日米開戦の構造(基本構造)

 さきの日米開戦の構造は、枝葉末節にとらわれました。こちらの方が、基本構造です。

 日米の軋轢は、日露戦争あたりから米国が「支那満州に市場を得る」という国策を選んだ時から始まっているようです。それが、1908年の白船騒動で現れてきました。その後、世界恐慌によるブロック経済化が日本を追いつめたのです。ABCD諸国による経済封鎖の打開を計る外交交渉は効果なく、日本は「経済封鎖打開のために」対米戦に戦端を開かざるをえなくなっていました。

(読者の声1)
 貴誌のお陰もあって、あの「東京裁判史観」が「南京大虐殺」同様、時代遅れとして一蹴されるようになってきたことは喜びにたえません。
 さらに新歴史観が普及することを望みます。
 さて以下の方のご意見に私見を記します。

(引用開始)「(読者の声2)日米戦争もまたルーズベルト政権に潜入したクレムリンのスパイが、本来日米は協力してアジアの反共戦線を組むべきところを日本と戦わせるよう仕向け、アメリカ国民の反戦機運を払拭したかったルーズベルトが様々の謀略をめぐらし、結局、日本が先に手を出すよう仕向けたのも、今や明らかです。」(引用止め)

意見:おおむね賛成ですが、以下の点をご参考に追加したいと思います。

1.戦前の米国の親共主義:
 戦前のルーズベルト米国は1950年以降の米国と違い、頭から「親共」であったことです。
これは騙されていたのではなく、米国共産主義ソ連共産主義は「同じ平等という目的」を達する手段の違いであると、本気で思い込んでいたことがあります。
 この源には、米国式民主主義も共産主義も「同じユダヤキリスト教の天国思想」が社会思想に転化してきた、「平等の天国を求める同根の思想」であったという問題があります。
 ただ米国の民主主義者は平等社会を実現することを望みましたが、ソ連スターリン共産主義信奉者を利用して権力を握り、後は私利私欲を満たすという点が違っていました。戦後の冷戦の印象で米国を反共と思いますが、戦前は違っていたことを確認したいと思います。

2.米国の西進アジア殖民地主義:
 戦前の米国はハワイを武力併合し、フィリピンを武力占領し、英国やオランダと同じ白人植民地主義国家でした。
そして次の標的が混乱を続ける支那満洲だったのです。
 だからジョンヘイ長官が「支那機会均等門戸開放」宣言をだしました。そして日本が満州国を建設すると、米国の権利の侵害と見て、スティムソン長官が「満州国否認宣言」を出しました。
 そして東京裁判では満洲事変を日本の侵略としましたが、それは米国の潜在権利である満洲を侵略したという意味での告発でした。

なるほど、アメリカが満州事変にこだわる理由はそういうことだったのか。
「オレにも分け前よこして当然のところを日本の奴め、独り占めにしやがって・・」
ということかあ・・・・。

 でも日本としては、
「過ぎし日露の戦いに 勇士の骨を埋めたる 忠霊塔を仰ぎ見よ~♪」
てなもんで、日本国民が承知しないよなあ。
満洲行進曲:http://jp.youtube.com/watch?v=8zoM-gNpWfU

日清・日露戦争以来、日本は防衛を起点として大陸に権益を得るために、十数万の将兵が犠牲になってきた。田舎の村はずれ(今では、「集落のはずれ」だが)に行ってみるがよい。ひときわ立派な墓は、たいてい日清・日露で戦死した兵隊の墓である。
 「ある目的を達するために多くの人間が犠牲になった場合、その犠牲によって得られた結果は、どんなことをしても守らねばならない。そうしなければ、犠牲になった者の霊が浮かばれない」という、日本人の行動原理がある。
「満蒙は日本の生命線」というスローガンもこれに発している。
 この原理は戦前の日本を支配し、戦後の日本をも支配している。

 で・・、蒋介石の国民党や毛沢東中共は、満州国の重工業やインフラをカッパライたかったのね。

 どのみち、米国・支那ソ連・英国・オランダ・その他はグルだもんなあ・・・。

 だから米国が日本を攻撃したのは、支那満洲への勢力伸張の邪魔であったからです。
 この大きなアジア西進戦略の上に、
日露戦争の講和仲介、
②日本の満鉄出資拒否に対する反日
③その後の支那事変における講和仲介拒否、
蒋介石への莫大な軍事援助継続があり、
⑤その延長線上に太平洋戦争があります。

