「忘却は、罪である。」?


1月5日の新聞(朝日新聞・読売新聞・毎日新聞産経新聞日本経済新聞日刊ゲンダイ)に、見開きの2ページを使って次の広告がのった。

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左の写真の下の説明:1941.12.8  真珠湾
右の写真の下の説明:1945.8.6   広島
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忘却は、罪である。
人間は過ちを犯す。しかし学ぶことができる。世界平和は、人間の宿題である。
宝島社

 私は歯医者でこの新聞広告を見て、たまげてしまった。
今でもWGIPの東京裁判史観(日本悪玉論)に乗って、歴史戦を仕掛ける日本人がいることに・・・・。
この広告をそのまま読めば、こういうメッセージになる。

真珠湾』をやったから、原爆を落とされたのだ。これを忘れるのは罪なのだぞ。

この主張は、戦後間もない頃からのアメリカ政府のプロパガンダと同じじゃないか!

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原爆は、真珠湾のように軍事施設を攻撃対象としていない。攻撃の目的は、民間人の殺傷である。

 真珠湾」は、日米戦争の「結果」であって、「原因」ではない。
日米戦争は、「真珠湾」のもっと前から始まっていた。仕掛けたのはアメリカだ。
ルーズベルト政権がイギリス・オランダとかたらって、日本の近代国家としての存立を危うくする兵糧攻めを完成させたのが「日米戦争の直接の原因」である。
 今のアメリカ人は嫌がるだろうが、その背景には白人優位の人種差別(ホワイト・ギルティーアメリカの覇権主義があったのだ。
 1941年7月23日、ルーズベルト「米軍機による日本先制爆撃作戦(JB355)計画」に許可のサインをした。9~10月に、支那蒋介石の国民党軍機に偽装して、日本を爆撃する予定だった。
 1941年8月9日からルーズベルトチャーチルニューファンドランド島の沖合のアルジェンチアで会談を行った。チャーチルルーズベルトに、アメリカがドイツに対して即刻宣戦を布告することを求めたが、ルーズベルトは国内世論の制約があったので、「まだ、それはできない」と答えた。しかし、「あと数カ月は、日本という赤児をあやすつもりだ」としばらく待つよう語って、チャーチルを喜ばせた。
この頃、近衛は「近衛・ルーズベルト会談」を申し込んでいる。「あやす」という言葉に、ルーズベルトのやる気のなさが出ている。
1941年秋の、日米交渉はアメリカの時間稼ぎだった。ルーズベルトに、まとめる気はなかったのである。

 原爆攻撃は戦争行為を逸脱した、人種差別の結果だった。
「原爆」を「真珠湾の結果(お返し)だ」と言うのは、ルーズベルトトルーマンの政治宣伝である。

 宝島社は、以前にもGHQの統治を賛同する広告を出している。
「自国を外国に明け渡して」、「いい国つくろう」もないもんだ。
これは、売国奴のセリフである。
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  今回の広告についての宝島社の言い分は、ここに載っている。

いろいろともっともらしく言いつくろっても、背景の写真が言葉の真意のありかを示している。

俺たちゃ、アメリカのカイライなのさ、と・・・(WW)。