「Nスペ=中共プロパガンダ」への予防ワクチン

 中国人には共産党員も含めて共産主義の正統性を認めるものはいないらしい。「私有財産の廃止」を標榜した「中国の共産主義者ら」が、自ら資本家となって私腹を肥やす姿は、「羊頭かかげて狗肉(犬の肉)売る」を通り越して「クソを(食品として)売る」ようなのものだ。今日、中国の「貧富の格差」と「人権の格差」はおびただしい。「私有財産の廃止」の正反対で、日本の民主党の「詐欺フェスト」どころではない。
 
 中国共産党一党独裁の正当性がないので、反日教育(日本を中国大陸から追い払ったのはオレ達、中国共産党だ←ウソ)で「愚かな民衆」をあおっている。もう一つ、別の宣伝も始めた。
 
 中国政府は中華民族の統治の正統性として「夏王朝」を持ち出し、「我々は華夏の子孫である」と全土でキャンペーンを行っているのである。分裂しかねない国家を「華夏」という、考古学の成果をつまみ食いしてデッチ上げた新しい概念で必死に結び付けようとしているのだ。
 戦前の日本をまねたのだろう。日本は「大虐殺」が少なかった島国だから、「日本国民の先祖と本家は皇室である」と言っても、大きな間違いはない。しかし、殲滅戦(皆殺し)が普通で異民族の間で興亡をくり返してきた支那大陸では、そうはいかない。

 
 中国政府が自国民にどのような歴史観を植え付けるかは彼らの問題である。しかし、日本のNHKが「中国政府のプロパガンダ」を無批判に日本人に対して放映するhttp://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/55095978.html
のは我々日本人の問題である。

 仮に中国経済がこのままの勢いで成長すれば、10年後は日本の経済規模の2倍、20年には4倍になる。こうなってしまえば、日本は経済的にも政治的にも文化的にも中国に呑み込まれてしまうのは必至である。現に中国による「人口侵略」は始まっており、「軍事・産業スパイ問題」は報道されないだけだろう。日本の現行法制が、これらを許しているのだ。「日中友好」のインチキプロパガンダが、政治・マスコミ・教育ひいては国民に深く広く浸透している証拠だ。
 
中国は共産党が支配している限り、日本にとって脅威なのだ。
そんな「中国政府のプロパガンダ」をそのまま電波に乗せるNHKは、
中国共産党の一味と見て間違いはない。
 
 
日本国民として中国政府に直接モンクを言うことはできません。しかし、中共一味としてのNHKにはモンクを言うことができます。
NHKの「中共プロパガンダ」を見破るには、宮脇先生の話を聴いておくとためになります。
 
今夜もNスペがあるそうですが、その前に下の動画をどうぞ。
最初は雑談で、9:30あたりから本題に入ります。
 
 
 
手短にダイジェストします。
支那人日清戦争に負けて、日本が日露戦争に勝ったのを見た。
遅ればせながら、支那人は日本を見習って清朝末期に「近代化」を始めた。
でも、本当の事を言うのはシャクにさわる
本当の事を言ったら、反日の仕掛け人:中国共産党は永遠に日本に頭が上がらなくなるではないか!)。
そこで、毛沢東は(日本の良い影響を隠蔽するために)
アヘン戦争に負けてから支那の近代化が始まった」
ことにした。
 
そういうもんなのよ、「中国の歴史」って!
 
「現地主義」と言って、
現代中国の書いた
「中国人に都合好く書きかえたウソの歴史」を
そのまま翻訳して、日本の歴史教科書に載せて
「中国はこう言っています」
と書いている。
日本の歴史家が「中国のスポークスマン」してる
でしょ?
 
