鎮魂・ツーレロ節

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より、一部編集。
(今週の本棚)宮崎正弘

西部遭『サンチョ・キホーテの旅』(新潮社)
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 面白かった。感動的である。
西部氏の人生論的随想の連作を一冊にしたものだが、長編小説のようでもあり、いや、これは間違いなく西部さんの自伝小説を評論スタイルに直したものと気がつくのは読み終えて感動の余韻のなか、しばらくして得た結論である。
これらの連作は『表現者』と『北の発言者』に連載された。
 「あとがき」の担当者を知ってさらに驚きが続いた。新潮社出版部の富沢翔朗氏、知っているどころか、かなり親しい。村松剛さんの十周忌では、ともに準備で奔走した仲でもある。

 冒頭から福田恒在、秦野章、村松剛氏ら氏と共通の恩師や知人もでてくるが、この文章にさりげなく挿入されている次の語句にははっとさせられる。
 「我が国における保守論の系譜は、小林秀雄、田中美知太郎、福田(恒在)、三島由紀夫を数えていけばすぐわかるように、主として文学的な感性に頼って形造られてきた」。
 考えてみれば現代保守の論客は、殆どが文学青年を体験し、文藝評論から保守議論にはいってきた人の活躍が顕著である。江藤淳も、入江隆則も、桶谷秀昭も、西尾幹二も。竹本忠雄はマルローの翻訳を通じて、田中英道は小説を諦め美術評論へはいった。小堀桂一郎は古典との繋がりから。松原正漱石の研究からだった。

 本書の底流に流れるのは暗い情念である。
 戦後闇市時代を経て、昭和三十九年、東京五輪が成功し、平和の世の中。
ある日(ト言ってもおそらく三十代のころ)銀座の飲み屋でツーツーレロレロを一人呟いて天井を見ていた西部さんの隣席の老人がたずねた。

「何でその歌を、あんたのような若者が知っているのか」。

彼は沖縄戦で、弾薬が尽き、後退する部隊の後部にいた元兵士だったが、皆が白刃をかざしていたと涙を溢れさせながら、隣席の老人は言った。嗚咽しながら、
「一緒に歌ってくれ」
といわれ、西部さんはツーツーレロレロをうたった。

 なぜか、この情景を読みながら、或る寒い晩に、新宿の酒場で西部さんと二人で、突如「海ゆかば」を歌ったことを思いだした。
 
 水木しげるのマンガに「総員玉砕せよ!」という作品があった。

 ラバウルがあるニューブリテン島。ここの最前線での話。主人公・丸山二等兵(水木氏を思わせる)を中心に、軍隊でのつらい日々が描かれる。

     私はくるわに散る花よ ひるはしおれて夜にさく

     いやなお客もきらはれず 鬼の主人のきげんとり

     私はなんでこのような つらいつとめをせにゃならぬ

     これもぜひない親のため

 女郎の歌で物語がはじまるのだが、この歌が最前線で生きた兵士たちの気持ちを上手く代弁していた。丸山たち下級兵士は、来る日も来る日も重労働や上官からのビンタで休む間もなし。ちょっと何かあると(無くても)

ビビビビビン

と鉄拳が飛ぶ。

 上官 「初年兵とたたみは たたけばたたくほどよくなる」

このビビビビビンは全編通じて何度も描かれ、体験者水木しげるが最も理不尽で憤りを感じたところでしょう。

 そして、ついに米軍上陸。
前線部隊の壮絶な玉砕戦で、一部の兵が生き残ってしまう。後方のラバウルでは10万に及ぶ将兵がいるのに、生き残った最前線の僅かな兵たちにだけは再度玉砕攻撃命令が出る。
軍紀がゆるみかけたこの時期に、よくやってくれた。『あの部隊が玉砕した』ということで、ラバウルの軍全体が引き締まった。この方向でやりたいが、生き残りがいては示しがつかない」
との軍上層部の政治判断である。

そして上陸した米軍に対して再突入が行われる。

上官 「これから全員玉砕する 最後にお前たちの好きな歌をうたって死のう」 

  私は~な~あんで このよう~な つら~いつとめ~を せ~にゃなあらぬ

「女郎の方がなんぼかましだぜ」
「ほんとだ」

敵弾にやられた丸山の最後の言葉が胸に沁みる・・・

     「誰にみとられることもなく 誰に語ることもできず

     ・・・ただわすれ去られるだけ・・・」


あとがきで水木しげる本人が語るところによると、この話の90%は事実らしい。

靖国に祀られている英霊は、私らが思うほど「実数」は多くはないのかもしれない・・・・。