支那事変(日中戦争)を「アユの友釣り」で読み解く(東海子氏)

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成27年(2015)9月3日(木曜日)第4645号の「読者の声」に、東海子氏による支那事変についての面白い解説が載っていました。

支那事変(最近では、「日中戦争」とも言う)は、日米戦争の導火線になった重要な戦争なのだが、非常に分かりにくい。東海子氏の解説はわかりやすいので、さらに図や強調を加えて入力者が編集し、皆様にご紹介したいと思います。青字は、入力者が加えた文章になります。   

まず、アユの友釣りについてです。

                   アユの友釣り
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野生のアユは、縄張り(餌場)を持っている。そこで、釣ろうとしている野生のアユの縄張りに釣り人が用意したオトリのアユに掛針をつけて進入させる。それに対して野生アユは追い払おうとして体当たりしたところを引っ掛ける釣法である。
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オトリは囮と書く。囮鮎には釣り糸と繋がった鼻環を鼻に通し、その糸の先に掛針を付ける。野生鮎は縄張り(餌場)に侵入した鮎(その他を含む)を追い出すために腹(肛門)辺りに突撃(体当たり)して侵入者を追い出す。
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突撃後に反転する際、尻ヒレあたりに設定された掛針に野生鮎が掛る。
日本古来、独特の釣法である

釣り環境やアユの性格などに合わせて、
いろいろ小道具やワザがあるらしい。

 
さて、本題で引用をはじめます。
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  支那事変を理解する方法を工夫してみました。以下に記します。
題して、「支那事変 鮎の友釣り論」


 中共天皇陛下への謝罪を要求し中共の対日敵対が明確になった。そこで、日本人の対応としては、支那事変の因果関係を正確に分析し、

中共の被害者偽装を許さないことがポイント

である。
しかし支那事変は欧亜にまたがる世界規模の大戦略、国際的な多くの重大事件、そしてスターリン情報隠蔽や偽情報の数々がありわかりにくい。このため、日本の愛国者でも支那事変の因果関係を正しく理解できる人は少ない。

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ゲームを始めたヒトラースターリン。見守るムッソリーニ
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 そこで日本人は南京事件のように力を合わせて研究し、成果を同胞に広く周知し若い世代に継承する

ことが望まれる。
支那事変は途中で満洲狙いの米国が迷い込んできたが、

戦争の因果関係の本筋は
ソ連独ソ戦を控えた極東工作
と見ると分かり易い。
私はすでにこの歴史観による支那事変の因果関係をアパ論文やユーチューブ講座などで広報してきたが、今回はソ連支那事変工作を鮎の友釣りを例に説明してみたい。


 鮎の友釣りは、空針2本の仕掛けを作り、1つの針には囮(オトリ)の鮎を背掛けし、もう1本は空針のまま川の流れに入れる。この囮鮎に対して縄張りを守ろうとする野鮎が体当たりすると、2本目の針に引っかかるという仕組みだ。素人には2匹が釣れたように見えるが1匹は囮、1匹は犠牲者の鮎である。

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 そこで支那事変を見ると、囮の鮎は蒋介石だ。
彼の上海日本人居留民攻撃に対して

(上海には、支那大陸の治安悪化で長江流域から日本に引き揚げる途上の3万人の民間日本人がいた。「同胞を助けろ!」と日本の国論が沸騰。政府は派兵を決定。「侵略」ではない。「救援」である。)、
反撃し空針に引っかかって大損害を出したのが日本だ。
日本はその後必死に講和を提案して針を外そうとしたが釣師が囮を操作して針を外させない。

この悪魔の釣師がソ連スターリンだった。
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イメージ 6中共毛沢東スターリンの助手で、囮用の蒋介石西安事件で張学良を使って捕らえた。

こんな見立てでどうだろうか。


イメージ 7支那事変の分析では、日本は日中戦争という表現を止めることだ。日本が戦ったのは蒋介石だから、日本・蒋介石戦争、あるいは日本・国民党戦争というのが正しい。
(検索に引っかけるために「日中戦争」という左翼史家の用語も使いました)
中共にとって対日戦争は戦後の国共内戦に備えて国民党軍を弱体化させるのが狙いだったから、当然高みの見物を決め込んでおり、ほとんど戦争をしていない。
そして支那を中国(世界の中心)と呼ぶのは止めよう。
自動的に日本は東夷に成り下がる。
聖徳太子の日本支那対等の教えに反する。


また中共の使う「抗日」表現は対日表現に改める。

これは本来は排日だったが、ソ連KGBの専門家が蒋介石を指導し、抗日に変えさせた。
それは抵抗には正当性という意味があるからである。

共産主義の宣伝はここまで細かく用語を分析して選んで使っている。

  スターリンは秘密の工作を誤魔化すために偽情報を出した。
その一つが西安事件では毛沢東が捕らえた蒋介石を殺そうとしたがスターリンが止めたので地団駄を踏み、真っ赤になって怒った」という説である。
一見まことしやかだが、蒋介石を生かして使う戦略ははじめから決まっていた。