  
 傍証(「支那の近代化はアヘン戦争後からはじまった」と言うには、無理がある)
 文久元(1961)年、江戸幕府文久遣欧使節福沢諭吉は通訳として同行した。前年の咸臨丸での渡米後、二度目の海外出国である。
 ロンドンでは、清国からの留学生が諭吉らのホテルを訪ねてきた。彼は
「東洋の革新のためにはお互いに西洋文明を輸入する ことである」
と述べ、
「今の日本で洋書を読めてその意味を理解し、かつ教えられる人は何人ぐらいいるか?」
と聞いた。
     諭吉が
「正確には分からないが、日本国中ではおよそ500人はいるでしょう」
と答えた。
「清国ではいかがか?」
と問うと、相手は指折りしながら数え、
「11人にすぎない」
と嘆息した。
 
    諭吉は密かに思った。
 
日本は開国後わずか10年に満たないが、洋学(蘭学)は90年前の杉田玄白らによる『解体新書』翻訳から始まっており、緒方洪庵のように富貴や栄達を求めず、ひたすら「道のため、人のため」に、金にもならない洋学を志す人々が500人はいる。
 
  それに対して、清国は開国以来ほとんど100年余。その間  2回も外国と戦い、西洋文明の強勢ぶりを目の当たりにしながら、数億の国民中、洋学を志すものわずか11人とは。
彼らの英語は、単に茶を売るために"tea"の語を知るのみ、目先の金を得るためだけの英語に過ぎない。これでは進歩に遅れをとるだろう。
 
  付録
「日本から中国へ伝来した和製漢語
  この「中国から日本へ」の流れが大きく変わったのは19世紀後半である。1868年に明治の新体制に突入した日本は1881年には詔勅により1890年に議会を開催することを世に知らせたが、中国は1907年にようやく清朝が立憲の詔勅を出し、26年の遅れをとった。また、日本は1889年に大日本帝国憲法を発布したが、中華民国臨時約法は1912年の発布であり、23年遅れている。そして、清朝末期から中華民国初期にかけてのこうした流れを促進させたのは言うまでもなく清朝日清戦争での大敗北(1905年)である。
http://freett.com/nandon/lunwen1.htm
 
 
「もしも中国が日本から、日本が作った語彙を輸入しなかったらならば、毛沢東毛沢東思想を書けなかった。これは本当である。」
「最後に私(王彬彬)は言いたい。我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものだ。中国と西洋の間には、永遠に日本が横たわっているのだ。
http://www.catv296.ne.jp/~t-homma/dd040912.htm


 
私のコメント
 
 日本文明はおそらく戦国時代に支那文明に追いつき、鉄砲を自前で生産できるようになった戦国末期には支那文明を追い越したのだ。
1)秀吉とスペインが同盟して明を征服する案が破綻した。
2)直後に、秀吉はキリシタンを禁制にした。
これは事実である。
「明がスペインの支配下になれば、元寇以上の脅威となる。そうなる前に、外洋船を持たない秀吉は、陸路:朝鮮を通って明を征服しようとしたのが朝鮮出兵の動機である」という説がある。
江戸時代には蘭学が始まり、寺子屋も普及し、支那文明は水をあけられる一方だった。そもそも、数億の支那の民の9割以上が文盲・無学だった。
 
 明治になると、清国の北洋艦隊は日本にとって脅威になった。しかし、日清戦争になって、両者はようやく「この落差」に気づいた。日露戦争は、頑迷な支那のインテリにも「ギャフン!」と言わしめた。
 
 以来、支那人は日本への劣勢を挽回するために猛烈な宣伝戦をはじめた。
それが「反日」である。
 
 私は「中国数字はアヤシイ」と思っているが、「GDPで日本を抜いた」話で、最近は日本に勝ったつもりらしい。
>「許容性資産指数」という国連の評価基準を用いると、中国のGDPはいまだ日本に及ばず世界第三位だそうである。中国の「環球時報」(電子版、2012年6月30日付)がそれを自ら認めている。
しかし、軍事「攻撃力」と政治「宣伝効果」では、日本は負けている。我々は、それらを十分に研究すべきだろう。
 
「勝てるつもりになったシナ人」は、危険である。
勝てるつもりで、支那事変(日中戦争)を仕掛けてきたのだから・・・。
日本史では教師も知らないのできちんと説明しないが、
「抗日」とは、「日本との即時開戦」を主張する意見である。