中華民国・国民党軍兵士の実態「敗走千里」
引用元:http://www.melma.com/backnumber_45206_4576841/
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『敗走千里』陳登元著 別院一郎譚 後序
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(読者の声4)あるブログで西尾幹二氏のGHQ焚書に関する連載論文での「敗走千里」 陳登元著/別院一郎訳という本が紹介されていました。 昭和13年に出た本で第二次上海事変から南京へと敗走を重ねる中国軍を内部から描いたものです。http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid699.html
ネットで検索したところ深川図書館にあり早速借りて読み終わりました。 図書館のものは単行本ではなく戦争文学全集第七巻に収録されたものですが昭和14年9月10日初版発行、9月20日には94版発行とありますからよほど売れたようです。 内容は上記リンクにかなり詳細に紹介されていますがとにかく面白い。 親日家の家庭に育った著者は15歳で来日、あっという間に日本語を覚え大学まで進み、あと半年で卒業というときに戦争勃発(昭和12年)、故郷のことが心配で一時帰国したところ強制徴募されてしまいます。 それも地下室に隠れていたところを密告され、あわや銃殺刑になるところを日本の士官学校を卒業した士官に助けられ前線行き。もちろん関係各部署へ1万元もの賄賂も払っています。 さて前線は上海近郊の塹壕。当時の国民党軍としては精鋭といわれていたはずですが、日本の基準ではとても軍隊といえたものではありません。 斥候を募ると参加志願者が押すな押すなの騒ぎ、もちろん略奪するためです。あたりの村であらかた略奪し尽くすと部隊の移動を願い出る。日本軍の攻撃が激しくなってくると今度は隊長に金を掴ませ斥候を逃れようとする。武器・弾薬は豊富で10日分の弾を撃ちつくさないと後方へ下がって休養できないからと飛行機めがけて無駄に弾を撃つ。兵隊たちはいつでも逃亡できるよう便衣を隠し持っているのはもちろんのこと。 農民出身の兵隊は塹壕の土をいじりながら、このあたりに芋畑があるに違いないと三人で芋掘りにでます。大収穫に喜ぶものの芋の袋が重くて匍って帰るには時間がかかりすぎると立ち上がったところへ日本軍からの射撃。 味方の塹壕からも応射があり猛烈な撃ち合いへ。夜が明け始めると逃亡兵とみなされ銃殺の恐れもある。そこはうまく回り込んで何食わぬ顔で塹壕に戻ると誰も気がつかない。 やっと弾薬も尽き第二線へ下がって休養、ところが5日ほどでまた前線へ出るよう命令が。 作者の中隊は王上尉(大尉)が日本士官学校卒、アメリカ帰りの政治士官のホウ中尉により反戦思想の者ばかりだとされたのだ。国民政府内部の欧米派と知日派の対立、中央と地方軍閥の対立が背景にあり、中央の意思はあくまで雑軍整理。 漢奸狩りも激しく日本帰りとしれたらただではすまない。たいした査問もなく、直ちに銃殺だ。 後方には婦女慰労隊が何十人もいるのだが彼女たちは看護婦兼政治士官の情婦のようなもの。なかでも一番の美人、李芙蓉をめぐるホウ中尉、王上尉のさや当ても前線へ戻される一因に。 前線では日本軍の攻撃は激烈を極め、トーチカの真下までトンネルを掘り強力な爆薬でトーチカを吹き飛ばすほど。 激戦のすえ退却を始めると町の入口には鉄条網、さらに督戦隊が機関銃で容赦なく撃ってくる。死体の山にもぐりこんで生き延びるも敗走に次ぐ敗走、軍首脳部へ次のような疑問が浮かんでくる。 「吾々は最初から長期抗日戦を覚悟し、日軍を奥地に誘導し、以って彼等を奔命に疲らせ、殲滅するの策戦に出づるのだ」というお題目が事実とするなら、吾々の軍隊は尚更、野砲、野重砲の如き威力ある武器を最初から用意しなければならなかったのだ。野戦に於て、機銃や迫撃砲が、野砲、野重砲の敵でないことは戦わぬ前から分かっている筈だ。 それだのにそれらのものを用意しなかったということは、吾々の軍首脳部は上海の市街戦に於て日軍を撃退する-という一本立ての策戦しか立てていなかったことを暗黙の裡に白状しているのだ。「長期抗日戦」-そんなものは、蒋介石一族、親露派、英米派の失敗の跡を誤魔化そうというこけ威かしにしか過ぎないものだ。 そんな疑問を抱えながらの塹壕生活、ある晩、野犬を捕まえて肉を焼いているとまたしても日本軍の砲撃。 月夜で煙が目印となったのだ。なんとも間が抜けている。あとは西へ西へと敗走を重ね敗残兵として味方の炊事兵まで襲って粥を奪う始末。最後は負傷し病院で目覚めるところで終わる。 別院一郎氏の全集の序によると作者陳登元の手記を元にした小説であると断っている。『敗走千里』陳登元著 別院一郎譚 自序
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『敗走千里』陳登元著 別院一郎譚 後序
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東京に残してきた恋人への思いや李芙蓉をめぐる恋の駆け引きなどいかにも小説です。略奪、督戦隊、規律のない中国軍の実態を描いた本作品を読むと南京攻略戦での中国軍が一般市民を殺傷して便衣兵となったこと、中国兵の死者のうちかなりの数が督戦隊によるものであったこともわかります。 それと日本兵が百人切りなどしている暇もないことも。戦後は中国兵による略奪・殺人も督戦隊による死者もみな日本軍のせいにされてしまったのですね。 (PB生) (宮崎正弘のコメント)まったくその通り、かれらの虐殺の罪まで日本兵に濡れ衣。それを信じ込ませようと涙ぐましい反日宣伝に反日映画。それも、しかしながら中国の新世代にはあまり影響力なし。 中国においてすら反日過激派はカルト化しています。台湾の高金素梅のように。