日米開戦の構造

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」のコメント欄に、表題についてのコメントがありました。
私的備忘録として、収録しておきます。

(読者の声1) 貴誌1271号の「読者の声3」に関連してですが、ご承知とは存じますが、ご参考までに。
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/text/haru_note_e.html
 「ハル・ノート」が、何故日本側(軍部+外務省)にとり、「最後通牒」と受取られたか?
それは、その前の11月5日の御前会議で「12月1日午前零時までに、対米交渉を完了し調印する、それが出来なければ、開戦決断をする」が決せられていたからです。
東郷外相に残された時間は、あとわずか「3-4日」です、とても「ハル・ノート」の条件に基いて交渉を続け3日で妥結して調印することは物理的に不可能です。東郷外相は、天を仰ぎ、「もうダメだ、この内容では時間がない」と嘆息したことでしょう。
しかし参謀本部+軍令部では、「やったぞ、これで間違いなく開戦決定だ!」と大歓声です。
 たしかにハル・ノートには、 Tentative and without commitment であることは明示されていますが、「アングロサクソンは、なんと狡猾であることか!?」というのが、小生の率直な感想です。
なぜならばハル+ルーズベルトは、「日本の交渉最終期限が11月30日まで」を暗号解読で知ってのうえで、このような原則論に終始したような、内容のないハル・ノートを期限4日前にシラりとして出してくるのですから。
日本側は、すでに南雲連合艦隊機動部隊は単冠湾を出航し、北太平洋上でハワイに進路を取っています。     (KI生、尼崎市

宮崎正弘のコメント)対華二十一箇条の要求も同じパターンで袁世凱の謀略に日本がまんまと引っかかっての覚え書き。悪魔のように悪用されました。
出典:http://www.melma.com/backnumber_45206_4181161/

出読者の声1) 貴誌2271号以下のご意見に対する論評です。

1)>吉田氏によると実際に日本政府あてで送られてきたハルノートは、米国政府の主張言分と日本政府の主張言分が併記されていたが、ハルノートとして一般に知られているものはその中の米国政府の主張言分だけを取り出したものだそうです<

意見:そうです、ではどうでしょうか。ハルノートの条件はソ連が作成したことが明らかになっています。

2)>「basis for negotiation」(交渉のベース)であり「definitive」(決定的な)ものではないと明記されていたそうです。
また外務省訳は、原文よりよりきつい内容に書き換えられていたそうです。<

これもそうです、は困ります。

3)>しかし、たとえそうであったとしても両見解を併記したのは譲歩の可能性を認めたということであるとして、それを盾にとって切り込むことができた筈です。
しかしこういった外交的センスが当時の外務省にもまた陸海軍にも欠けていたのではないのでしょうか。この外交的センスのなさが、またこのことを関係者を説得して理解させる能力と胆力のなさが、日本に大きな災厄を呼んだと思います<

意見:日本人に責任を負わせる論法ですが、史実は違っています。米国の対日敵視は3年前の支那事変の莫大な援蒋行為から始まっており、ハルノートはその集大成でした。
だから交渉の余地などあるわけが無く「後は軍の仕事だ」とハル国務長官が述べたと国務省バランタインが記録しています。
近衛首相のトップ会談も米国が断っています。

結論:太平洋戦争の米国の責任が明瞭なためにアレコレごまかしますが、マッカーサー自身が「日本の戦争は自衛戦争であった」と1951年に議会証言しています。   (MARU)
  出典:http://www.melma.com/backnumber_45206_4181423/

(読者の声3)日米戦争についてハルノート論が出ていますので意見を記します。

> (読者の声2)貴誌2272号でKI氏、2273号でMARU氏が言われたように、米国政府の開戦の意図は強固であり、日本国政府としては開戦せざるを得ない状態であったという指摘は正鵠を射たものです。

だからこそ、その中に奇跡を起こすような外交力を持った政治家が必要だったのです。
ゆえに、外交的センスと「胆力」といったのです。

小室直樹氏が以前著書に以下の案を書いていました。
ハルノートでの米国政府の要求を全て呑んでします。ただし、何時までたってのなにもしない。きかれたら「準備中」と答える。これなら、交渉は解決し(相手の案を丸のみですから)御前会議での開戦回避の条件も満たします。

私はこれがとるべき方策であったとは思いませんが、「突飛さ」という観点ではこれくらい一般人の常識を超えた超一流の外交家、政治家ならではのものが当時のそして現在の日本には必要であると考えます。
 
1.ハルノートの素性:ハルノートは突然出てきたわけではなく米国の日露戦争以前からの満洲を狙うアシア戦略の結論です。

 2.呑めば論:だから呑むと日本という国家が消えてしまいます。それにこれを呑めば次が来るというわけです。相手も馬鹿じゃない。ハルノートは本来の日本敵視戦略の挑発の道具の一つに過ぎないのです。

