「日米開戦の真実」(転載の転載)

日米開戦の真実         2006/12/16(土) 午後 3:31   【転載】s       その他文学
イメージ 1
: usami の、デジカメgallery+さんが転載したものを
私がさらに転載した記事です。


「日米開戦の真実」佐藤優

大川周明の「米国亜細亜侵略史」「英国亜細亜侵略史」から、当時の日本が米英と開戦するに至った理由を解説した本。

大川周明の分析によれば、日本の戦争は自衛戦争である、という単純な見解ではない。では
なく、大亜細亜主義という思想があって、その中で英米世界との激突は避けられないという
「最終戦争論」によって開戦したのだ、ということだ。
それを、佐藤氏は「トーナメント戦」と表現する。
当時の世界は「宗主国になるか」「植民地になるか」二者択一であった。つまり、独立国家同士
が植民地を支配しながら雌雄を決する形で歴史は進行していく、その最後の戦争が終われば、
世界は一国が強固に支配することで平和になる、という思想である。それが、当然だと思われ
ていたのだ。事実、そのように当時は歴史が進んでいたのである。植民地をもった強国同志が
戦い、そこで勝利を収めた英国が世界のヘゲモニーを握っていた。
だから、何も「最終戦争論」は石原莞爾の独創ではなかった、ということなのである。石原の
独創は「日本が大亜細亜主義をもって、英米世界と戦わなければならない。そのためには、
日本一国の力ではムリだから、満州を一時借りておく」という戦略論であった。借りる方には
貸す方の痛みがわからない、そこが日本の欺瞞につながったという批判は新しい。

最終章に至って、佐藤氏は世界の外交は「性悪説」であり「力の論理」だと断言してみせる。
従って、大川周明の論理は「敗者の論理」でしかないだろう、と指摘する。その上で、なぜこの
ような「誤謬」に日本が落ちたのか、それは日本人が考える「正義」が世界で通用すると思い
こんだ点にあるといい、大川の多元主義思想に習えと言う。

評価は☆。
大川周明の論理自体は、実に明快。

終章にいう佐藤氏の「東アジア共同体」への反対論は、充分に首肯できるものだ。EUと違って、
東アジアには共通の価値観(ローマ法のような)がないから、経済共同体しかつくれない。だが
経済共同体は、実際は自由な経済以上の効果を上げることはできないだろうから。役人を雇う
だけムダだと思う。

大川周明の弱点は、彼がインテリだということにある。同じ右翼指導者でも、北一輝とは格が
違う。死の前日に「大魔王観音」と揮毫して大川に送りつけた稚気。
226事件のときの北の電話の録音を聴いたことがある。「マル、マル、マルある?、、、あ、そう。
じゃあ、頑張ってね~」
まるでドリフのコントのような軽い口調。(マルとは円すなわちカネの隠語)一方で「玉を押さえ
なかったから負け」だと事件発生時にただちに予言した。玉は玉体、すなわち天皇陛下のこと
である。このカリスマを受容できずに処刑してしまった、戦前の「日本軍国主義」の限界であった。

日清、日露、大東亜の中で「名将」と呼ばれた人物は、ほとんどが「元武士」の家系なのである。
平民出身のすぐれた頭脳を集めた陸軍士官学校海軍兵学校も、残念ながら代々武家
教育以上の成果を出せなかった。せいぜいが小細工を弄する参謀を量産しただけだった。
このあたりに、日本が敗けていった「文化」の問題が潜んでいるように思えてならない。

明治を経なければ日本は生き残れなかったし、その経緯のなかで、
当時としては充分に「民主主義」も育まれていたと思うのだ。
その結果の敗戦は、実は「民主主義」の大きな弱点を示しているのじゃないか、
と思うのである。
今は、これ以上は踏み込めないのだけど。

コメント欄:
国防を考えないのが、町人文化ですね。幕末の英国外交官(誰だか忘れた)は、「町人は御し
やすいが、武士には手こずった」と言っています。お互いに相手の腹が読めるんですね。さて、
大東亜戦争敗戦で、武士文化は絶滅し、「国防」を考えない町人文化・商人文化になったわけ
です。新渡戸稲造あたりの「武士道」は、再読されて良いでしょうね。
2006/12/8(金) 午後 5:37
[ tatsuya11147 ]