そして狡猾な毛沢東が左翼の神と恐れられたスターリンに反抗する姿勢を示すなどやるわけがない。
そして米人エドガー・スノーによるとこの話は宋慶齢からの伝聞という。何の根拠もないのだ。


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左:エドガー・スノウ。
右:宋家三姉妹。左側が宋慶齢

宋家三姉妹:浙江財閥の一人で孫文の支援者・宋耀如(チャーリー宋)の娘ら。
長女・宋靄齢(あいれい)は大財閥の孔祥熙の妻。
次女・宋慶齢は「中国革命の父(ホンマでっか?)」・孫文の妻。
三女・宋美齢は後の中華民国総統蒋介石の妻。


 宋慶齢は宋家三姉妹の長姉(次女)孫文の未亡人でありスターリン直系の共産主義者だ。

この情報の目的は、スターリン西安事件の首謀者であったことを隠すためである。
ちなみに当時のソ連タス通信は、

西安事件をあろうことか日本の陰謀と発表している。
(なるほど、下手人がまず声を上げて、目的のありかを示すのだなあ・・。)

世界の人々を欺し混乱させる謀略工作だ。

 なお支那事変における宋慶齢孫文の未亡人で共産主義者の役割としては、

南京の妹・宋美齢蒋介石の妻)スターリン蒋介石釈放条件を伝えた可能性がある。
これを受けて宋美齢西安に飛び、監禁中の夫に伝え、この条件を蒋介石が呑んで釈放された可能性がある。
周恩来も監禁中の蒋介石を訪れているが、こちらは降伏しないと
モスクワの長男・蒋経国ともども人民裁判にかけて惨殺処刑すると脅したのではないか。

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                       左:長男・蒋経国。右:父・蒋介石


  西安事件の前兆として、

事件の半年前の1936年6月頃スノーが延安中共の根拠地)を訪ねた時、彼は周恩来から
蒋介石の対日攻撃の始まりが彼の没落の始まりになる」

という意見を聞いている。
 そこでメモすると周恩来は、蒋介石を警戒させるので、オフレコを依頼した。

このためスノーはこの史実を20年後の1957年に「中共雑記」で公表している。

  ソ連支那工作では、ボロディンらが有名だが、

彼等は独ソ戦争の動向がはっきりするとモスクワに召喚され皆処刑されてしまった。
スターリン一流の口封じである。
 

1991年のソ連崩壊後、スターリンの援蒋行為として、3億ドル(当時)に上る巨額の軍事借款や飛行機一千機、軍事要員4千名に上る厖大な軍事援助が明らかになった。また支那事変に従軍した多数のソ連空軍操縦士の回想録が出版された。

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 こうしてみると支那事変は明らかにソ連蒋介石を使った対日戦争であった。

(なるほど・・、オウム事件は「ソ連崩壊後のロシアによる対日間接浸透だ」とも、言いますからねえ・・。)

中共は対日戦勝利と言うが、戦ったのは国民党である。
中共ソ連の助手として、重慶蒋介石を監視していた。

蒋介石は日本軍に形式的に勝利したが、重要なヤルタ会談ポツダム会議には用済みで呼ばれず、1949年には国共内戦に敗退して支那を奪われてしまった。


所詮、スターリンの囮鮎だったのである。



(左翼宣伝で、「孫文蒋介石毛沢東は大人物だ」のイメージがありますが、辛亥革命は心外革命と揶揄されるほどオソマツ。
中華民国は国家の態をなしておらず、治安が悪くて現代のPKOと同様に各国の軍が駐留してました。支那は列強の草刈り場で、列強は「カネと武器」で手下を漁っていた。「スターリンが一番うまい釣り師だった」。)

このように支那事変は複雑でわかりにくい。鮎の友釣り論が理解の参考になれば幸いである。                                        (東海子)

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引用終わり。

拾ったメモ
★ ソ連も必ず援助してくれるから、蒋介石を捕まえろと張学良をそそのかしていた中共は、早速彼を見捨てた。
❒ 中共壮大の謎:第八章 西安事件 ❒3/12

※ 張国燾の西安事件の回想。(中共は、張学良を騙して事件を起こさせたと述べた部分)

※ ▷張國燾還說﹕“周恩來於14日與張密談,徑行表示蘇聯大致不會援助西安,張學良最初的反應甚為憤慨,他似覺得為共方所賣,以往共方老是吹噓蘇聯可以援助,現在他已成騎虎,中共竟臨陣抽腿,不兌現了。”◁
(張国燾著:《我的回憶》,《明報月刊》出版社,香港,1974年。)

▽ 西安事件の主役の一人である楊虎城は、事件の解決過程で身を引き、主役の座から降りていた。ソ連中共が、平和的解決の意図を彼に知らせていなかったからである。
 衝動的な張学良は、本来政治家の素質が無かった。意見が違うという理由で、最高指揮官を勾留することは、どんな国でも重大な違法行為である。しかし、この違法行為を実行した後、それをそそのかした中共は、平和解決を突然提案してきた。彼は裏切られ、直ちに犯罪者となってしまった。

