「従軍慰安婦」デマのおさらい

吉田清治とは何者なのか?
吉田清治とはペンネームで、本名は吉田雄兎(オト?)である。出身高校・門司市商業高等学校(現・福岡県立門司大翔館高校)卒業生名簿では、本物の吉田雄兎は戦前に死亡していた。 「死亡扱い」 から40年後に、「吉田清治(本名・吉田雄兎)」が突然、「旧日本軍人を詐称する」小説家として世の中に現れた。
 
秦郁彦氏の調査によれば、吉田は秦氏に「法政大中退」と説明したが同大学には在籍記録が存在しない。「大学を卒業したばかり」のその 「吉田清治」 は24歳の時に、20歳の朝鮮人、李貞郁 (リ・ジョンウク) を養子に迎えていた。
このことから、 「吉田清治」 は、死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取った(背乗り)在日朝鮮人で、日本人になりすまして朝鮮人実弟を養子に迎えた可能性が高いと考えられている。
 
以上のことは、
【東アジア黙示録】吉田清治の息子は朝鮮人…在日成り済まし説を追う
http://dogma.at.webry.info/201401/article_2.html
に考察されている。
戦中に「吉田清治」が働いていた半官半民の労務報国会は事実であり、これが「慰安婦狩りの実行部隊」として小説第二作の衝撃シーンに登場する。
吉田清治」の手柄は、それまで労務者のみが対象だった「強制連行」に、慰安婦も取り込んだことであった。「女狩り」というのはサディズム妄想をふくらませるエロ小説の典型的なパターンだから、労務者の強制連行」よりインパクがあった。従軍慰安婦」という新造語も訴求力があった。ここに売国勢力と韓国は「女性の人権」という新たに流行りだした付加価値を見つけて、グレンデールまで引っ張って行くのである。
特徴的なのは、「女性の人権」という人類平等のうたい文句にしては「日本人の労務者や慰安婦を問題にしない」ということで、外国からのひも付きプロパガンダである正体がここに現れている。
 
   週刊新潮2014年3月13日号で茨城県在住の吉田の長男の話として吉田死去が判明。

1996年の国連のクマラスワミ報告では吉田証言は強制連行の証拠として採用されている。

強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部であ国民勤労報告会の下で、ほかの朝鮮人とともに1000人もの女性を「慰安婦」として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。
 
国連クマラスワミ報告 付属文書(日本語訳)