筒抜けの「真珠湾攻撃」

ワシントンで 日本との戦争が 検討されてから数十年が経過していた。1909年に米海軍は真珠湾を太平洋の主要基地に選び、その後、対日戦を体系的に検討し始めた。
 真珠湾攻撃直前にスチムソン陸軍長官は日記にこう書いている。 「ルーズベルト大統領と会い、戦争の可能性について話し合った。 問題なのは、米国にとって大きな脅威にならない程度で、日本に戦争の口火を切らせるにはどう操ったらいいかだ」
http://www.asahi.com/international/aan/column/011207.html

1941年11月18日には『HITOKAPPU BEY』が傍受
(ヒトカップ湾(単冠湾)とは真珠湾攻撃のために日本海軍機動部隊を集結させた場所)
1941年12月2日には『Climb NIITAKAYAMA 1208』が傍受
http://ameblo.jp/keito--keito/archive1-201008.html
>>63
>ヒトカップにせよニイタカヤマにせよ、それは何の意味も無いのだが。
>何が言いたいの?

「ハワイ機動部隊指揮官の南雲がもっともお喋りだった。米海軍無線監視局で
傍受した日本海軍電報のうち、半分近くが南雲から発信されたものであった。
著者はこれら傍受電報を7つに分類した。
A 南雲司令長官発信の電報 60通
B 東京から機動部隊の艦船あて電報 24通
C 空母発信の電報 20通
D 航空船隊司令官発信の電報 12通
E 第一航空隊の空母以外からの電報 8通
F ミッドウェー破壊隊からの電報 4通
G 航空船隊司令官あて東京電報 1通
合計 129通
スティネット「真珠湾の真実」
http://www.kanshin.com/keyword/720323

「森村は真珠湾に関する秘密情報を、日本外務省の津暗号を使用して送ることになる。1941年中の8ヵ月間、
森村は津暗号を使用して、真珠湾を徐々に日本の爆撃機雷撃機の標的に仕立てあげてきた。12月3日、
彼はPAといわれる単純な外交暗号に切り替え、真珠湾攻撃前の最終報告を送った。アメリカの暗号解読班
は津暗号とPA暗号をすでに解読していたので、3日発信の森村報告をその日のうち解読、翻訳した。
森村が連続して津暗号を使用し、最後にPA暗号で報告したので、真珠湾が日本軍の主要爆撃目標と
なっていることが確認された。」p168
http://www.kanshin.com/keyword/720323


ルーズベルトが参戦して、アメリカは不況を脱した
という話(出典不明)

半世紀以上前のアメリカの株式市場の大暴落ですが、
それによって、 民間企業ら大勢 に対する、銀行らの貸し付け が、大幅に 減った のに、フーバー政権は、国債を発行して、銀行らへ売りつけ、 銀行らから、 そうして借り上げた 資金 で、公共事業らを行う事を通して、仕事上の所得らを アメリカ国民らへ 提供する、という事を行わずに、いずれ、 景気が 回復するだろう、という、宗教上の信念を除けば、何の根拠も無い期待をもって、ひたすら成り行きに任せる事にし、アメリカ経済を、本格的に縮小均衡化させ、
大恐慌 と呼ばれる 惨状 へ 陥れてしまいました。

次のルーズベルト大統領 は、国債を増発し、財政出動を拡大して、
アメリカ人たちへ、所得付きの仕事らを回しまくった ので、
一応の景気回復を実現し得たものの、
1937年に、
財政再建派の無学の圧力に負けて、政府支出を減らし: すなわち、
政府が、政府の借金を返し 始めた せいで、米国の景気を、二番底へ叩き落としてしまった為に、

日本との 戦争を 始めて から、ようやく、戦争用品らの生産と 供給との各現場などへ、出来る限りの働き手らを当てがって、仕事上の所得らを 獲得させしめ、
アメリカ国民らの憎むべき相手を、
経済無策だった米国の支配層ではなく、日本 へとすり替えると共に、
本格的な景気の回復をも果たす、
という、
離れ業をやらざるを得なく成ったのです。

アメリカ国民一般に恨まれて当然の、経済失策を後押しした、米国の支配層の者らには、
戦争用品を造る、事業や、それへの投資を行う機会ら等を与えて、儲けさせ、
資本らを吐き出させて、彼らに吐き出させたものらで、一般アメリカ国民らが 食って行ける 様に 段取り し得る 状況 を もたらしたのが、

景気の二番底を、自らの政府の借金の返済の付けとして、招き寄せてしまった、アメリカ にとっては、

日本 との 戦争 だった のです。