東京裁判とニュルンベルク裁判(3)

 この田中上奏文がシナで流布され始めた当時は日本政府も一笑に付して偽書であると主張していましたが、その後、これに書いてある内容と似たような内容の満州事変が実際に起きると日本政府も驚き、これは日本軍の内部文書が流出したものが悪用されたのだろうと気付いたという次第でした。
 この満州事変によって田中上奏文は国際的に有名になってしまい、日本政府はこれが偽書であることを何度も説明したのですが、欧米のシナ擁護派のジャーナリストらは、「この文書自体は偽書であったとしても日本政府内にこういう考え方があるのは事実だ」と強弁しました。まぁ確かに満州事変(現地軍の暴走だったのだが)という事実がある以上、そうした意見には説得力はありました。それで満州事変後は田中上奏文は「偽書の疑いは濃厚だが書いてある内容には真実もある」という評価が定着しました。
 それがその後、1937年に日支事変が起きてからシナ贔屓の英米などで反日感情が拡大していき、この田中上奏文反日プロパガンダに多く利用されるようになり、そうした中で世界征服計画云々の部分が挿入されるようになっていったようです。

 ここにおいて提示されている見方は、日本の近代史が丸ごと世界征服のための侵略の歴史であるということと、台湾と朝鮮と満州は日本が不当に侵略した領土であるということです。ここには、日本を打ち負かした暁には台湾と朝鮮と満州を奪い取ってやろうという、カイロやヤルタで示された意図が秘められています。
 もちろんオリジナルの田中上奏文からし偽書なのですから、こんな二次的文書の類は全部何の根拠も無いプロパガンダに過ぎませんが、オリジナルに関して「書いてある内容には真実もある」という評価がありますから、二次的文書に加えられた世界征服云々の部分についても、その内容は真実であると英米の言論界などでは信じられていました。

 そうした空気が英米言論界で支配的なまま終戦となり東京裁判が始まるにあたって、戦勝国側は当然、この田中上奏文を根拠に「日本がシナを侵略しようとしていたことは明白だ」と主張したのでした。しかしオリジナル(これもまぁ偽書なのだが)の田中上奏文を根拠に主張できることはせいぜい「日本が満州を領有しようとしていた疑いが強い」という程度のことであり、これはこの文書が作成されたとされる1927年の10年後に起きた日支事変の時点で日本がシナへの侵略意図をもっていたことの証拠にはなり得ませんでした。
よって、結局は戦勝国側もこの田中上奏文なるものを東京裁判において正式な証拠としては提出することは出来なかったのですが、それでも、何せいい加減な裁判であったので、この田中上奏文の二次的文書類を根拠とした「日本が世界征服を企んでいた」という妄想が何となく真実であるかのような空気に支配されて審理は進められていったのでした。

 しかし、ここで百歩譲って、1927年時点で田中首相が日本による世界征服を企図してその手始めにシナ侵略を計画していたとして、その計画が1931年の満州事変、1937年の日支事変、1939年のノモンハン事件、1941年の大東亜戦争まで引き継がれていったということが立証されなければいけません。
ナチスドイツの場合は1933年の政権掌握から1945年の第三帝国崩壊まで一貫してヒトラー率いるナチスの高官達のナチス組織における共同謀議で戦争やユダヤ人迫害などが遂行されていましたので、その間に起きた戦争がナチスの一貫した計画に基づいたものだと立証することは容易でした。実際、このように共同謀議が立証出来なければ、個々の侵略的な軍事行動を一連の「侵略戦争」として、直接的に作戦に携わっていない軍や政府の高官を裁くことは出来なかったでしょう。よって、ニュルンベルク裁判ではこの共同謀議が立証出来たからこそ「平和に対する罪」という訴因が成立し得たのだといえます。

 そこで戦勝国東京裁判でも「平和に対する罪」を訴因として成立させるために、このニュルンベルク裁判でナチスに適用した共同謀議の理論を日本にも安易にあてはめたのでした。すなわち、1928年から1945年の日本の軍閥の指導者たちが世界征服のために一貫して共同謀議を行ったという歴史観でした。これが「東京裁判史観」というもので、それゆえこの期間内に起きた複数の戦争や事変を一連のものとしてまとめて「十五年戦争」などと呼称したりもするのです。

 しかし、この17年間の日本では内閣が17回も変わり、その指導者たちは政党や派閥、陸軍、海軍、宮廷勢力などバラバラで、実際に東京裁判で被告となった政治家や軍人に限っても、それぞれが敵対していることも多く、顔を合わしたこともないということもしばしばで、まぁ要するに日本では御馴染の政争をひたすら繰り返すだらしのない政治の有様なのですが、これでは鉄の規律のナチスのように共同謀議など成立するはずがないのです。よって「東京裁判史観」は荒唐無稽の歴史観であり、
東京裁判においては「平和に対する罪」は訴因として成立しないのです。これがニュルンベルク裁判と東京裁判の致命的相違点その1です。

