【武田邦彦】 特攻のおかげで民間人が救われた

あの武田先生が号泣…
テレビによく出るコメンテーター達の涙とは桁違いに伝わる思い。

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書評・一部編集
やまと
2016年8月21日
ソ連国境近く、満州国の磨刀石という名の戦場で、
陸軍甲種幹部候補生が920余名が出陣し
僅か2日間の戦闘でその大半が戦死した。

ソ連戦車群に「肉攻」という名の爆薬を抱いて突入したので
ある。凄まじい戦闘であった。

岸壁の母」で有名な端野新二候補生もここ磨刀石の
戦場で戦死した(らしい)事も本書に記録されている。

特別攻撃隊というと飛行機による米軍相手のフィリピン、沖縄での戦い
が有名である。沖縄住民にとって、艦砲射撃が最も怖かった。飛行機による爆撃は、爆撃範囲がおよそ判るから、まだ対処の仕様があった。だが、沖合からの艦砲射撃はいつ、どこへ撃ち込まれるかが判らない。しかし、艦砲射撃がやむことがあった。それは、特攻機の攻撃を受けている時であった。その時を見計らって、沖縄住民は安全な方面へ脱出したと言われる。

 しかし、これだけではなく、ソ満国境近くの磨刀石でも「肉攻(肉弾攻撃)」が行われた事を
日本人は記憶に留めて欲しい。