町人文化ならばまだ良いが、当時の町人には「儲かったらカネを散じる」という美学があった
ような。芸術や学問のパトロンになったり、道楽をしたりする。有望な貧しい子どもにカネを出
したり。いわば、心の豊かさです。今の金持ちは、ただカネのために動くばかりで、あれじゃ心
は貧乏じゃないか、と。町人文化の残り香があったのは、昭和40年代くらいまでみたいな気が
しますねえ。
ちなみに、上の地図が明治の頃の世界です。赤が宗主国。灰色が植民地。緑が独立国です。
日本とタイ、エチオピアくらいのものですね。白が独立中だったり建国中、内戦中のグループ
となります。
2006/12/8(金) 午後 6:18

この記事の最後のパラグラフ、特に最後の一文に答えている評論がありますよ。
産経2006/12/4の「正論」「真珠湾への道 日米開戦65年 4」の
伊原吉之助「衝突不可避への7つの契機」です。なんならここに、サワリを紹介しましょうか?
2006/12/10(日) 午後 7:36 [ tatsuya11147 ]


tatsuyaさん、大変興味があります。ぜひご紹介ください。
2006/12/11(月) 午前 10:27

了解。サワリと言っても、少し長くなります。【以上】が出るまで続きます。では…。
「負け戦は断じてすべきではなかった」という反省もある。三国干渉時のように、臥薪嘗胆
すればよかったというのである。しかし、昭和に米国の言いなりになって臥薪嘗胆するのは
無理だった。なぜ無理か?軍部を含めて日本の各界が官僚制化し、指導者不在のまま
「誰も責任を取らぬ」世の中になったからである。
進出は指導者なしでもできるが、撤退は無理。江戸時代に各藩は藩校で指導者教育をした
から指導者に事欠かなかったものの、近代化を担う専門家・技術者が払底していた。そこで
開国後は技術者・専門家教育に専念した。帝国大学も陸海軍の大学校も、官僚・参謀教育
機関であって指導者教育はしない。そこで、日本は帝大卒業生が政治家になる頃から、
国家指導に問題が出てくる。
第一次大戦に不用意な参戦をし、二十一カ条問題でも不用意な追加要求をして五四反日
運動の原因を作った加藤高明がその代表である。大正デモクラシーが、国家運営弛緩の
転機を示す。帝大や陸・海大を卒業した官僚・参謀群は、自分らの思いのままに国家を運営
すべく、天皇を祭り上げて、内大臣ら補弼者の進言をそのまま認可するよう誘導した。
昭和天皇は、それが立憲君主と信じ込まされ、3回の例外を除き、終始「指導」を控えられた
のである。
これを嘆いた徳富蘇峰は戦後日記に書く。明治天皇は要所要所でちゃんとご指導なされた
のに、昭和天皇は御指導を控えられた。かくて中枢が空洞化し、官僚群がてんでんばらばら
に国家運営に参画したから統一的戦争指導ができず、負けたのだと(『徳富蘇峰終戦後日記』
講談社)。明治天皇は重要問題は納得するまで臣下を問いつめられた。だから臣下は周到な
準備を心がけた。
2006/12/11(月) 午後 5:25 [ tatsuya11147 ]

tatsuyaさん、ここまで、大変おもしろい!実に正鵠を射た分析だと思いますね。思い当たること
ばかりです。これは、とてつもない根本の問題があぶり出されてきていると感じる。
続きを願います。
2006/12/11(月) 午後 5:25

「あの戦争」の反省点は、まさにこの「指導者不在」に尽きる。指導者教育の不在は、戦前よりも
戦後に著しい。各組織の」官僚制化・無責任化も戦後に著しい。国家百年の大計など、誰も考え
てはいない。これでは集団は壊滅し、国家は滅びる。乃木希典凡将論が出て偉人を踏みにじり、
平等思想が横行して下司がのさばる世の中になった。これが「人民主義」の産物なら、
「人民主義」とはゲスの政治である。
日本は日露戦争の反省を怠って昭和の敗戦を迎え、敗戦の反省を怠って経済成長に突っ
走った。国家運営が迷走しているのは、反省不足の当然の報いである。【以上】ああ、疲れた…。
2006/12/11(月) 午後 5:42 [ tatsuya11147 ]


