アメリカ(ルーズベルト)の日本先制爆撃計画(1)

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■■ 国際派日本人養成講座 ■■地球史探訪: アメリカの対日先制爆撃計画

真珠湾攻撃の1年も前から、ルーズベルト大統領は対日先制爆撃計画を進めさせていた。
■1.ルーズベルト大統領が語らなかった真実

 70年前の昭和16(1941)年12月8日、日本の真珠湾攻撃の直後、ルーズベルト大統領が行った上下両院合同議会での演説はラジオで全米に放送され、数百万のアメリカ人が聴き入った。

 その演説の中で、大統領は真珠湾攻撃を「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」と非難した。
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「 しかしながら、その中で合衆国大統領は、アメリカの爆撃機による日本本土に対する焼夷弾爆撃を後押しする計画があったことを明かさなかったし、ビルマで活動を展開中のアメリカ特別航空戦隊の件にもいっさい触れていない。[1,p295]
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 こう語るのは『「幻」の日本爆撃計画』[↑]の著者アラン・アームストロング氏である。氏は膨大な公文書から、大量の爆撃機パイロットを中国に送って、中国から日本本土を爆撃しようとするJB-355と呼ばれた計画の全貌を明らかにした。氏は結論部でこう述べている。
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 JB-355計画が生まれた政治状況は、アメリカが公式には交戦状態にない時期に、事実上、一交戦国を援助し、軍事行動を率先して計画・実行しようとしたアメリカ大統領の姿を明らかにしている。

もし1941年の夏に、JB-355計画の全貌がアメリカ国民に知られていたとしたら、大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない。[1,p319]
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 ルーズベルトはこの前年に3選を果たしたのだが、その時の公約は、欧州で生じていた第2次大戦に米国は決して参加しないというものだった。当時、参戦に賛成する米国民は3%しかいなかった。その米国民には極秘で、こんな策謀を進めていたのである。[a]
a. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html
■2.「中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだ」

 1940(昭和15)年12月8日、真珠湾攻撃の1年前に、財務長官のモーゲンソーは蒋介石代理人である宋子文とともに、ルーズベルト大統領との昼食会に出席した。

 当時の蒋介石政権は内陸部の重慶にまで追い詰められていた。また米国は、石油や鉄鋼の対日輸出を禁じていたが、あくまで経済的制裁にとどまり、建前としては中立の立場を維持していた。

 昼食会後の宋子文との会話を、モーゲンソーは以下のように記録している。
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 そこで私は、1942年までに航空機を提供できるかもしれないが、東京や日本のその他の都市を爆撃するために使うという了解の下で、長距離爆撃機を数機供与するというアイデアについてどう思うか、と宋に尋ねた。彼の反応は、控えめに言っても熱狂的だった。・・・

私は宋に、この件に関して大統領とは相談していないと言ったが、それが大統領のアイデアであることはほのめかした。事実、部分的にはそのとおりで、なぜなら、大統領は私に、中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだと語ったからだ。[1,p68]
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「中国側がこれを実行するなら、極東情勢の全貌が一夜にして変わると私は確信している」とモーゲンソーは記している。


■3.日本の都市は「木材と紙だけでできている」

 この会談の後、宋子文蒋介石の覚書をモーデンソー経由でルーズベルトに提出した。その中にはアメリカとイギリスから派遣されたパイロットと整備工によって機能する、200機の爆撃機と300機の戦闘機からなる特別航空戦隊の結成を提案しており、また日本から1000キロ以内の範囲に、利用可能な軍用飛行場がいくつかある事を指摘していた。

 モーデンソーの記録では、この覚書を読んだ大統領は「非常にご満悦」であり、即座に具体的な計画の策定を命じた。そこでモーゲンソー、宋子文、さらに中国空軍の幹部・毛邦初将軍、毛にスカウトされて米陸軍航空隊を除隊し、中国空軍を指導していたクレア・シェノールトが参加して、具体的な計画を打ち合わせた。

 その中で、モーゲンソーは、日本の都市は「木材と紙だけでできている」ので、焼夷弾の投下を勧めた。なぜ財務長官であるモーゲンソーがこんな事まで知っているのか。実はこの数ヶ月前、東京のアメリカ大使館付海軍武官から次のようなレポートが送られていた。
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 (日本の家屋の)100中99は、驚くほど早く引火する薄手の木材で建てたものだ。日本の都市一帯に焼夷弾をばら撒けば、これらの都市の主要な部分は灰燼に帰すだろう。・・・

 輸送施設はすでに過密であり、民間人の避難は著しい困難を伴うだろう。日本のすべての家庭はすでに満員の状態だから、難民の収容施設は限られている。

 飛行機工場、鉄鋼・ガス会社、主要交通機関、政府建物などを含む重要な爆撃目標の完成したリストは、近く作成し、送付するものとする。
[1,p106]
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 日本爆撃のアイデアは、ルーズベルトの個人的な思いつきというより、ある程度、組織だって準備されつつあった、ということを窺わせる。

 それにしても、この海軍武官のレポートからは、一般市民への無差別爆撃が重大な戦争犯罪であるという認識のかけらも感じられない点に留意したい。
日本爆撃の候補となった爆撃機
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ロッキード・ハドソン長距離爆撃機(軍用開発:1939年・航続距離:3,200Km・爆弾積載量:640Kg)資料によって数値に差がある。
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爆撃機は、浙江省(長江の河口地方)から飛び立たせる予定だった・Bombing Japan from China
■4.ソ連スパイだった大統領補佐官の後押し

 しかし、この計画はマーシャル参謀総長が疑問を呈したために、一時停滞した。彼は、イギリスが対独戦のために爆撃機を必要としており、中国に多くの爆撃機を送ることは、それだけイギリスを劣勢にする、と主張したのである。

 日本爆撃の計画を再び推し進める原動力となったのが、大統領補佐官として中国を担当していたロークリン・カリーだった。カリーは1941年春に中国を訪れ、5月に米国に戻ると、大統領宛てに覚書を書いた。大統領からは、航空機供与を含む対中支援計画を進めるよう指示が出された。

 カリーは、マーシャル参謀総長にも文書を送り、京阪神地域と京浜工業地域への空爆を提唱し、そのために同年10月1日までに中国に350機の戦闘機と150機の爆撃機を提供することを提案していた。

 カリーは戦後、ソ連のスパイとして追及され、本人は容疑を否定しつつも、南米コロンビアに逃れた人物であった。カリーがソ連と極秘情報のやりとりをしていた事実は、その後、米暗号解読機関が確認している。

 著者のアームストロング氏はこの点を深く追求していないが、当時の状況から見れば、ソ連のスパイとして、カリーが対日爆撃計画に注力したのは当然と思える。

 日本が蒋介石政権を打倒し、中国全体を支配すれば、毛沢東中国共産党も一掃されてしまう。ソ連はドイツからのみならず、背後から日本の脅威を受ける。日本と蒋介石を戦い続けさせて共倒れにさせることが、ソ連にとって一石二鳥の戦略なのである。

 また米国を対独・対日戦に参加させることは、ソ連を大きく有利にするもう一つの戦略であった。ルーズベルトは、最後通牒とも言うべきハル・ノートを送って、日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃に立ち上がらせたのだが、その案を作成したハリー・デクスター・ホワイトもソ連のスパイであった。

 この時期のルーズベルトは、スターリンの送り込んだスパイたちによって操り人形となっていた感がある。対日爆撃計画もその一環ではなかったか。
続く