【宮脇淳子】日露戦争の歴史的意義を考える 「満蒙とは何だったのか」

ポーツマス条約」110周年 国民の集い
日露戦争の歴史的意義を考える〜 
日時:平成25年(2015)9月5日 午後2時
会場:星陵会館大ホール
 
宮脇淳子先生の記念講演『満蒙とは何だったのか』

 1:07 ・中国の国家的な歴史の偽造
 3:20 ・「中国」は20世紀までなかった。
     だから、それまで「中国人」はいなかった。
 5:50 清朝は五大種族の同君連合国家
     清朝は、「中国」ではなかった。
10:20 満洲語・漢語・モンゴル語の三体で書かれた『満洲実録』
10:50 ・清の大宗の皇后はモンゴル人
11:26 1903年にハラチン王府に女学校を開いた河原操子、王妃は満洲  
     皇族
13:06 満洲皇族粛親王の娘、川島芳子はモンゴル人ガンジュルジャブと
     結婚
14:24 ・東部内蒙古はのちに満洲国に加わる
21:56 ・日露協約と満洲馬賊張作霖
22:10 ・1911年の「辛亥革命」は清軍のクーデター     
     清国の大部分は加わらず
     1912年に清朝平和裡に禅譲して中華民国ができた
     革命で清朝が倒れたのではない。
     日本人が、わざわざ辛亥革命」と呼んでやったのである。
     そういう訳で、「心外革命」と言う人もいる。
23:41 中華民国は国の体をなしていなかった
     中華民国は国ではなかった
25:00 張作霖爆殺の乗車車両(内側から爆発、屋根が吹き飛ぶ)
25:29 ・排日を叫んだ張学良の自宅
25:36 満洲国は当時の世界約60ヵ国の3分の1、20ヵ国が承認していた
26:15 内モンゴル自治運動を率いた徳王


『満蒙とは何だったのか』がリンク切れになったので、この動画に変えました。




私のコメント
 東アジアでは、司馬遷の「史記」の世界観が大きな影響を与えた。
司馬遷が「史記」を書いた動機は、自分が仕える君主がいかに正統の天子であるかを証明するためだった。
 そこで司馬遷は、黄帝という最初の天子から、天が命(めい)を変えることで王朝が交代してきたと説明した。「天の命に背くようなことをした天子はその位を失い、新たに天命を受けた別の一族が新しい王朝を建てたからだ」というリクツだ。
つまり、「勝てば官軍」の結果論だった。

 世の中、正義が勝つとは限らず、往々にして負けるものだが、シナ人にとって「勝てば正義であって、負ければ不義」なのだ。だから、勝者を正当化するために時間をさかのぼって勝者の不始末・不名誉を書き直することになる。
 「勝者を道徳的にも正しいとするためには、歴史をさかのぼって改竄することもまた道徳的なのだ」と言う「倒錯した道徳観」を持っているのだ。
彼らの最高の価値観は、「生き残ること」にあるからだ。

  日本軍は、1945年8月の終戦の日まで、蒋介石の国民党軍にも毛沢東人民解放軍(八路軍)にも、優勢を保っていた。しかし、敗戦にともないシナ大陸から引き揚げた。
   日本軍は負けたのだから、「天命に背く」悪の軍隊なのである。
済南事件や通州事件でシナ兵が日本人居留民に行ったシナ人独特の殺害方法で、南京戦の日本兵がシナの民間人を残虐に殺した「南京大虐殺」を起こしたことにしても、「負けた日本兵は悪だから、どのようにこき下ろしてもかまわない」というリクツだ。 

  20年ほど前にネットで拾った話にこんなのがあった。おそらく、実話だろう。
「日本軍は、人民解放軍に負けたんだろ?」
「なに!、アメリカにやられたっ?」
「本当かっ??、その話!!!」

 シナ人にとって「歴史の改竄」は当然のことで、
その犯罪性におどろいてはいけない。

 彼らとは距離を保つのが重要で、
「ま~た、アホなヨタ話をしおってからに・・」
と思っていればいいのである。