 戦争は複数の狙いがありますので、ハルノートが欧州戦争への参戦の契機を作るという狙いがあったことは間違いありませんが、それだけではなく、基本的なアジア西進政策の上で日本を追い詰めたのです。

 米軍は1940年初頭から「国民党軍への義勇隊」と偽装して、対日航空戦に参戦していた。
「④ルーズベルトの米国が、1933年から蒋介石への莫大な軍事援助を継続している」ことが、すでに日米開戦を決定づけているのである。

 ルーズベルトは 、「中国から飛び立った米軍の戦闘機350機・爆撃機150機が、東京・横浜・京都・大阪・神戸などを空爆する計画」に許可を与えている。爆撃隊は中国国民党軍機に偽装し、民間家屋を焼夷弾で焼き払うというものであった。これは、日本の真珠湾攻撃に先立つこと5ヶ月の、1941年7月23日のことである。爆撃予定時期は、1941年9月~10月であった(『ルーズベルト秘録』産経新聞, 2000)。
 この作戦に必要な当時の5千万ドルという巨費の、ルーズベルト大統領による裁可文書が、米国・国立公文書に保存されている。
 さて、ところが、対独戦で苦戦するイギリスに爆撃機の貸与を求められてそちらに回し、10月末になっても米軍爆撃機が中国に到着することはなかった。それで計画は、とうとう「日本の真珠湾攻撃」に先を越されてしまったのである。

だから、「あの時、日本が真珠湾攻撃さえしなければ、日米開戦は避けられたのに・・」と見るのは誤りなのだ!
少なくとも「真珠湾」の5ヶ月前に、ルーズベルトはあからさまに日本に突っかけるハラを固めていたのである。
ハル・ノートは、「だめ押し」に過ぎない。


1931年      米国は、張学良の対日軍備を援助      
1937年7月    米陸軍航空隊シェンノート大尉が退役して国民党空軍を指揮。
 同年12月    南京陥落
1938年      この頃から、在支那・米人宣教師が、米国内での反日をあおる
1940年12月21日 モーゲンソー財務長官、シェンノートらが米軍人による日本爆           撃を立案。「木と紙でできている日本の民間家屋には焼夷弾が効          果的」と意見一致。
1941年5月   統合参謀本部(JB)が対日奇襲作戦「JB355」を策定。
同年7月23日 ルーズベルト大統領がゴーサイン。
          2日後に日本人の在米資産凍結。
   8月下旬 シンガポールに米人パイロット等三百人が集結。計画では9月下旬          に奇襲爆撃決行を予定。しかし爆撃機の到着が遅れた。
   12月7日 日本側の真珠湾奇襲計画決行。


 戦後の日本人は一般に、アメリカとの交渉は対日禁輸とかハル・ノートといったような外交戦だけだったように理解しているが、これは東京裁判史観」によるウソであることがはっきりしてきた。
実際には、本当の戦争が「真珠湾攻撃の以前から」すでにアメリカ側から仕掛けられ、始まっていたのである。

日本空爆計画を暴いたトンプソン教授「すでに対日開戦中」






3.米国の失敗:
 米国は日本を滅ぼした後、蒋介石を傀儡に支那満洲を支配する予定でしたが、この目論見はスターリンに裏をかかれて、戦後満洲が共産化されたため、「取らぬ狸の皮算用」、「トンビに油揚げをさらわれた」に終わったことは、皆様ご承知のとおりです。
 これを見てマッカーサー
支那の喪失は米国太平洋政策100年の最大の失敗であった」
と総括しました。
太平洋戦争は、日本が目的ではなかったのです。                                         (MC生)

宮崎正弘のコメント)中川八洋氏の『近衛文麿ルーズヴェルト ――大東亜戦争の真実』(95年、PHP刊、絶版)にあますところなく書かれています。
 マッカーサーのセリフは、「この百年来、いかにアメリカが、《支那満州の市場》を欲しがっていたか!」が判ろうというものです。
出典:http://www.melma.com/backnumber_45206_4230325/

