【江崎道朗】 戦後日本における中国共産党の工作とその影響

中国共産党の日本国内における工作活動 【CGS 神谷宗幣 第56回-3】  
2015/12/10 に講演
2016/01/03 に公開

 前回の続きで、中国共産党の工作活動について解説して行きます。
日本共産党には頭の柔らかい「保守派への浸透工作」の出来るような人物がいませんでした。
そのような情勢の中、中国共産党は、北京に革命家育成学校〔馬列学院(マレー学院)3年間に約2500人の革命家を養成。「武村正義はその一人」と言われるを作った。
同時に、満州にて拘留された戦争犯罪人(約1000人)に工作を仕掛け、南京大虐殺の証人に仕立て上げるなどしました。これが、「中帰連」。
 日本人を洗脳教育したのは、戦前に日本留学したシナ人だった(戦中は、日本兵捕虜の洗脳をしていた)。

日清戦争以来、昭和12(1937)年の通州事件や第二次上海事変でも、シナ兵が敵(日本人)を残虐に殺害することは新聞を通じて日本人に広く知られていた.。「戦陣訓」の「生きて虜囚(りょしゅう)の(はずかしめ)を受けず」は、「残虐ななぶり殺しに遭うよりは、死んだ方がましだ」という判断から出たとの解釈もある。しかし、このため、シナで捕まった日本兵捕虜が無事に帰郷するためには、「日本が負ける事」以外になくなったのである。中国共産党はこれに気づき、捕虜教育に利用した。米軍が舌を巻くほどであった。日本留学組が成果を上げたのである。

中国共産党は日本人とは違い、「エリートの使い方」というのを分かっていた。
 中国共産党に洗脳された日本人約3000人が、資金をもらい日本に戻ってきてやったことが「60年安保闘争だった。
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  また、その後のアメリカ(と日米同盟)の動きと、共産党勢力が日米同盟のつながりをいかにして崩して行ったを見て行きましょう。
 1962年、来日したケネディ池田勇人らに「中共のアジア支配を阻止するためにどうするか?」と意見を求めた。武内外務次官が、「日本は、中国と戦う気はない」と答えただけだった。
 その後、アメリカはベトナム戦争で疲弊し、台頭する中国にどう対応するかが問題となった。
アメリカのニクソン政権は、1969年から1972年にかけて3回に渡って「アメリカが共産圏(ソ連と中国)と戦うために、日本も憲法改正して核武装するよう」勧めた。
佐藤総理は賛成だったが、社会党など左翼と公明党三木武夫が反対勢力だった。そのうち、非核三原則の国会決議が通ってしまい、佐藤総理は打つ手をなくした。
 1972年、渡米した佐藤総理は「日本の世論はついて来ません。中国の脅威に立ち向かえません。日本がアメリカと一緒に戦うのは無理です。」とニクソンに伝えた。

日本が「アメリカと共に戦わない」と決断したことが、何をもたらしたか?

失望したアメリカは、ソ連・中国との2正面作戦を避けるために、中国と組み、ソ連とだけ戦うことにした。
これが、キッシンジャー周恩来会談であって、中国がアメリカと組むための「条件」が「日本封じ込め」だった。
 1972年、ニクソン毛沢東は、
中国が「日本封じ込め」を条件にアメリカと手を結んでソ連に対することに合意した。
日米安保によってソ連と共に日本を封じ込める。
1885年 プラザ合意による人為的な円高
1990年~ ソ連崩壊後、経済面でのアメリカの「日本たたき」・「日本封じ込め」
日本のヘタレ外交には、WGIPを利用した中国の工作活動が影響してきた。
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私のコメント
ブッシュJr.との靖国参拝をフイにした小泉総理。
金正男を逃した田中真紀子外相。

 現行の安倍外交は中国の影響を脱しつつあるように見えるが、自民党内部にも中国スパイに影響された媚中派議員は極めて多い。
 中国の目的は日米離反であり、日本の技術力を中心とする国力の利用と抑制である。
このため日本のマスコミ界を監視下におき言論操作を行い、かつ日本の技術を如何に奪い取り、
いかに政治的影響力の下に置くかを狙っている。
対日工作は今後も限りなく続く。このような状況にありながら有効な対策を打てず、日本は無防備の状態にある。日本の安全を守るために早急な対策が必要だ。




附録
中国共産党に牛耳られた戦前日本の政界・言論界 【CGS 神谷宗幣 第56回-1】  
 講師は江崎道朗先生で、テーマは「なぜ地方は疲弊するの 〜GHQ占領政策中共の対日工作から考える戦後のかたち〜」です。
今回から第3回前半までは、主に中国共産党日本共産党の関係や中共の暗躍について解説します。
そしてお話の終盤では、結局それが現代日本に何をもたらしてきたのかを検討して行きます。

正しい歴史認識はなく、間違った事を教えられている今の日本の教育ですが、
これらを正しく理解すれば、「共産党勢力」がいかにして勢力を拡大してきたのか、その巧さを知る事が出来るでしょう。
まずは相手の戦略を知る事で、私たちも次なる一手をうつことが出来ます。
お正月特別企画と致しまして、共産主義の歴史と日本の国力の減退の原因を考えてみましょう!

コミンテルンの「アジア共産化」計画と朝鮮戦争 【CGS 神谷宗幣 第56回-2】  
今回は、コミンテルンによる「アジア共産化」計画の失敗と朝鮮戦争がメインテーマです。
そのような強烈な工作の流れの中、如何にして日本はアジア共産化と朝鮮戦争の流れを回避したのでしょうか。
結果としては、日本が共産化しなかった事で、彼らのアジア共産化計画が失敗に終わり、朝鮮戦争特需の影響で日本は大きな発展を遂げました。
しかし、さすがの中国共産党、それだけで終わるという事はありませんでした。
左翼勢力の次なる一手とはいかに?

中国共産党の日本国内における工作活動 【CGS 神谷宗幣 第56回-3】  
本記事

共闘を決断できなかった日本の行く先とは? 【CGS 神谷宗幣 第56回-4】
中共の国内工作の影響により、「日本はアメリカとともに中国の脅威へと立ち向かう」という決断をする事が出来ませんでした。
その結果として「日本封じ込め」政策がアメリカによって行われたというのが前回までの流れです。
中共工作の結果としてもたらされた日本の選択は、中国とアメリカの手を組ませてしまい(これは、コンドミニアム政策と呼ばれます)、この後「地方の疲弊、国力の低下」と言った本講演のテーマともなっている結末へと収束して行きます。
今回の講演は、これまでの歴史認識と言う点でも、また、これからの外交関係や国策を考えるにあたってもしっかりと学んでおかなければならない点を多く含んでいます。