「アメリカの自滅と日本の自殺 (1)」 西部ゼミ2012年11月3日
2012年11月3日の放送で、
少し古いですが示唆に富む内容です。
アメリカは敵を悪魔化する
ウェストファリア条約(1648)
欧州各国が主権国家として参加したので、
近代の国際政治はこの条約から始まったと言える。
会議は踊る、されど進まず。
武力の均衡で欧州の安定を保とうとした。
パリ講和会議(1919)に乗り込んで来た。
アメリカは、ヨーロッパ諸国の戦争に対しては中立策をとっていた。それは1823年のモンロー教書によって明確にされたのでモンロー主義とも言われ、外交姿勢の基本となった。19世紀末にアメリカが世界の大国になると、ヨーロッパへの不介入という孤立主義を維持しながら、ラテンアメリカさらには太平洋方面に進出し、1898年の米西戦争でフィリピンなどを殖民地とする帝国主義国家になった(アメリカの帝国主義)。
平たく言やあ、「西半球は俺のモノ」宣言
対外強硬派の新聞を読んでその気になった「征服と大虐殺」を夢見るアンクル・サム。
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の世継、フランツ・フェルディナント大公が、共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボでボスニア系セルビア人で民族主義者のガヴリロ・プリンツィプにより暗殺された(サラエボ事件)。
1914年孤立主義をを公約にし、ヨーロッパ列強の対立から中立を守っていたウィルソン大統領は、ドイツの軍事行動がつよまると、途中から「民主主義の擁護」の美名のもとに第1次世界大戦に参戦し、孤立主義をやめて国際協調を提唱して戦後国際社会のリーダー(覇権)をめざした。しかし、議会の反対で国際連盟に加盟できなかった。
トーマス・ウッドロウ・ウィルソン
(Thomas Woodrow Wilson,
大統領任期
1913年 – 1921年
|
(Franklin Delano Roosevelt ,
任期
1933年3月4日 – 1945年4月12日 |
ところが、この二人の過剰な空想的理想主義が現在のアメリカの一極支配を造った元凶として指弾されている。
ジョセフ・サミュエル・ナイ・ジュニア
(Joseph Samuel Nye, Jr.、
イラク人母子の死体に「反乱参加者」のレッテルを貼ろうとする傭兵。ポケットは札束で一杯だ。
走り寄ろうとする「正義の女神」の邪魔をするアメリカ。
こんな話がある。
俄然、この話にリアリティが出てきたではないか。
「ブッシュの手下」で疑問がない小泉。独自の情報で判断し、謝罪するブレア。
政治家としての両者には、落差がありすぎる。これが、「我が日本国民」の姿でもあるのだ。
世界のGDPに対するアメリカのGDP比
1945年 50%
1950年代 40%
1971年 30%
2001ー2009年 20%
2012年 18%
スティングリッツやIMFは、10年以内にドルショックが起こることを警告している。
ところが、日本人(政治家・官僚・経済界・マスコミ・教育界)はアメリカに盲従しているのだ。
私のコメント
私は日本人の自尊心の点からWGIPや東京裁判史観を批判的に話題にしてきた。
もはや、「東京裁判史観」では日本を維持することはできなくなったと、知るべきである。
2016年10月28日