資本主義の自壊・「中谷 巌の 懺悔」

 今日の産経新聞の「正論」に、
中谷 巌・「私が『懺悔の書』を書いた理由」
があった。経済音痴の私にも分かるので、備忘録として残しておきたい。
出典:http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090218/biz0902180334003-n1.htm

引用はじめ

■私が「懺悔の書」を書いた理由

 ≪遅ればせの「気づき」を≫

 昨年末、私は『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)という「懺悔(ざんげ)の書」を出版した。同著に対しては、多くの方々から「よく言った」という賛同と同時に、「時流におもねっている」「今さら何を」「守旧派に肩入れする裏切り者」といった多くのご批判も頂いている。

 もっともな批判も多いが、誤解も少なからずある。そこで、同著執筆の意図をここでもう一度簡潔に述べさせていただきたいと思う。

 同著執筆の意図は、結論的にいえば、
アメリカ流の新自由主義思想に基づく改革を進めていくと、「社会」が分断され、日本という国が持っている伝統的な良さや日本産業の競争力が失われていく
という点について、私の遅ればせながらの「気づき」を率直に書いてみたかったということに尽きる。

もともと、アメリカの個人主義的価値観に基づいて形成されてきた新自由主義思想を、国情の著しく異なる日本という国にそのまま当てはめるのは無理があった
し、事実、その結果、日本社会のあちこちに「ほころび」が出始めている。

 ≪「市場」を信用しすぎた≫

 筆者がかつて信じた新自由主義とは何であったか。この考え方は今でも多くの経済学者に支持されている考え方であるが、それは、資源配分は可能な限り、個人の自由意思が反映される「市場」に任せるべきであり、「国家」はできる限り市場への介入を避けるべきであるという考え方である。すなわち、個人の自由(と自己責任)を最大限尊重するために、政府は小さければ小さいほど良いとする考え方と言ってもよい。

 私が懺悔しなければならないのは、「市場」を信用しすぎた点である。実際、「市場」はどの程度信用できるのであろうか。今回の金融危機が示していることは少なくとも2点ある。

 1つは、経済学でいうところの「市場の効率性」は、市場参加者がすべからく完全な情報を有していることを前提にしているが、これは虚構であるという点。現実世界では情報は著しく非対称的であり、
情報優位に立つ者が「強欲」に基づいて「市場」を操作する現実
は「市場」が効率的でないことを示している。

 もう1つは、「市場」は本源的に「投機」であり、必ずバブルの生成とその崩壊を来すという点。事実、市場の歴史はバブルの歴史でもあった。グローバル資本主義が跋扈(ばっこ)した最近年だけをとってみても、1987年ブラックマンデー、90年日本のバブル崩壊、97年アジア通貨危機やロシア通貨危機、2001年のITバブル崩壊、そして今回の金融危機と続く。

 むしろバブルは「常態」なのであって、決して例外的現象ではなく、従って、「市場」は適切に管理されなければならない。この点はもっと強調されてしかるべきであると思う。

 さらに重要なのは、グローバルな市場が世界経済活性化に貢献したことは認めるにしても、それが所得格差を拡大する機能を持ったという点である。しかし、多くの経済学者は次のように反論するであろう。競争によって格差が発生したとしても、民主主義的な手続きを経た「国家」が税制や社会保障政策によって適切な所得再分配を実行に移せば、格差は是正され、その弊害は是正されるはずだ、と。

 ≪民主主義も万能ではない≫

 しかし、この考え方も、市場万能の考え方と同様、ナイーブな考え方である。なぜなら、
民主主義もどう考えても万能ではない
からである。というのは、競争の勝者が政治に与える影響力は敗者よりもはるかに大きいからである。まして、「格差は自己責任」とみる新自由主義者が支配的な影響力を持つ社会では、格差是正は不可能である。

 日本ではこの20年ほどの間に年収200万円以下の貧困層が激増した。非正規労働者が増え、正規労働者との不平等感が蔓延(まんえん)している。その結果、一体感を誇っていた日本社会が急激に分断され、それがかつての日本社会の「温かさ」を失わせている。

 企業組織内にも従業員間の分断が起こっており、それはおそらく日本企業の中長期的な競争力を損なうことになるだろう。

 もちろん、われわれは「市場」を否定することはできない。「市場」はおそらく人類最大の発明の一つであり、誰しもそこで得た自由を失いたくはないからだ。しかし、だからといってわれわれが「市場」に振り回されては何にもならない。われわれは「望ましい」社会を構想し、それを創るには「市場」をどう抑制し、どう利用するかという視点で改めて「市場」と向き合う必要があるのではないだろうか。(なかたに いわお)

引用おわり

http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php