「隠される通州事件」その理由

通州事件をあつかう動画は、すぐに見られなくなってしまう。
例えば、こんな具合に。
先月の11月12日に、『ニュース女子』#187で通州事件を取り上げた。
案の定、2~3日で見られなくなってしまった。
ところが、3日ほど前から見られるようになっている。
いつまで続くか分からないが、これを取り上げることにする。

ニュース女子』 #187(通州事件・地面師)

2019年4月10日追加


私のコメント
この動画の、通州事件についての解説は、ほぼ適正だろう。

東京裁判史観(日本悪玉論)にとって、通州事件は都合の悪い事件だった。なにしろ、「悪辣な日本軍によって、善良な中国人が殺されてきた。それを追い払ったのが我が人民解放軍なのだ」と教育してきたから、「中国人の軍隊が日本の非戦闘員を一方的に惨殺した。それも、シナ人特有の猟奇的な殺害方法で」ということになると、「シナ人悪玉論」になりかねないのだ。
事実、当時の日本人はそう考えた。だから、暴支膺懲(ぼうしようちょう・乱暴な支那人を懲らしめろ) なのだった。
 占領軍(GHQ)はWGIPやその結果としての日本悪玉論で日本人を洗脳しようとしたことは判るが、それではGHQが引き揚げた後も、なぜ売国日本人が日本悪玉論で日本人を教育・洗脳しなければならなかったのか?
それは、GHQのカイライ・手先で得た地位をGHQが去った後も維持しようとしたからである。これが、大学・マスコミ・法曹界・教育界など、戦後日本の指導層に居すわり、根付いたからである。
 
「7月7日の盧溝橋事件に始まる日中戦争(支那事変)は・・・・」との慣用句的表現が必ず放送では使われる。しかし、初年兵として盧溝橋事件の現場にいた山崎直人氏の手記では、別の様相が見える。
当日、現場にいた陸軍初年兵の手記
「一文字山の星空」
https://blogs.yahoo.co.jp/moai33jp/64719253.html」 
盧溝橋では劉少奇配下の中国共産党が国民党の第29軍と日本軍の間に入って両方へ鉄砲を撃ったのだから、盧溝橋事件で支那事変が始まったことにしないと中国共産党の手柄にならない。しかし、盧溝橋事件(7月7日)は、4日後の松井-秦徳純協定により収拾している。
7月7日に軍事衝突はない。
軍事衝突は7月8日午前5時30分からである
(坂本夏男「盧溝橋事件勃発についての一検証」『芸林』40(1) p.2-26, 1991-02)。

しかし、当時の日本政府は8月13日が支那事変(初期は北支事変と呼ばれた)の始まりと認定していることは、次の水間政憲氏の動画で説明される。
つまり、「平時に通州事件が行われた」ことになっては、日本悪玉論は成立しなくなるのである。「中国共産党の手柄」というよりは、あくまでも、「7月7日の盧溝橋事件に始まる日中戦争(支那事変)」 のドサクサで起きた事件にしないと、中国共産党側にとっては非常に都合が悪いのである。

第6回 日本人が中国人に大虐殺された「通州事件                 

通州事件/佐々木テンさんの証言!
2017/08/24 に公開
通州事件とは何か?日本人として知っておくべき事件であると思います。