目下、中川八洋(1995)『近衛文麿ルーズヴェルト大東亜戦争の真実』(PHP刊、絶版)を探せないので、私的備忘録として記事にしておきます。


           余談
あの時期に日本が大東亜戦争を開戦したのは「世界の幸運」であり、日本は「世界の宝」である。
○日本は幸運の国である
 世界は、おおむね自由貿易を行っている。その恩恵を現在の日本は存分に享受している。多くの日本人はそれを当然なことだと思っている。しかし、戦前の世界はそうではなかった。アジア・アフリカの各地のほとんどは、欧米諸国の植民地であった。アジアでも、独立国はタイと日本だけ。中国ですら、半植民地であった。だから日本が自由貿易によって繁栄する、などという事はありえなかった。 

  それが、独立して世界で200あまりの独立国が出来て、自由貿易が行われるようになったのは、「無謀にも」日本が大東亜戦争を起こしたからである。結果論であろうと、日本が明治以降、日清、日露戦争大東亜戦争を起こした事によって世界の植民地が解放されたのは、動かすことのできぬ事実である。

  政治は結果が全てである。である以上、日本は世界の植民地の独立を達成したのである。例えば、一度日本の手で、独立を宣言したインドネシアは、日本の敗戦後、再植民地化を目指してオランダが派兵してきたが、日本に負けた弱きオランダを見たインドネシア人は、四年間の死闘と数十万の犠牲を払った戦闘を続けて、独立を勝ち取った。

  こうして、世界の植民地は解放された。だが、大東亜戦争の開戦が後年遅れていたらどうなったかと仮定すると、日本の戦争が、最後の絶好のチャンスを逃さなかった事が分かる。もし五年遅れていれば、米国だけではなく、日本やソ連、その他の先進国は原爆とそれを運搬するミサイルを開発実用化していた。核兵器の時代に突入していたのである。

  これが何を意味するか、分かるだろうか。現在の核保有国間で、戦争は行われていない。つまり破壊力の過大な核兵器は、抑止力になって、戦争を行えない。つまり日本は米英の理不尽に挑戦はできない。逆に日本も米英に蹂躙される事はない。しかし、それは日本が、名誉白人国家として、植民地帝国の後ろに従うだけのことである。

  現在、チベット中華帝国から独立できない如く、核保有国は、遠慮なく植民地を蹂躙弾圧して、世界の植民地状態は固定化される。つまり、日本は、核兵器時代に突入する直前の最後に挑戦して成功した。もちろんそれは予想せざる事であった。だからこそ私は、日本が幸運な国だというのである。

  付言するが、ウクライナなどがソ連帝国から独立したのは、ソ連と言う植民地帝国の崩壊による。従って、通常の独立闘争では、容赦なく中華帝国に蹂躙される、ウィグルやチベットも、独立のチャンスは帝国の崩壊しかありえない。だが時間の経過はチベットやウィグルには不利に働く。

  ソ連帝国から独立した各国が、ソ連時代のロシア化政策によって未だに国内の分裂に悩まされているのが、それを実証している。例えば最近のグルジアでの戦争がそれを証明している。私は、ソ連は崩壊すべきだと願ったのであって、崩壊するとは予測はできなかった。ソ連の味方をしておきながら、小田実のようにソ連が崩壊するのは分かっていた、などと放言する嘘つきにはなりたくはないのである。

  中国はヨーロッパのような、中規模国家に分裂する方が、国民の幸せだと思っている。中国が、今のようにシーラカンスのような、現代の世界に存在する古代国家が、近代国家に変貌するには、それしかないからである。その事は、同じ支那系の民族が運営している、台湾やシンガポールの実績が証明している。

  しかし、近代国家への脱皮が五十年百年では到底できるはずがない事から、私が生きている間には、中国の分裂は起きるとは考えられない。台湾、シンガポールの例があると言うなかれ。かの国は、規模の小ささと、日本と英国の強制による教育の効果による事の影響が絶大なのであるから。

 声を大にして言おう。曲がりなりにも現在の世界が、西欧の植民地から解放され、近代社会にむかっているのは、日本のおかげである。
 日本は世界の宝である。
 次に世界がなすべきは、中華植民地帝国の解体である。14億の奴隷の解放は、それにかかっている。