原爆投下とポツダム宣言

日本政府はソ連に頼みをかけ、ポツダム宣言を「黙殺」したがために、アメリカの原爆攻撃を招いた

と、多くの人が説いてきた。
 事実は違う。
 日本が和平仲介を求めて、ソ連に特使を派遣しようとしていたことは、アメリカ側が日本の外交電報を解読していたから、トルーマンは全てを承知していた。

原爆の都市実験を終えるまで、日本を降伏させない

ことが、トルーマンのもっとも留意することになった。

 そこで、ポツダム宣言なるものは、日本側が必ずや「黙殺」するようにつくった。

まずは正式な外交文書ではなく、宣伝文書の形にした。

もともとあった天皇保全の条項をトルーマン自身が削った。


広島・長崎での実験終了のあとに、トルーマンがそれを復活させる術策をとったのである。


鳥居 民「原爆投下と終戦の3つの誤解」産経新聞「正論」2007年8月12日
より、入力者一部改変