戦後日本の「拘束具」としての日本国憲法(2)

  (2)成立過程において議員達の自由意志はなかった
 「日本国憲法」は、GHQ(連合軍総司令部)がつくった「憲法」である。
このようなことを言うと、「保守派」の人々からは、何を当たり前のことを言
っているのか、という声が聞こえてきそうである。だが、GHQがつくったと
いうことの意味を正確に理解している人は、一体、どれだけいるのだろうか。
 今日の一般的な認識によれば、GHQは、日本政府にGHQ案を「押し付
け」て、これを基にして帝国議会提出の政府案をつくらせたけれども、帝国議
会には自由な審議を保障したことになっている。
 確かに、改憲派ならば、「押し付け」という点を強調してGHQがつくった
とする傾向があるし、護憲派ならば、自由な審議ということを強調して「日本
国憲法」を民定憲法と位置づける傾向がある。このような違いがあるとは言
え、上の認識は、憲法改正派から護憲派まで、幅広く共有されていると判断し
てよいだろう。
 だが、自由な審議が行われたというのは、まったくの誤りである。
 そもそも、1946(昭和21)年1月4日に出されたGHQの公職追放令によ
り、381名(81.8%)の衆議院議員が追放されていた。党派別に見れば、
進歩党274名中260名が、日本自由党43名中30名が、社会党17名中
10名などとなっている。彼らは、4月に行われた総選挙への出馬資格を失っ
てしまう(増田弘『公職追放論』岩波書店、1998年)。
 総選挙の後も、議員追放はおこなわれる。GHQは、総選挙で第一党になっ
た日本自由党総裁の鳩山一郎、幹事長の河野一郎河野洋平の父)など8名の
国会議員を、直後に追放する。
 また、GHQの公職追放令を実施するために日本側が設置した中央公職適否
審査委員会も、7月15日に民政局に報告した段階で、貴族院議員169名、衆
議院議員10名を追放していく(前掲増田)。したがって、議員たちは、いつ
追放されるかという恐怖の中で、憲法改正について審議していたのである。
 さらに、帝国議会における具体的な審議過程においても、議員の自由意志は
尊重されなかった。具体的には拙著を参照していただきたいが、日本側による
修正も、一々、GHQによる承認が必要だったし、GHQからの修正要求には
まったくさからえなかった。しかも、この点を、少なくとも、主要な議員たち
は明確に認識していた。つまり、議員たちは、主観的にも客観的にも、完全に
自由意志を持っていなかったのである。
    (3)「日本国憲法」は無法な暴力に道を開く
  それゆえ、「日本国憲法」は、正真正銘の占領憲法である。ところが、この
占領憲法のことを、改憲派護憲派も、有効な憲法と説いてきた。しかし、
「なぜ有効なのですか」という問いに対するまともな答えは、ついぞ聞いたこ
とがない。有効性の根拠について説明しきれないものだから、日本の指導層
は、改憲派護憲派も、議員や憲法学者も、成立過程の事実関係を隠し続けて
きた。
 1995(平成7)年になってようやく、議会における主な修正を主導した
衆議院憲法改正小委員会の議事録を一般に公開した。その議事録を見ると、議
員たちが、GHQの意向に逆らえないことを明確に認識していたことがよく分
かる。だが、指導層は、それでも、まだ議会における自由意志という虚構を維
持し続けている。
 とりわけ、日本の憲法学と中学校や高等学校の教育を支配し続けた護憲派
は、今日でも「八月革命」(ポツダム宣言受諾によって、一種の「革命」が起
き、憲法制定権が天皇から国民に移動したとする説)の虚構を維持している。
 それどころか、新たに、成立過程において国民が「日本国憲法」を支持して
いた、自由民権運動が「日本国憲法」につながっている、等々の荒唐無稽な物
語まで捏造し続けてきている。憲法学と学校教育の語る「日本国憲法」成立過
程史は、1990年代以降、ますます歴史を偽造するデタラメなもの、自己欺
瞞的なものとなっているのである。
 だが、「日本国憲法」が占領憲法であることから生じる害毒は、自己欺瞞の
精神を拡大再生産してきたことにとどまるものではない。仮に、暴力革命やク
ーデターで政権交代がおこなわれ、新しい憲法が制定されたと仮定しよう。こ
の無法な憲法に対して、「日本国憲法」は論理的に対抗できるだろうか。新し
い無法憲法の方が、日本人自身がつくった憲法であるから、外国人がつくった
「日本国憲法」よりは、はるかに正当性のある存在となるであろう。無法なつ
くられ方をした「日本国憲法」は、無法な暴力に道を開くものなのである。
以上を要するに、

日本国憲法マッカーサー占領下でつくられたものであり、日本国民による自由な審議はなかった。

主にGHQ案に基づいた政府案の修正審議をした帝国議会内の小委員会(秘密会)の議事録が約50年秘密にされてきて平成7(1995)年にはじめて公開された.
 これによる議事経過をみると政府から報告される連合国側の意向に合わせて自分の意見を出したり引っ込めたりで、議会審議の形式はあっても、日本側の自由意思がまったく存在しないことがうかがえる。
だから、小山常実氏は法律問答をする以前に無効であるとしています。
 日本国憲法を民定憲法と呼ぶには,詐欺である。
     http://www.asyura.com/07/kenpo1/msg/371.html