今、「大東亜会議」を語ろう!

大東亜会議1/2 by.ニュース女子
2018年8月13日ネット放送
2018/08/15 に公開




大東亜会議2/2 by,ニュース女子  


宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成30年(2018年)8月24日(金曜日)通巻第5805号 より

(読者の声1)国連人種差別撤廃委員会96セッション 対日審査。
パリ講和会議国際連盟規約委員会における日本の人種差別撤廃提案から100周年」
                                        不当な日本批判を正す学者の会

 人種差別に反対するNGO日本連合の一員でもある「不当な日本批判を正す学者の会」では、約100年前に日本がパリ講和会議で人種差別撤廃提案をしたことをテーマとしたレポートを提出しています。
 パリ講和会議国際連盟規約委員会における日本の人種差別撤廃提案から
100周年
(日本文):
 
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/CERD96-9.pdf
(英文):
http://www.sdh-fact.com/CL/2018-08-CERD96_Japan_JNCRD-9.pdf
 1919年2月13日、日本政府はパリ講和会議における国際連盟規約起草委員会において人種差別の撤廃が明確に規約に盛り込まれるように提案しました。日本は明らかにこの点に関して国際社会のパイオニアであることをレポートは、強調しております。
 この提案は葬り去られることになり、その後も日本は人種差別の壁にぶち当たり、それと戦ってきました。第2次大戦も人種問題が大きな要因となっていることは疑う余地はありません。
大東亜戦争のさなかの1943年11月に日本はアジアの独立国6か国を東京に招き世界で初の有色人サミット「大東亜会議」を開催しました。そこで採択された大東亜共同宣言は、人種差別の撤廃を高らかに歌っています。
1941年8月に発表された大西洋憲章には植民地の解放には全く触れられていませんでした。
 日本の最初の提案から奇しくも50年後の1969年に人種差別撤廃条約が、国連総会で採択されたあと発効しました。
そして、来年は100周年を迎える意義について、人権委員会と日本政府に対して世界に周知するようレポートは提案しています。
                                    (「史実を世界に発信する会」 茂木弘道



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