「官僚化」=「近代化」だった、というあたりに、根本の問題が潜んでいるようですね。その流れ
で言えば、実は戦前も戦後も変わりない。相変わらず、無責任な「組織」のままに国が(あるいは
企業も、社会全部も)動いていますね。その意味では無反省である。私は憂国などという柄で
はないけれど、しかし、これでいいとは全然思えません。
人民主義がゲスの政治であるという指弾は、おそらく一面の真実でしょう。。。
2006/12/11(月) 午後 10:11

世の中では、「民主主義、万歳」と言わねばならぬお約束になっているが、
「ゲスの政治」という事も知らないと、国を誤りますなあ。
おっと、そんな大問題に踏み込む前に、「官僚化」対策ですな。インパール作戦も、陸軍の
官僚化で白骨街道になったとか…。
「民主主義の問題」より「官僚化の問題」の方が、先決と言ったが蒸し返す。
民主主義の祖形をギリシャ都市国家の民主主義に見いだす考えがあったが、
アレは違うんじゃないか…と。
そもそも「市民」と訳すのが間違いだろう。「市民」には兵役があり、「奴隷」にはない。
「市民」は武士階級であり、「奴隷」は百姓・町人なのではないか?
ギリシャ都市国家民主主義は、武士階級内の民主主義であって、
決して「人民主義」ではない。その「ギリシャも永遠ではなかったのだが…。
 
オリンピックなんて、軍事教練そのものではないか!槍投げ砲丸投げ、マラソン(伝令)…。
「オリンピックは軍事教練の祭礼・儀式化だ」と言って、誰も異論はあるめえ。
だから、女は出場できなかったんだ。
2006/12/12(火) 午前 0:33 [ tatsuya11147 ]


それは自分も考えたことがあって、日本の封建制度における武士は「政治権力」を握ると
同時に「戦争兵力」でもあったワケです。戦をすると決めるのも武士ですが、戦いに行くのも
武士。政治に対する「覚悟」が違う。ところが、民主制度になって
「口は達者だが自分は戦争にいかない」奴が偉くなってしまった。これが無責任の始まり、、、
と言ったら乱暴ですかねぇ。
2006/12/12(火) 午前 9:25

いや、分かりやすい。シビリアン・コントロールが良いとばかりは言えない。
2006/12/12(火) 午後 5:01 [ tatsuya11147 ]


本当に。政治に対する「覚悟」の姿勢が足りないですね。わたしも今のお偉いさんに
こんな無責任さを感じます。
2006/12/13(水) 午前 1:13
[ p_su315 ]

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ずっとコメントを含めて追ってみましたが、実に面白い。刺激的ですねえ。かなり核心に
近づいている、と思います。
私は「民主主義の限界」論が、この議論の肝だと思っています。
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2019/7/17(水) 午後 1:55 single40 返信する


注記:撤退は無理
例外的に駐蒙軍司令官・根本博中将の功績がある。
この事例については、
にまとめました。

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シングルさんの記事をうさみさんが編集・転載。
それを、私が転載しました。
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2008/9/7(日) 午前 7:39tatsuya11147返信する

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動画・「日本と国際インテリジェンス戦争」
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/59.html
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2008/9/7(日) 午後 6:06tatsuya11147返信する

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2008/9/8(月) 午前 4:47tatsuya11147返信する

私の歴史観は、大川周明の分析とは違います。
日本の戦争は自衛戦争でした。
日本を自衛するには、欧米による植民地支配を打破する必要がありました。
例えば石油なら、米英蘭の3カ国で独占していた状態を解消しないとならなったのです。
日本は何も悪いことをしなかったのに、米英蘭が日本に石油を売らないことにしたのは戦争行為でした。
今の日本は10カ国以上から石油を輸入することが出来るようになりましたが、たった3カ国が石油を売らないことにしただけで日本一国が壊滅する世界はやはり異常でした。
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2008/9/9(火) 午前 2:28coffee返信する