3.元KGB幹部パブロフの回顧録:1995年モスクワで回顧録が発表されその中にソ連が米国政府内のスパイに後にハルノートになる対日要求条件を伝えた話が出ています。
スターリン独ソ戦に備えて東西挟撃を避けるために、東部国境の反共勢力である日本と蒋介石を無力化すべく、日本蒋介石戦争を計画しました。そして西安事件蒋介石を捕らえ傀儡にして支那事変を起こしたわけです。
しかし日本が予想外に勝利していたのでさらに保険をかけるために米国の満洲への野心を利用して日米戦争を策しました。
そこで日米交渉の決裂を狙ってそれまでの経緯と関係のない露骨な対日要求を突きつけさせました。戦争の挑発です。ソ連は最高機密なので伝書使を使ったのでしょう。
パブロフが渡米しワシントンで財務省次官の共産スパイ・ホワイトに会い、主要条件を示します。ホワイトが記憶するとメモは回収しました。用心深い。帰途は太平洋経由の日本船でソ連に戻りました。
ということでハルノートの内容は素人が書いたものではない。当時の世界、米国、アジア、極東、日本に通じた最優秀の人たちが前々から準備して絶対に日本を逃さないというタイミングで出されたものなのです。ちなみに、パブロフによれば、ハルノートが発表されると、スターリンらは内容におおむね満足したと述べています。

4.ハル:ハルは米国の貧困家庭に生まれひとりだけ優秀で出世しましたが政治的背景は弱かったようです。
彼はハルノートと呼ばれるのを嫌っていたといいます。戦争の挑発屋として歴史に残ることが恥ずかしかったのでしょう。
ホワイト:彼は戦後IMFの設立に関与するなど出世しましたが、戦後スパイ容疑で審問され途中で変死しました。KGBの口封じと思われます。彼がKGBから金を受け取っていた記録が残されています。かれもロシア系ユダヤ系の米国人でした。
 スターリンスターリンは、理想主義によって共産主義に賛同したスパイにも必ず金を渡すようにしていました。そして裏で常に彼らはわがソ連に金で雇われている雇い人に過ぎないと軽蔑していたそうです。
かれは冷酷な現実主義者だったので理想主義者が大嫌いで馬鹿にしていました。   (MC生)
出典:http://www.melma.com/backnumber_45206_4182545/

余録「真珠湾を見た男: 英自治ビルマの首相ウ・ソーの運命」(高山正之, 2000)
http://kaz19100.hp.infoseek.co.jp/tak/121202.html

 ここまできて、次の書評を紹介したくなった。
なお、私はこの本を読んではいない。

 東条由布子(編)「大東亜戦争の真実 ―東条英機宣誓供述書」
 
   貴重な史料, 2005/8/14             By カスタマー
 極東国際軍事裁判で絞首刑に処された東條英機の宣誓供述書。
GHQ発禁第一号とされた史料である。
東條英機本人の思想や記憶が率直に語られ、純粋に史料として面白い。
主な内容としては
(1)開戦時日本は、連合国の経済封鎖によりやむなく自存自衛の戦争を決意した。
(2)戦争回避に向け平和的手段で最大限の努力をしていた。
(3)民族独立・東亜共栄の思想で戦争を遂行し、各国に対する侵略的企図はなかった。
よって日本の開戦/戦争行動は「共同謀議」でもなく「侵略」でもなく、資源の確保を目的とした自衛の戦争だった。
・・・というところ。この主張が当事者の記憶とともにリアルな迫力で語られる。
大変貴重な史料である。

 さらに行間からは、日本の正当性を主張しようとする東條英機の悲壮な決意が伝わってくる。
 その姿勢はそのまま、現代の我々の姿勢に反省を求めるかのようだ。真実を追求しきっちりと主張せねばならないと、現代の我々が襟を正される思いだ。
靖国問題など第二次大戦の日本を考える人には必ず読んでほしい。

 ただ、史料に対する解説は渡部昇一の文のみと少なめ。
世界恐慌後の各国ブロック経済状況・天然資源分配状況が、手元に資料としてあればよりリアルに状況が伝わってくるはず。

 「大東亜戦争が正しいのか?東京裁判が正しいのか?」
というイデオロギー論争より、
歴史家は、世界恐慌後の各国ブロック経済状況・天然資源分配状況・産業構造などの統計資料をまとめるべきである。
資料が隠蔽されている訳じゃなし、専門家がその気になればそれほど困難な作業ではないと思われる。
 歴史家が「こうした経済統計資料によって立論しない」のは、怠慢と言う他はない。

 南京大虐殺は、あったか?なかったか?」論争は、東中野修道先生らの学問的労作で結論が出た。
    動画「南京大虐殺はなかった」2005年3月6日放送
ダイジェスト版
http://www.dailymotion.com/anti-kimchi/video/x4phyy_politics
全編
http://capsulecorp.studio-web.net/cont/movie/view.php?usr=takajinlove&idx=9

    動画・付録「南京事件の真相」2004年10月17日放送
http://capsulecorp.studio-web.net/cont/movie/view.php?usr=takajinlove&idx=0

 第二次世界大戦は、もっと経済史的視点から掘り下げて論じられるべきだろう。それをさせない力がもしあるとしたら、旧・連合国のエゴかそれに寄生する勢力に違いない。
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php