東京裁判とニュルンベルク裁判(4)

5)「人道にたいする罪」と原爆投下
 いや、何もマッカーサー東京裁判の直接の関係者ら、すなわち占領軍当局が特別に臆病であったというわけではないでしょう。誤字脱字だらけの日本国憲法を1週間で書き上げて恥じない程度に思慮に欠けた人達でありましたから、彼らにさほど繊細に法治主義にこだわる感性があったとは思えません。そもそも法律など全く知らないのではないかとも思われます。
 彼らはフィリピンで日本軍に惨めに敗れて追い出され、その後復讐のためにニューギニアやフィリピンで日本軍と血みどろの戦いを続けて、日本軍を殺しまくり、また多くの戦友が日本軍に殺されてきた人達なのです。明確に復讐のためにどんな不正なことでもやるくらいの決意は持っていました。
 また、本国から奇特にも日本占領行政のために志願してやって来た若い軍事官僚たちや軍属たちの多くは共産主義者ソ連のスパイでありましたから、彼らの心の祖国の流儀に則り、法治主義を叩き壊すことにはむしろ快感を感じるはずでありました。だから占領軍に任せきっていれば、奇想天外な日本の「人道に対する罪」を裁く珍妙な「人類の法廷」という政治ショーを東京でも堪能することが出来たはずなのです。
 しかし、そのようにはならなかったのは、アメリカ本国政府の意向で「人道に対する罪」について東京裁判で触れないようにお達しがあったからでしょう。何故なのかというと、現職のアメリカ合衆国大統領トルーマンその人が日本人に対して「人道に対する罪」を明白に犯していたので、東京裁判で「人道に対する罪」を追及することによって、現職大統領の犯罪が蒸し返されることを恐れたからなのでしょう。
 そのトルーマンの明白なる「人道に対する罪」とは他でもない、広島と長崎の罪もない多くの民間人の頭上に予告も無しに原子爆弾を投下して30万人の生命を奪ったというもので、文句のつけようがない史上類例の無い凶悪犯罪でありましたが、不公平で鳴る「人類の法廷」でありますから、おそらく戦勝国の大統領が被告席に座らされるような野暮なことにはならないでしょう。しかし、世界の注目する復讐裁判ショーの場で何度もアメリカ大統領の残酷犯罪が話題に上るだけでも、生まれたばかりの新世界秩序の前途を不吉なものとするという心遣いが働いたものと推察されます。

 それだけでは安心出来なかったのか、新世界秩序のサポーターの皆さんは、とにかく原子爆弾の話が東京裁判の場で話題に上らないようにしようとしました。どうやら原子爆弾による「人道に対する罪」の話はトルーマン大統領にとっては何時の間にか触れてほしくないトラウマになってしまったようで、広島に原爆を投下した翌日には世紀の新兵器の戦果に興奮して喜色満面であったのが数カ月の間に嘘のようになってしまっていました。おそらく広島や長崎の被害状況の克明な調査結果が届いて、急に世間の評判が怖くなってしまったのでしょう。あるいは「そこまで酷いことになるとは思っていなかったんです」などと言い訳した挙句、神に叱られる悪夢でも見たのかもしれません。
 そうした大統領の心労を慮ってか、日本占領軍の言論統制チームは、配下の日本マスコミやエセ学者、秘密検閲官らをフル稼働させて、軍国主義擁護の言論や朝鮮人批判の言論、日本国憲法に関する批判の言論などと同じように、この米軍の素晴らしい超兵器がいかに軍閥の手下の猿どもを効率的に焼き殺したかという本来は英雄的な噂話まで徹底的に規制し禁止してしまったのでした。

 また、なんとか原爆の30万人虐殺の罪を隠蔽するために1937年12月に25万人が居住するシナの首都の南京で日本軍がシナ民間人を30万人虐殺したという荒唐無稽なシナ政府の嘘宣伝をそのまま法廷に持ち込んで、結局はあまりのいい加減さに立証出来ず恥を掻くなど、いろいろ涙ぐましい努力が行われました。
 そんな有様ですから、占領軍が仕切る東京裁判の法廷においても原爆の話題はタブーで、原爆の「げ」の字も出てこないように細心の注意が払われ、その方針を徹底するために、日本の法曹関係者の関与を一切排除するという異常事態となったのでした。
 ニュルンベルク裁判においてはドイツの法曹関係者の多くが裁判全体にわたって協力しました。ナチスを裁く裁判に賛同していたという事情もあったのでしょうし、あんな酷い裁判になるとは予想していなかったという事情もあるのでしょうけれど、基本的には法律家としての職業意識において敵味方の区別や裁判の出来不出来は度外視して、とにかく法の執行において何らかの協力をしたいという国籍や立場を超えた使命感によるものであったろうと思われます。まぁそういう純粋な使命感に後ろ脚で泥をかけたのがニュルンベルク裁判であったわけですが、それでも彼らの存在がいくらかニュルンベルク裁判の公平性や権威を見た目の上だけでも救済する効果があったのは確かです。

