大東亜戦争の世界史的意義

(読者の声2)日本人は最近やっと自虐史観から目覚めつつあるようですが、世界史的な視点で見ると欧州人の方が日本を正当に評価していて驚くこともあります。
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有名なところでは英国のアーノルド・J・トインビーの言葉。
  第2次世界大戦によって、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大なる歴史を残したと言わざるを得ない。
  その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかにした点である。
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ご覧なさい。アメリカやイギリスやオランダは、大東亜の人たちを、軍隊の力で抑えつけ、こんなに悪いことをしていたのです。

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私たちの大東亜を、私たちの手に返そうと、日本は立ち上がりました。そして強い日本軍は、敵を大東亜から追い払いました。

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今、満洲国では、みな力を合わせて働いています。日本国と中華民国(汪兆銘の南京国民政府)は、同盟を結びました。フィリピン国とビルマミャンマー)国は独立しました。タイ国は国が広くなりました。ジャワ(インドネシア)やマライ(マレーシア)の人々も、大切な役目に就いて働いています。インドもイギリスを追い払おうとしています。これから大東亜の国々はそれぞれ立派な国になり、互いに仲良くするのです。
以上、出典: http://2bangkok.com/wwiipropaganda.html


 昭和天皇の時代、欧州で反日的なアピールの多い国といえば英国とならんでオランダがありました。ABCD包囲網の中で真っ先に脱落しながら、戦後はイギリスの助力でインドネシアを取りもどそうとして返り討ち。終戦後、報復裁判での日本軍将校の処刑も多かった。とくに加賀藩主前田家の末裔、前田利貴陸軍大尉の処刑などあからさまな報復裁判でした。
http://yamano4455.jugem.jp/?eid=9

そんなオランダですが、平成三年、日本の傷痍軍人会との親善パーティーでのアムステルダム市長エドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)氏のことばがあります。以下、動画サイトより。

アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】
http://www.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4&feature=related
https://www.youtube.com/watch?v=tExuM7vsAsY

 クリックすれば、動画を観られる。
  あなた方日本は、先の大戦で私どもオランダに勝ったのに大敗しました。今、日本は世界一、二位を争う経済大国となりました。私たちオランダは、その間屈辱の連続でした。すなわち、勝った筈なのに貧乏国になりました。戦前はアジアに本国の36倍もの面積の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で、本国は栄耀栄華を極めていました。今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。
  あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。あなたの国の人々は過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦目先のことのみ取り上げ、あるいは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるでしょう。
  本当は私たち白人が悪いのです。100年も200年も前から、争って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大にして崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。本当に悪いのは、侵略して、権力を振るっていた西洋人のほうです。
  日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。すなわち日本軍は戦勝国のすべてを、東亜から追放して終わりました。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。
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 親善パーティの参加者全員が感動したのは、言うまでもない。ヴァン・ティン氏はやがて、国民から推されてオランダ王国の内務大臣に選ばれた。
 アジア諸国だけでなく、戦勝国の多くの人達も、大東亜戦争における日本の正当性を認めています。
現在、日本に謝罪と賠償を求めている国は、日本と戦っていない共産党中国と南北朝鮮だけです。世界から見ても、日本の「私たち日本が悪」という自虐史観は異常なのです。
すべての日本人が真の誇りを取り戻して、祖国を素直に愛せるようになることを願っています。
 オランダをイギリスに置き換えても同じです。
インドをはじめとする植民地をすべて失い、中東の油田もアメリカが奪ってしまう。残ったのはアメリカからの膨大な借金でした。
西尾幹二氏の著書でルーズベルトが参戦に積極的だった理由の一つとして、もしイギリスがドイツに敗北するようならばイギリスの権益をアメリカがそっくり頂いてしまおう、という思惑があったのではとしています。
アメリカ独立以来、英米関係は同盟よりも競合することが多いライバル関係でした。中国での権益を日本から奪いたい思惑もあったでしょうが、イギリスの権益に関していえば、戦争に参加しなければ権益の確保もない。イギリスから覇権を奪うと共に、日本からは共産主義との闘いという重荷を引き継いでしまったのは計算外なのか自業自得なのか、どちらでしょうね。 (PB生、千葉)
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宮本三郎 画  「飢渇」 1943年
 飢えと渇き・・・。左腕を負傷した兵士が這いずりながら水を飲もうと水溜りに顔を寄せる。水面に写る自分の目玉が大きく飛び出していることに驚く。右手の指先には小さな花。
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|  その五弁の白に見入って                 
|  妻と子や                        
|  故郷の思いを                      
|  君はひそめていた。                   
|  やがて十倍の敵に突入し                 
|  兵として                        
|  心のこりなくたたかいつくしたと             
|  私はかたくそう思う。                  
|  君の名を誰もしらない。                 
|          (アナキスト詩人、秋山清「白い花」)  
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外国なら栄誉礼で遇されるはずの
大東亜戦争の「名もなき英雄」は、少なく見ても10万人は下るまい。
「名もなき英雄たち」をこれほど輩出した国は、空前絶後ではあるまいか。
彼らのおかげで命ながらえた銃後は、
敗戦を理由にキレイサッパリと英雄たちを忘れてしまった。
彼らは、どこへ行ってしまったのだろう。
南海や密林にかばねをさらして朽ち果てたままなのであろうか。
「いや、彼らは靖国に還ってきている」と言う人はいる。
本当に、そうなのであろうか?
国民の大多数がそう信じて英霊を祀るでもないのに、
彼らは「護国の鬼」になってくれるのであろうか・・。

