中国への幻想

 あるサイトから以下の投稿記事を引用する。

  中国への幻想が消え去った瞬間
           投稿者:中国毒菜 (恐らく2005年)5月25日

 最初、私はかの国に行くまでは、中国になにか古き良きものを感じていました。しかし、かの国へ約1ヶ月間旅行に行った後に、感じたことがあります。それは、「無秩序で野蛮な前時代国家=中国」であるということでした。

 笑顔のないふてくされた顔。他人のことなど、まるで無関心。そんな人達の中で、乞食もなんとか人の目を引こうと必死です。手足のない人や、顔が変形している人など、ヘラヘラと笑いながら皿を差し出してきます。こちらが外国人だと判ると、乞食の子供らが必死に追いかけて来るのです。
 汽車に乗れば、ゴミは捨て放題。痰は吐き放題。サトウキビをかじり、かすをペッとやるので、そこらじゅうがかすと痰で一杯になります。向かいに座った中国人は、私が日本人と判ると先の戦争のことについて、議論をふっかけて来ます。彼らはゴミは全部汽車の外へ放り出し、かすだらけの床に寝転がるのです。
 真っ黒な排気ガスを出すトラック。大気はかなり汚染されているように感じました。北京から西安への長い旅路の途中に咳がとまらなくなり、夜もろくに眠れなくなりました。
 彼らは私が日本人だと判ると、ある者は物を売りつけようとし、ある者は軽蔑と憎しみをもってにらみつけてきます。物を買う時に財布を出すと、必ずのぞかれました。ちょうどまとまったT/Cを中国元にかえた後に、うっかり財布をのぞかれた時、彼の顔色が変わったのを今でも覚えています。恐ろしかった。

 最近、やっと「中国の本性」が明らかになってきた気がします。私は、あらゆる中国野菜、中国の製品、中国人を信用していません。
 なかには、「差別だ、なんだ」と私を批判する人がいるかも知れません。私は、その答えとしてこう考えています。我々日本人には、差別と合理的区別の使い分けが必要です。私は、経験上、「日本人的な優しさが自らの危険を招く」事を学びました。そして、「良い中国人」と「悪い中国人」との区別がつけられない以上、あらゆる中国人に対して警戒心を持つことが合理的と考えます。「差別だなんだ」と言って感情的になる人は、本当の差別を知らない人だと思います。「中国人の日本人への差別」は、日本人のそれとは比較にならないことを、ここに明記しておきます。

 長くなりましたが、一番ショックだったことを最後に。日本では自販機ですらお釣りをキチンと返すのに、中国人はニヤつきながら釣りすら返さなかった。「お前、持ってるからいいだろ?」だってさ。この瞬間から、私の中国観は変化したような気がします。失礼しました。(引用、終わり)

 私は、日本国内ならかなり旅行しているが、中国には行ったことがない。そこで、ネットでいろいろ調べながら外国の情報を楽しむことがある。ガセネタもあるが、それはだいたい判ってくる。投稿者の「中国毒菜」さんは真面目な女性のようだ。臨場感あふれる中国人評に思わずうなってしまい、ここに紹介する気になった。
 ご感想いただければありがたい。別の「うなり方」も、あるのかも知れない。