神風特攻(1)

西部邁(1994)「神風特攻――今の日本には万歳の対象がなくなった」
『月間宝石』1994年1月号より、一部改変。




 嘘のような本当の話。
三人のヨーロッパ人を相手にした酒席で、私は次のように話しかけてみた。

「1999年に、ヨーロッパのどこかで、

“二十世紀の人類に対して日本は何を与えたか”

という題名のシンポジウムが開かれたとしよう。あなた方ヨーロッパ人は、自動車だテレビだコンピューターだといったふうに、日本の生産した優秀な技術を次々と列挙はするであろうが、“それらのすべてが我らの文明の模倣であり、応用であるにすぎない”と冷笑まじりに断定するに違いない。
 しかし、誰かが“そういえば神風特攻というのがあったなあ、あれはいったい何だったのだろう、どうして日本人はあんな凄いことができたのだろう”とつぶやくのではないか。
そのあとに沈黙がやってくる。そしてその場の雰囲気は、日本に対する冷笑から日本への畏怖へと変わるだろう」と。

 少々驚いたことに、その三人は私の話にあっさりうなずいた。そのうちの一人は、「その通り」といって私に握手を求めたのである。もちろん酒気を帯びた会話であるから何割かは割り引いて聞かなければならないものの、彼は

「そうなんだ、俺たちが日本について気になっていたのは神風特攻のことだけなんだ」

といいつつ感慨深げであった。
 当方の感慨も決して浅いものではなかった。同じ話を日本人相手にしてみたことが何度かあるのだが、

今さら神風特攻でもあるまいに

というのが日本人の反応なのである。ヨーロッパ人の方が神風特攻について素直にそして真摯に感受してくれているというのは、嬉しいような悲しいような複雑な気分であった。

(続)