童話・インパール作戦

インド独立の原点が日本にあるといったら驚く人が多いに違いない。インド独立の闘士はガンディーでありネルーだった。
 だがもう一人、インド独立史に名を遺した志士がいた。スバス・チャンドラ・ボースである。
 植民地支配にあったインドのガンジーネルー宗主国と戦わず、宗主国の戦争を支援していたのだから不思議だが、チャンドラ・ボースは戦争中にシンガポールインド国民軍の総帥となり、イギリスに宣戦布告した。いわば枢軸側に立った人物である。チャンドラ・ボースインド国民会議派(ガンジーやネルー)とたもとを分かち、日本軍とともにインパールへ進撃・敗退。終戦の3日後、台北で乗っていた飛行機が墜落して非業の死を遂げる。

 戦後、イギリスは宗主国に牙を剥いたこのインド国民軍を戦争裁判にかけ、植民地支配の威信を取り戻そうとした。だがことは単純に終わらなかった。戦争が終わってみると彼が育てたインド国民軍が一夜にしてインド解放の象徴的存在に変わっていた。イギリスによる報復は裏目に出た。インド国民会議派は裁判に弁護士団を送り込み、労働組合ゼネストに入った。大英帝国の番犬と揶揄された英印軍までもがイギリスに砲弾を向けた。この結果、裁判の進展とともにインド全土が騒乱状態となり、イギリスがインド支配を諦める引き金になったというのが歴史の真相である。1947年、インドが独立を達成すると、ボースは日本に協力したとして戦後のインド独立史から名前が抹殺されかけるのである。
 25年ほど前、チャンドラ・ボース肖像画ニューデリーにあるインド国会に掲げられ、市内には「チェロ・デリー」の掛け声も勇ましい軍服姿の銅像まで建てられた。ガンディー、ネルーに次いで3人目の国父としてボースはようやくインド正史にその名をとどめることになる。
インパール

東條英機歴史的評価
http://blog.goo.ne.jp/goozmakoto/e/2868558002fe0a00c00d141dd1523138?fm=entry_awc
インパール作戦インド国民軍INAの指導者のチャンドラボースのインド独立戦争の情熱にほだされて東條が実行を決定したものであった。作戦で倒れた多くの兵士には哀悼の意を捧げるしかないが、その作戦目的はインド独立と言う壮大なものであった。インパール作戦に日本の勝機があったことは英軍の幹部が証言している。最大の問題は作戦発動の時期が遅かったことであった。
 しかしインド独立の始まりは、日本の敗戦後、そのINA幹部を処刑しようとした英国に対してインド全国で暴動が起きた事である。インパール作戦は実際にインド独立の契機となったのである。

インパール作戦とインド」
http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/521337/
 日本では殆ど知られていないが、インド独立のきっかけは大東亜戦争にあった。英国の歴史家・ロンドン大学教授のエリック・ホプスバウは、二十世紀を回顧した近著『過激な世紀』の中で、「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく、日本軍とチャンドラ、ボース率いるインド国民軍(I N A )が協同してビルマ(現ミャンマー)経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた。」と述べている。

インパール作戦の真実」
http://blog.goo.ne.jp/goozmakoto/e/8830bf4336db45fc20703dbb75fb46df

日本兵士をたたえるインドの人たち
「日本軍が来るのをみんなが待っていた」
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/08/post-ba53.html


インド独立の契機を与えた日本
http://vaccine.sblo.jp/article/16995989.html
印度の独立は、日本のお陰で三十年早まった。これは印度だけではなく、ビルマインドネシア、ヴェトナムを初め、東南亜諸民族共通である。印度四億の国民は、これを深く肝銘している。印度国民は、日本の復興に、あらゆる協力を惜しまないであろう。他の東南亜諸民族も同様と信ずる(フラバイ・デサイ)。

インドの独立に貢献した日本人(カマちゃん)
http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/44399362.html

インド独立と日本
http://ochimusya.at.webry.info/200908/article_18.html

地図類「ビルマの戦い」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

大地図
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/alacarte/post_231.html

チャンドラ・ボース物語
http://dogma.at.webry.info/200708/article_13.html

中地図
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100224/1266968042

小地図
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2008/09/post-36de.html

ねずきち「インパール作戦 続」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1170.html
コメント……英語も中国語も敬語がなく、丁寧語は少ない。「わたくし」も「私」も「わらわ」も。「オレ」も「僕」も「ワシ」もない。中国語の一人称の主語は「我」であり英語は「I」だけ。
 言葉に深みがあるのは、どうしても日本語の強み。
 評者が中国へ行ってよく指摘されるのは「なぜ中国人社会では宮崎さんは、あれほど横柄なのか?」。自分では気がついていなかった。
英語を喋るとき、集中して論理を構築することに努力し、なぜか身振りも大げさになり、手を広げたりしている自分を発見するが、日本語で会話しているときは、むしろ敬語、相手への思いやりに気がいって、言葉を選ぶことに気を遣う。
中国では横柄な態度を意図的にやっているわけではなく、中国語が本来、尊敬語も丁寧語もない、貧しい語彙力の言語体系である以上、どうやって詭弁を弄するかにエネルギーが注がれる……
http://www.melma.com/backnumber_45206_5105105/ インパール

ウィキ インド国民軍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%BB%8D
インパール遺骨収集再開2009
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2011/12/post-9ec7.html

バングラデッシュ通史
http://blogs.yahoo.co.jp/samberasam51/26938638.html

第三次印パ戦争1971のあまりよくない写真
http://englishclass.jp/reading/topic/Indo-Pakistani_War_of_1971


日本の教科書の「反日
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4166608045/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

野外の日の丸写真
http://www.newguinea-nagano.jp/currenttopics/topics_2009_01.html

英霊の遺産と言えば・・・・・、

十年以上昔の新聞記事にこんなのを見た。
「アラブ世界では、特攻隊の記録映画が大人気なのである。反米の彼らは映画館に押し寄せ、映画に見入るのだ。特攻機が突入に失敗して水煙を上げて撃墜されると、観客らは自分の胸をたたいて悔しがる。見事に突入してアメリカ空母が炎上すると、館内われんばかりの大歓声とどよめきが巻き起こるのだ」。
 それより2~3年後から、イスラム過激派の「自爆テロ」というものが起きるようになった。日本もターゲットになっていると言われた。しかし、いまだに日本をねらった「イスラム自爆テロ」は起きていない。
彼らも「師匠の国」は、やりにくいのである。仕掛けるにしても、最後にもってくるだろう。
 私は、これも「英霊の遺産」と思っている。