ラティモアの歴史犯罪

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昭和16(1941)年秋の日米交渉において、ルーズベルト政権は11月25日まで日本案と妥協するつもりでいた。そこへ、ラティモア蒋介石が言ったものとして「蒋介石メッセージ」を持ち込んで、妥協案をつぶした。これを受けて、ハリー・デクスター・ホワイトによって「ハル・ノート」の原案が作成された。
アメリカの保守派のオピニオン・リーダーであるM・スタントン・エヴァンズと、安全保障の専門家のハーバート・ロマースタインが共著で『Stalin’s Secret Agents: The Subversion of Roosevelt’s Government (スターリンの秘密工作員ルーズヴェルト政権の破壊活動)』(Threshold Editions, 2012, 未邦訳)を刊行し、
ソ連スターリンが日米を開戦に追い込むために、日本、アメリカ、中国(蒋介石政権)の三方面で同時並行的に三つの大掛かりな工作を行ったと指摘している。
ソ連工作員であるドイツ人ジャーナリスト、リヒャルト・ゾルゲが、朝日新聞記者だった尾崎秀実らを使って、日本が英米両国と戦争をするよう誘導した。
ソ連工作員であるアメリカの財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトが、ルーズヴェルト政権内部に働きかけて、日米の和平交渉を妨害した。
ソ連工作員であるルーズヴェルト大統領補佐官ラフリン・カリーが、中国国民党政府の蒋介石の顧問であったオーウェンラティモアと連携して、日米の和平交渉を妨害した。
ラフリン・カリーの履歴:   https://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/48844016.html
ラフリン・カリーの映像:  https://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/54486757.html
 その詳細は江崎著『日本は誰と戦ったのか──コミンテルンの秘密工作を追及するアメリカ』(KKベストセラーズ)で紹介しているが、こうしたスターリンによる複数の秘密工作の結果、「日米和平交渉は頓挫し、日米戦争に至った」として、こう結論づけている。
ソ連による政治工作は、ソ連が我々の同盟国であり、反共防護措置が事実上存在しなかった第二次世界大戦中に最も顕著であった。これはぞっとするほどタイミングが良かった。親ソ派の陰謀がアメリカの参戦に決定的役割を果たしたのだから。この意味で注目すべきなのは、真珠湾攻撃に先立って共産主義者と親ソ派が行った複雑な作戦である。》(引用者の私訳)





秦 郁彦
ヴェノナ(1995)を使ってる奴は学者じゃない。←「従軍慰安婦」の功績は認める。もう、引退しなはれ。

秦郁彦は政治的配慮を前提とする歴史家である? (2017/5/19)

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「日本は誰と戦ったのか」江崎道朗 宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら・11月25日配信】