 張学良がこの状況では、事件解決の中心人物となるのは無理だった。解決の中心となれる人物は、誰が見ても中共周恩来のみであった。紅軍の15人の将軍たちは、事件発生三日目に、国民党と政府に対し電報を打っている。その初めの部分は、「西安事件で蒋氏が幽閉された事は、全く意外なことである」と述べている。
中共中央党史資料会編:《第二次国共合作的形成》,中共党史資料出版社,北京,1989年。)

 早速中共は、事件と無関係である事を政府に表明し、張と楊らを裏切っているのだ。またこれは、中共が事件解決の主導権をさらに多く握ろうとするものでもあった。(以下引用の資料は、『第二次国共合作的形成』と『中共中央文件選集 第十一輯』に収録されたもの。)△

 1936年12月25日、蒋介石は張学良によって釈放された。周恩来は、29日に中共中央に対して、「西安事変の平和解決は、中国の政治が新たな段階に入ったことを意味する」(周恩来著:《周恩来選集》上卷第70-75頁,人民出版社出版,北京,1980年。)という報告を送った。
 こうしてソ連中共が、この事件での唯一の利得者となった。(続く)

☆ 謝幼田著《中共壯大之謎: 被掩蓋的中國抗日戰爭真相》明鏡出版社 2002
2019/03/05(火) 18:24:00 | URL | coyote715 #l1HEP1fU [ 編集 ]

★ 国共合作の協議で、中共は政府への参加を要求する一方、紅軍の領導権は絶対手放さない方針だった。
❒ 中共壮大の謎:第八章 西安事件 ❒6/12

▽ 合法的な地位を手に入れた中共中央の毛沢東、張聞天は、1937年2月9日、周恩来に南京協議の主要原則を指示した。これらの原則は、極めて有利な状況を利用し、さらに全面的な利益を得るためのものである。:

㈠ 「南京側との交渉に関する政治的立場は、三中全会に送る電文を参照されたい。」

㈡ 「軍事面では、最初12個師団、4個軍に再編し、林彪、賀龍、劉少奇、徐向前らを軍長とする。一個の路軍を組織し、朱徳彭徳懐を正副の総司令とすること。」

㈢ 「給料の項目では、もし相手が即座に額の改変を認める方針ならば、中央軍の待遇に照らして受領するものとする。もし遅らせる方針ならば、毎月少なくとも、八十から百万元を支給するよう要求すること。」

㈣ 「もし国防委員会が組織されれば、紅軍も是非代表を参加させる。もし、この種の組織が当面無ければ、紅軍は駐南京の代表を国防準備に参与させること。」

㈤ 「党の問題では、党員の不逮捕、組織の不破壊が認められれば良しとする。紅軍中の組織の領導は不変とする。」

 この電報中で根本的に問題なのは、最後の一条である。つまり、中共は合法化以後も、紅軍に対する絶対領導権は保持すると言っているのである。

 協議二日目、毛と張はまた周に指示を打電した。:

「 我々が参加すべきものは以下である。
 ㈠ 軍事委員会のような軍事機関、総司令部、国防会議など。
 ㈡ 政治集会。例えば各党各派代表による会議、国民大会など。
 ㈢ 抗日時には、政府に参加する。」

 たった三万人の軍隊しか持たない中共が、抗戦の名義で更に多くの権限を得ようというものであった。

 1937年2月10日、中共中央は国民党五届三中全会に電報を送り、次の五点を要求した。:

㈠ 「内戦を一切停止し、国力を集中して外敵に一致対抗する。」
㈡ 「言論、集会、結社の自由を保障し、一切の政治犯を釈放する。」
㈢ 「各党各派、各界各軍の代表会議を招集し、全国の才能を集め、共同で救国に当たる。」
㈣ 「対日抗戦の一切の準備を、迅速に完成させる。」
㈤ 「人民の生活改善。」

中央政府の保証を得た後、中共は次の四点の実行を約束するとした。:

㈠ 「全国で国民政府転覆の武力暴動を停止する。」
㈡ 「労農政府は、中華民国特区政府と改名する。紅軍は国民革命軍と改名し、南京中央政府と軍事委員会の直接指導を受ける。」
㈢ 「特区政府の区域内では、普通選挙を実施するような民主制度を徹底する。」
㈣ 「地主の土地を没収する政策を停止し、抗日民族統一戦線の共同綱領を断固として執行する。」△(続く)

☆ 謝幼田著《中共壯大之謎: 被掩蓋的中國抗日戰爭真相》明鏡出版社 2002
2019/03/08(金) 18:35:27 | URL | coyote715 #l1HEP1fU [ 編集 ]



その後の話
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ヤルタ会談当時、ルーズベルトは既にポンコツで、側近のソ連スパイにあやつられていた。
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済まんが、ここでリーチ!(子供は蒋介石)。
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どうしてソ連が崩壊したのか?

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