己犠牲によって,自分たちも勇気づけられてきたという事実を思い出すのだ。
さすがにアメリカは,懐が深い。
さすがにアメリカは,懐が深い。