4)人道に対する罪
 こうして「通常の戦争犯罪」は相殺され、「平和に対する罪」は成立しないとなれば、それらを無理に押し通すためには、ニュルンベルク裁判同様、異常に不公平な法廷ルールで押し通すしかありません。そうしないと裁判自体成立しなくなってしまいます。しかし異常に不公平なルールが前面に出てしまえば裁判の正当性を失わせてしまいます。
 そこでニュルンベルク裁判同様、ここで「人道に対する罪」の出番です。ニュルンベルク裁判のように、「ナチスによるユダヤ人絶滅計画」のような人類史上類例の無い凶悪犯罪を裁く「人類の法廷」ならば、日本に対して異常に不利なルールを適用して一方的なリンチのような裁判を行うことにも正当性は付与され、壮大なる「人類の法廷」としてショーアップすれば、このみすぼらしい東京裁判もかなり見栄えのするものになる可能性はありました。
いや別に「人道に対する罪」は冤罪でもデッチ上げでもいいのです。ニュルンベルク裁判のユダヤ人絶滅計画だってデッチ上げだったんですから。そもそも「人道に対する罪」なんて事後法もいいところなのですから、最初から法の原則など踏みにじっているのであり、こんなものを持ち出した時点でもうマトモな裁判ではないわけですから、単なる復讐イベントと割り切ってその醜悪さをエンターテインメントとして楽しめばいいのです。むしろ理不尽なデッチ上げのほうが野蛮なる憎悪と復讐のイベントとしての完成度は高くなり、観衆の劣情を刺激することでしょう。
 ところが、
東京裁判ではこの「人道に対する罪」は訴因に含まれませんでした。これがニュルンベルク裁判と東京裁判の致命的相違点その2です。日本の場合、ナチスによるユダヤ人絶滅政策に匹敵するようなインパクトのある犯罪が見つからなかったのです。
 いやナチスユダヤ人絶滅政策だって捏造だったのですから、同じように捏造してもよかったはずです。しかしナチスの場合、さすがにガス室や600万人殺害などの荒唐無稽はともかくとして、ユダヤ人を捕まえて強制収容所にぶち込んで強制労働させて50万人以上を死亡させたのは事実なのですから、こうした絶滅計画や毒ガス大量殺人などの捏造をされるだけの下地はあったわけだし、捏造した出鱈目にもそれなりのリアリティがあったのだといえます。ある程度のリアリティがあるからエンターテインメントとして楽しめたのです。
 しかし日本の場合、ナチスユダヤ人に対して実際に行った程度の非人道的行為も無かったので、無理に誇大な非人道的行為を捏造したとしてもリアリティのあるものになる見込みが無かったのでした。あまりにリアリティに欠けた嘘は観ていて白けてしまいます。それでも無理押しすればそれはそれなりに面白いものになったかもしれませんが、まぁ要するに度胸が足りなかったのでしょう。笑われて恥をかくのがイヤだったのでしょう。東京裁判の関係者はニュルンベルク裁判の関係者よりもいくらか羞恥心というものを知っていたのかもしれませんが、羞恥心があるならこんな裁判はそもそもやらないはずですから、やはり単に度胸が無かっただけでしょう。
 こんな裁判をやる時点で法の番人としてはそもそも問題外ですからそれはまぁいいとして、ここで問われるべきはエンターティナーとしての資質なのですが、こんな度胸無しではエンターティナーとして失格です。田中上奏文のような面白文書を却下してしまった時点でドラマ性というものを放棄してしまっているのですから間違っています。

 思えばニュルンベルク裁判はソ連が一定の主導権を握っていたから、あそこまで面白いものになったのかもしれません。ソ連法治主義などというものに一切の価値を認めていない社会でしたから、あそこまで大胆に法治主義を踏みにじって嘘八百ユダヤ人絶滅計画などを正当な証拠としても平気でいられたのでしょう。
 その点、東京裁判アメリカ主導で、アメリカ人は自分達の社会に適用する分には法治主義を重視する人達なので、ついつい東京裁判においても法治主義を完全に踏みにじることに躊躇してしまったのでしょう。しかし、こんな裁判をやる時点で法治主義とは無縁の存在に堕しており、別に少し法治主義にこだわったところでどうせ歴史に汚名を残すことは免れないのですから、そんなに法治主義にこだわる必要など無かったのです。思い切って、日本国内に朝鮮人絶滅収容所があって600万人の朝鮮人が毒ガスで殺されたなどという与太話でもデッチ上げれば良かったのです。しかし彼らにそんな度胸は無く、おかげで東京裁判は裁判としてはもちろんのこととして、政治ショーとしても何ら価値の無いものとなってしまいました。