2007-08-12 原爆投下とポツダム宣言 東京裁判史観とその影響 #アジア情勢 日本政府はソ連に頼みをかけ、ポツダム宣言を「黙殺」したがために、アメリカの原爆攻撃を招いた と、多くの人が説いてきた。 事実は違う。 日本が和平仲介を求めて、ソ連に特使を派遣しようとしていたことは、アメリカ側が日本の外交電報を解読していたから、トルーマンは全てを承知していた。 原爆の都市実験を終えるまで、日本を降伏させない ことが、トルーマンのもっとも留意することになった。 そこで、ポツダム宣言なるものは、日本側が必ずや「黙殺」するようにつくった。 まずは正式な外交文書ではなく、宣伝文書の形にした。 もともとあった天皇保全の条項をトルーマン自身が削った。 広島・長崎での実験終了のあとに、トルーマンがそれを復活させる術策をとったのである。 鳥居 民「原爆投下と終戦の3つの誤解」産経新聞「正論」2007年8月12日 より、入力者一部改変