私のコメント
 講談社の絵本『大東亜共同宣言』は、Japanese Propaganda として外国資料に引用されているが、今日から見てもその主張は立派である。
大東亜共同宣言なんて、日本の負けがこんできてから大急ぎででっち上げたシロモノだろう」と言う人(三宅久之)もいたが、
それは間違いだ。
真珠湾攻撃の翌日、日本は「大東亜共同宣言」と同趣旨の帝国政府声明を発表している。
これは、前日の開戦の詔勅を受けた政府声明である。 
「而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こす(開戦)のやむを得ざるに至る、なんらその住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して(白人を追放し)、東亜を明朗本然の姿に復し(植民地に成る前の東亜へ戻す、即ち独立国家に戻す)、相携えて共栄の楽を分かたんと祈念するに外ならず(大東亜共栄圏を確立、)。帝国は之ら住民が我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足(八紘一宇の実現)を期すべきを信じて疑わざる物なり」
帝国政府声明に「東亞に於ける英米の暴政を廃する(白人支配の植民地を開放し、アジア諸国の独立を助け、共に繁栄する)」と、戦争目的が明記されています。
戦地へ送られる兵隊は、輸送船上でこういう訓令を受けたのだ。

 大東亜戦争は、東南アジアの欧米列強の植民地を独立させる起爆剤になった。
「大東亜戦争」を信じて、母国の敗戦後も現地に残って植民地独立を戦い抜いた日本軍将兵らがいたことは、インドネシアの「ムルデカ」に描かれている。
ベトナム初の陸軍士官学校の教官は、旧日本軍将校だった。
ベトナム秘史に生きる日本人がいた。

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戦後70年、ガダルカナル島に行った日本人が現地の私設戦争博物館(事実上のガラクタ置き場)を訪れた。そこで見せられた、日本語が刻まれた飯盒(はんごう)のフタを何気なく撮影した。

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後日、フタに刻まれた文字が判明。「志はたす日」と読めた。
「それに気付いたら、急に胸が苦しくなりました。」
ドナルド・キーンがガダルカナルで感じたこと

 日本軍の軍事教練と民族教育で「意識を高めた独立戦争」のショックが、その他のアジアやアフリカに、そして南米から南太平洋に波及して世界の植民地が独立し、戦後世界の国際情勢を変えたのは事実である。
1960年代のアメリカの「公民権運動」も、この世界的な流れを受けた運動だった。この名は、「アメリカ黒人の公民権獲得」運動だったことを隠している。南北戦争が黒人奴隷を解放した」のはウソだったのだ。
大東亜戦争は、「大航海時代(大侵略時代)」から続いた白人支配の500年を終息させ、有色人種を解放したという世界史的意義を持っているのだ。

ところが、

この変革の世界史的意義にもっとも無知だったのが、我々戦後の日本人であった。

 マッカーサーが「大東亜戦争」の名を禁じて、「太平洋戦争」の名を押しつけた。日本政府も知識人もマスコミどもも、唯々諾々としてこれに従い続けたからである。それまで当然だった「アジアの欧米植民地を解放する戦争」は、戦後の国民から忘れられて行った。
それでも、はじめの頃はこんな話がチラホラ聞かれた。
子供が西部劇映画でインディアンがやられるシーンで歓声をあげると、老人に怒鳴られるのである。
「なんだ、お前は!同じ有色人種がやられるのがそんなにうれしいのかっ!」
老人には
あの人種戦争の記憶が生々しかったが、
子供はなんで怒鳴られるのか分からなかった。教師も親も新聞も、それを言わなくなったからである。

戦前の日本は、悪意ある列強のブロック経済に閉め出されて貿易で苦しんだ。戦後日本の繁栄は、自由貿易によって成り立ってきた。世界の植民地が独立したからこそ、自由貿易が可能になったのである。戦後日本人が特ア以外で一目置かれたのは、日本兵が勇敢だったからである。

実は、特アも認めている。朝鮮戦争当時、戦況悪化で苦戦してもなかなか引かない米軍を見て、中共軍の前線にはこんな噂が広まった。
「米軍の中には、日本兵がまぎれて戦っている」
と。共産軍の捕虜から生還した米兵の証言だ。
「なあ、お前、本当のことを言えよ。おまえらの部隊には日本兵がまぎれて戦っているんだろ?」
と尋問された、と。共産軍は「こんな勇敢な戦い方をするからには、日本人が指揮しているに違いない」と思ったのである。勝ったとは言え、米兵は日本兵に鍛えられたのだった。

自虐史観が触れない「戦前の国際経済情勢」
石原慎太郎 談】日本人に知ってもらいたいのはね、僕はね、若くして世に出てね、いろんな人の紹介でね、初めてエジプトに旅行に行った時にナセルに会ったんですよ、ちょっとの時間。それからその後も、スカルノさんにも会いました。二人が同じ事言いました。マハティールさんも同じような事を言ってます。特にナセルが言った事は、「石原さん、我々が独立できたのは、日本のおかげだ」と。「日本軍のおかげで我々は第三次世界大戦を勝ち抜けた」と。「第三次世界大戦って、何ですか?」。「独立戦争ですよ。あなた方がやったおかげで、我々は独立できた。これはねえ、日本がなかったら、私たちはいまだに植民地だった」。僕は、その通りだと思いますよ。
24:42~:https://www.youtube.com/watch?v=j92sUWYM0QA

これらは英霊の遺産である。

これに気づかぬまま、我々は遺産を食いつぶそうとしている。

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日本の民主党政権時代にイギリスの新聞に載った 「落ちる日の丸」。
大日本帝国は敗れたが、大東亜戦争大英帝国を解体した。イギリス人には、日本を好敵手と見る人々がいる。彼らには、こう映ったのである。

先人の労苦をケロリと忘れ、日本が成し遂げた世界史的偉業も知らないのは、むしろ我々ではなかろうか。

日本が漂流するのは、当然と言わねばなるまい。