なぜ、「戦後史見直し」にシロウトさんが活躍しているのか?

 表題の疑問にたいする答えは、

この分野の専門である法学部・経済学部・文学部史学科の多くが、敗戦利得者の同業組合になっているからだ。

    敗戦利得者
    http://blog.so-net.ne.jp/tkataoka/2007-05-28

「戦後という時代の見直し」が、専門家である法学部・経済学部・文学部史学科から起こらないのは、奇妙なことだ

と思っていた。
「見直し」作業をするのは、傍流ともシロウトとも言える、「史学科以外の文学部出身者」など、なのである。 
文学部の「L」は「ルンペンのL」などと言われ、文学部は教員以外に専門を生かしにくい、就職に不利な学部と言われたものだ。その「文学部」が学問的に健闘している。

 「文学部」に対して敬意を抱くと共に、「これは、なぜなのか?」との疑問が消えなかった。

この疑問は、渡部昇一氏の解説で氷解した。以下に、
渡部昇一「中国人を黙らせる百問百答」「Will」2006年9月号から、ご紹介する。
問「日本は右傾化し、戦前の軍国主義に戻ろうとしている」

答 右傾化というのは左傾化していた状態が正常化しているという意味です。
 戦後は戦争犯罪の裁判のみならず、公職追放というのが大きかった。
20万人以上の人が、ただしかるべきポストにいただけで追われている。大学も公職追放の中心の一つで、有名な大学教授が皆、追放になっています。日本史でも経済学でも、皆追われた。

 公職追放例を採用したのはアメリカの民政局のケーディスです。アメリカ占領軍民政局は左翼の巣ですから、公職追放した後に、例えば大学のポストに誰を入れるかといえば、戦前の左翼を入れた。
 例えば、大内兵衛は、第二次人民戦線運動で東大の経済学部を辞めた。滝川幸辰は、無政府主義的な刑法の教科書を書いたのが問題で、京大教授を辞めている。
 この人たちは帝国大学の教授です。帝国大学というのは天皇の大学ですから、そこの教授がコミンテルンの指示に従っているようなのは問題だということで辞めたわけです。コミンテルンの指示には皇室廃止があるから、コミンテルンのシンパは帝国大学にふさわしくない。
 しかし、ケーディスはそういう人たちをポストに戻した。そこで教えられた弟子たちは、皆、その教育を受ける。それが日本中の大学に散らばる。いわば、ガン細胞です。ジャーナリズムの世界にも散らばり、朝日新聞岩波書店などに入る。官僚にもなる。
 これが敗戦利得者とその弟子たちです。それが弟子の弟子ぐらいになると、だんだん正気の人たちも出てくる。それが、中国の言っている右傾化です。

 だから、左翼でない言論人は、例えば私や中村粲(あきら)さんや佐伯彰一さんは英文科、小堀桂一郎さん、西尾幹二さんは独文科と、皆、法学部とか経済学部とか日本史ではありません。なぜかというと、自分たちの先生が思想と関係ないため、本当のことを言っても、師を裏切らない。
だから戦後、正しいことを遠慮なく言えたわけです。
 以上の意味で、日本国憲法「新無効論」提唱者の南出喜久治氏の経歴は興味深い。氏は、「正規の法学部教育」を受けていない高卒の弁護士である。南出氏のような人が、例えば東大法学部の助手だったとしたら、「教授連中の存立基盤を危うくする者」としてツブシにかかられ、大学在籍はおろか、氏の学問的生命も奪われていただろう。
「教授連中の法理論は誤りである」と指摘する者を、学内に置いておくはずがないのだ。

「社会科学」なるものの分野は、学問としての自己批判や従来の学説をうち破る自由な発想に欠けるのではないか?

 南出氏の著書「日本国憲法無効宣言」のあとがきには、次の文章が記されている。
今日の我が国における憲法学というのは、占領憲法の解釈学でしかなく、真の意味での憲法学や国法学がありません。それは、戦前も同じことでした。軍事占領下では憲法学者とか法曹には公職追放がなかったのですが、宮沢俊義に見られるやうに、権力に迎合して見事に変節した者がほとんどです。特に、旧帝大系の学者はことごとく変節して占領憲法を擁護しました。そのため、占領憲法が出生した秘密をつきとめたり、その効力論を論じたりすることは敢えてしなかったのです。
 僅かな者だけが占領憲法が無効であるとする学灯を守り継ぎましたが、憲法を生業とする学者や裁判官などの憲法業者は、占領憲法を有効としなければ、その解釈学が成り立たず、自ら職を失することになるので、どうしても有効であると強弁せねばならない「保身」といふ裏の事情があったのです。
    追記「大学では自由な研究は、やりにくい」という構造
2008年11月14日の毎日新聞「ダブルクリック」というコラムで池内恵という東大准教授(イスラム研究)がこんな事を書いていた。

 ・・・企業なら、困った上司もやり過ごしていればいつかは替わる。しかし、大学の世界では最初についた先生がずっとそのままだ。学部あるいは大学院に入った時の人間関係が一生続く。
こんな風通しの悪い社会はない。
 大学では世の中一般以上に、理不尽な力関係が成立しやすく、是正されにくい・・・
まともな会社なら
「35歳で部長に就任すると65歳まで留任し、部員の人事権を握り続ける」
などということはないだろう。しかし

有力な研究系大学の教授などは、一度就任するとほとんど動かない・・・

 大学という世界もそういう事なのかと唸ってしまった。
敗戦利得者が人事権を握り続けているんですな。

 「敗戦利得者の論文は賞味期限切れ」と主張する後進を、彼らが育てる訳がない。

出藍の誉れ」は、日本の社会科学では無理ということか・・・・。



その後の追加資料

「株式日記と経済展望」より
「戦後の在日朝鮮人差別は、米軍がナチスと日本を無理に同列に扱おうとして,ユダヤ人と朝鮮人を同一視するという愚を犯した結果なのです。」
 2009年03月16日
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/05e82b1326c9825593ef32b06a827316