>石原の独創は「日本が大亜細亜主義をもって、英米世界と戦わなければならない。そのためには、日本一国の力ではムリだから、満州を一時借りておく」という戦略論であった。借りる方には貸す方の痛みがわからない、そこが日本の欺瞞につながったという批判は新しい。

「貸す方」って何を指しますか?
まさか支那のこと?
アホですか?
この辺になるとレベル低過ぎます。
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2008/9/9(火) 午前 2:31coffee返信する

「日本の支那侵略の現れ」とか「支那の抗日運動激化のきっかけ」と言われる「21か条要求」の真相・実は袁世凱のヤラセだった!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/19487390.html
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2008/9/9(火) 午前 2:35coffee返信する

キポツ削除
2008/9/9(火) 午前 2:35coffee返信する

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コーヒーさん、
いろいろなご意見とキポツ
ありがとうございました。

この記事の主題はコレ↓

>明治を経なければ日本は生き残れなかったし、その経緯のなかで、当時としては充分に「民主主義」も育まれていたと思うのだ。その結果の敗戦は、実は「民主主義」の大きな弱点を示しているのじゃないか、と思うのである。

なので、
御指摘の点は再考を要しますね。
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2008/9/9(火) 午後 8:03tatsuya11147返信する

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「対支・21カ条要求」や
昭和天皇の「人間宣言
など、
歴史上の用語には、
南京大虐殺」のように
すでに特定勢力の宣伝用語になっているものが
多いですねえ・・・。
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2008/9/9(火) 午後 8:55tatsuya11147返信する

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産経「日本よ」・石原慎太郎靖国再考」
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080908/edc0809080249000-n1.htm

これに対する、反論。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4219645/

この反論の中で、特に銘記すること。
「2)占領利得体制の崩壊につながる:東条英機を顕彰することは東京裁判を否定し、占領体制を否定することになる。占領憲法も否定される。
これは日本が独立したのに、史実を国民に隠蔽し占領利得体制を維持していた自民から共産までの既成勢力には困ることである。
だから頑強に反対する。しかし冷厳な現実は日本国民に占領利得体制の清算を迫っている。さもなければ日本は滅亡するからである。 (PB生)」
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2008/9/10(水) 午前 2:34tatsuya11147返信する

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同じく、慎太郎への反論。
http://patriotism.asablo.jp/blog/2008/09/08/3751240
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2008/9/10(水) 午前 2:40tatsuya11147返信する

>明治を経なければ日本は生き残れなかったし、その経緯のなかで、当時としては充分に「民主主義」も育まれていたと思うのだ。

これは事実です。

>その結果の敗戦は、実は「民主主義」の大きな弱点を示しているのじゃないか、と思うのである。

これはどうでしょうか・・・
日本は民主主義でしたが、日本が負けた原因は民主主義だったこととは別だと思います。
資源と工業力の圧倒的格差が敗戦の原因だったと思います。
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2008/9/12(金) 午前 8:07coffee返信する

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コーヒーさん、そこでコメント欄の

>最後のパラグラフ、特に最後の一文に答えている評論がありますよ。産経2006/12/4の「正論」「真珠湾への道 日米開戦65年 4」の伊原吉之助「衝突不可避への7つの契機」です。なんならここに、サワリを紹介しましょうか?

の話が始まるのですよ。
大した結論にも至らないんですがね(笑)。
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2008/9/12(金) 午後 10:56tatsuya11147返信する

まず、「大東亜戦争は、米英蘭ソ支が一方的に戦争を吹っかけた悪者であり、それら連合国の資源や物資や工業力は日本の何十倍も圧倒していて、その強大な軍事力と手段を選ばない戦闘方法によって正義の日本を潰した」という事実を認識すべきです。削除
2008/9/15(月) 午前 11:53coffee返信する

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コーヒーさん、

大東亜戦争は、スターリン毛沢東の謀略に端を発す。
ポケッとしてやり過ごす手もあったものを、
うかうかとその手に乗って日本から内応したのが、

近衛文麿だ。」
と、この人は言ってますね。
http://plaza.rakuten.co.jp/pepsi2001/diary/200510270000/
これは、