 法律家としての職業意識ならば日本の法曹関係者もドイツの法曹関係者と同じようなものであったはずです。何せ、もともと日本の近代法学というのはドイツ近代法学を模倣して発展してきたものだからです。だから日本の法曹関係者も東京裁判には協力するつもりであったし、彼らを引きこめば、この茶番のような裁判でもそれなりの格好はついた可能性があったのですが、占領軍当局は彼らの協力を拒んでしまいました。彼らが空気を読まずに原子爆弾の話題を出して話がややこしくなるのを恐れたのです。
これがニュルンベルク裁判と東京裁判の致命的相違点その3です。これによって東京裁判はそのもともと微弱だった公平性を最後のギリギリの一線で保つ命綱を自ら断ち切り、裁判と名乗る資格を全面的に喪失してしまいました。

6)天皇の問題
 このように「人道に対する罪」が訴因にならなかったことによって、この東京裁判の不条理かつ不公平な異常ルールはその存在正当性を失い、東京裁判は単なる不公平極まりない異常裁判となり、政治ショーとしても陳腐なものとなってしまいました。そして日本の法曹関係者の参加を拒んだことでもって、完全に日本人を裁く裁判としては失格となりました。
 こうなったら、せめて復讐の政治ショーとしてエンターテインメント性溢れるものとして、司法的には無意味でも政治的には何らかの意義のあるものを生み出すという道のみが残されていました。ニュルンベルク裁判がまさにそうだったのであり、すなわち、ナチスという巨悪をムチャクチャな方法でもなんでもいいからとにかく叩き潰す復讐の場として、裁くべき者が裁かれるべき者に出来るだけ重い罪で出来るだけ重い刑罰を与えるというカタルシスがあれば、それはそれで政治ショーとして上出来となるのです。

 東京裁判が政治ショーとして陳腐極まりないものになってしまっていたのは、このカタルシスが不足していたからでした。訴因に派手な目玉となる「人道に対する罪」を欠いていたのが痛いところでしたが、これがダメなら「平和に対する罪」のほうで、もう偽書でもなんでもいいから田中上奏文を持ち出して「日本による世界征服計画」でもって日本を裁くという派手な訴因を中心に据えれば、政治ショーとしてはなかなか良いものになります。もともとまともな裁判じゃないのですから、もう偽書であることなど気にしなくてもいいでしょう。ナチスユダヤ人絶滅計画だって出鱈目だったのですが、それでもちゃんと政治ショーを成立させることが出来たのですから、田中上奏文だって政治ショーの材料としてなら十分使えます。何故なら、ユダヤ人絶滅計画と同じく田中上奏文も戦時中から連合国側の人々にとっては戦時プロパガンダによって耳慣れていたので、十分にリアリティはあったからです。
 しかし田中上奏文の世界征服計画の場合、17年間で17回も内閣の変わった日本において共同謀議が成立しないことが一番のネックでした。しかし、よく考えれば共同謀議にそんなにこだわる必要など無いのです。田中上奏文を奏上したとされる側の田中義一は奏上(?)の翌年には死んでいますが、奏上を受けた(?)とされる昭和天皇はその後も存命で、終戦まで引き続き日本の最高権力者の座に君臨し続け、東京裁判時点でも全く健在であったのですから、昭和天皇を市ヶ谷の法廷にしょっぴいてきて尋問すれば、日本による世界征服計画の全容は明らかになるはずでした。

 なにも共同謀議など立証しなくても、17年間のどの局面においても昭和天皇が日本のトップに君臨していたわけですから、世界征服計画の罪だって昭和天皇一人を裁けば十分であったはずです。例えばニュルンベルク裁判だってナチスドイツの最高権力者ヒトラーが生きて捕えられていれば「ヒトラーを裁く裁判」という扱いになったはずです。残念ながらヒトラーは自殺していたのでニュルンベルク裁判ではそれは実現しませんでしたが、日本の最高権力者である昭和天皇は生きているわけですから、東京裁判は本来は「天皇を裁く裁判」となるべきであったのです。

 いや、立憲君主制の日本においての天皇には政治的責任は問えない云々の指摘はいちいち御尤も、重々承知のことですが、そもそも東京裁判などまともな裁判ではなく政治ショーに過ぎないわけですから、そんなまともな法学的な話をしても仕方ないのです。政治ショーとしてならば「天皇を裁く法廷」ほどセンセーショナルなものはなく、しかもその罪状が「世界征服計画」とくれば極上のエンターテインメントとなるでしょう。そもそもアメリカを筆頭に戦時中の連合国の世論においては天皇こそが日本における諸悪の元凶であり軍閥の親玉であると考えられていたはずです。東条だの板垣だのというのは所詮は小物に過ぎず、17年間の日本による世界征服計画の主導者は天皇であったはずだというのが当時の戦勝国の世論でした。だから、この裁判が日本の世界征服の企みに対する懲罰と復讐の政治ショーであるのならば、細かい法的根拠などはさて置いても、戦勝国民から見れば、とにかく天皇は「裁かれるべき者」であったのです。