「開戦の詔勅」と「終戦の詔勅」


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日独伊三国同盟(1940年)のナチス・ドイツも、蒋介石に武器輸出し、軍事顧問団を派遣して
いた(1930年代前半~)。砲弾や工作機械の原材料になる支那タングステンなどを
ドイツ外務省・国防省および産業界が望んだからである。ナチス・ドイツ蒋介石の国民政府
と縁を切るのは、1941年7月になってからのことだった〔北村・林(2008)「日中戦争」〕。


小泉首相は、「開戦の詔勅」を知らなかった。
私は、それを責める気にはなれない。
それが、あの頃の「国民のレベル」だったのだから・・。