大東亜戦争は聖戦などではない」
http://plaza.rakuten.co.jp/pepsi2001/
の一部です。
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2008/9/15(月) 午後 8:39tatsuya11147返信する

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支那事変の講和不成立は、
蒋介石へのスターリンの指示。
スターリン独ソ戦に備えて、
東部国境の安定を計った。

日中戦争・日米戦争のいずれの戦争も、クレムリンの目的は二つあり、資本主義国どうしを相戦わせ疲弊させ、共産革命を起こさせる世界共産化思想と対独戦に東西から日独に挟撃されることを防ぐためです。
見抜けなかったのは日本側の落ち度ではありましょうが、それが当時の日本の実力だったのです。

http://www.melma.com/backnumber_45206_4229683/
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2008/9/19(金) 午前 1:17tatsuya11147返信する

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見抜けたところで殆ど何も変わっていなかったはずです。
つまり、見抜けていても戦争はとめられませんでした。
相手(支那とそれを支援した米英ソら)が戦争をやめずにいたのですからどうしようもありません。
日本は戦争に勝ち続けていたにもかかわらず、支那に有利な条件で何度も何度も繰り返し和平を提案しましたが、蒋介石は全て蹴りました。
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2008/9/19(金) 午前 1:43coffee返信する

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>ポケッとしてやり過ごす手もあったものを、

やり過ごす手なんてありませんでした。
例えば、上海では国際租界の日本人居留区を数十万の大軍で包囲攻撃されました。
ポケッとしてやり過ごす手もあったなんて、あったわけありません。
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2008/9/19(金) 午前 1:46coffee返信する

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>ポケッとしてやり過ごす手もあったものを
これは私の表現ですが、そうかも知れません。

日本人は、上海から引き上げて、満州・朝鮮・台湾の守りを強化する。その内に独ソ戦が始まる。世界情勢は流動的になり、それを契機に石油・鉄鋼の供給源を確保する・・・。まあ、あと知恵ですが。
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2008/9/19(金) 午前 3:52tatsuya11147返信する

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日本は、上海国際租界の日本人居留区が支那の大軍に包囲攻撃される前にも後にも、支那に大幅に譲歩して支那に有利な和平条件で戦争をやめようとしました。
戦争に勝っていた日本が、日本に不利で支那に有利な和平安を提案したにもかかわらず、支那は「戦争を続ける。日本を打ちのめす。」と言い続けて戦争を継続したのです。
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2008/9/21(日) 午後 1:04coffee返信する

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西安事件からは、こうなりましたね。

>1.支那事変講和交渉
これは1936年の西安事件スターリンに降伏した蒋介石の任務が日本を大陸の戦争に引き込み、ソ連の近い将来の独ソ戦における東部国境を安泰化するためだったので、日本の条件の如何をとわず蒋介石は受けることはありませんでした。
このため「アメリカの鏡、日本」の著者ミアズ女史はなぜ蒋介石は二十回近い日本の講和提案を相手にせず講和しないのか、疑問に思っています。
裏があったのです。
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2008/9/21(日) 午後 8:24tatsuya11147返信する

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こんにちわ、和平の話をするなら西安事件の前でしょう。
コミンテルンの後押しで国共合作ができれば蒋介石も後には引けなくなります。
戦闘が始まればアメリカも軍事物資を援助するのでやめられなくなったのでしょう。

石油については誤解があります。
日本海軍は二年分の石油を備蓄していました。
どこからか? アメリカからです。

アメリカが石油を売らないというのは逆で、アメリカから買った石油を溜め込んで戦争準備していたのでしょう。
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2008/10/6(月) 午後 5:30ure*ruh**oshi返信する

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ヒロシさん

世界恐慌からブロック経済、で・・日本は必需品の貿易から締め出されて窮地に陥ります。こうした時に、政党政治は党利党略に終始し、国民は彼らを見放して軍人に期待するようになって行きます。
いずれにしろ、無事では済まされなくなります。

石油については、コーヒーさんへの反論ですか。
削除
2008/10/11(土) 午後 11:25tatsuya11147返信する