慈悲心鳥

 尾崎喜八の紀行文集に『山の絵本』という本がある。
もう、だいぶ古い本である。
その中に、こんな話があった。

ちょうど今ぐらいの新緑の季節に、友人と山登りに行くのである。
山小屋に泊まった翌朝の会話である。

「昨晩は、ジュウイチがずいぶんよく鳴いていたね」

「ああ・・、しまいにゃ、山小屋の屋根の上に来てしきりに鳴くもんだから・・、
おかげで、死んだ子供を思い出して眠れなくなってしまった・・・。」
こんな話だった。
『山の絵本』を探して原文を紹介しようとしたが、見つからない。
代わりに、ネット検索で尾崎喜八のジュウイチに関するこんな文章が見つかった。
一名を慈悲心鳥と言われるジュウイチの声を聴いたのも思えば久しぶりのことである。
昔初めてこの鳥の「ジュイチイ・ジュイチイ」を聴いた奥秩父金峯山下の金山では、
夜明け前の宿のまわりで鳴きたてるその声の余りに激越で哀切なのに
何か東京の留守宅に変事でも起ってはいないかと、
愚かしい不安と焦慮とに悩まされたものである。
こんな文章も見つかった。
しかしジュウイチのあの悲痛な囀りは、私の幾多の山の思い出を呼び出した。
次第に切迫してくるあの鳴き方には、
山を降り、人気もない沢を伝って、今宵の宿を求めて急ぐ登山者の感傷に深く食い入る力がある。
それは何時も「早く帰れ、家へ帰れ」という促しのように私には聴こえた。
そしてしかも家へ帰ってあの声を思い出せば、それはまた幽逡な山谷へのいざないとなった。
 では、ジュウイチとはどんな鳴き方をする鳥なのだろうか。
近頃は、バードウオッチャーがよい画像を公開してくれるのでまことに助かる。
次のURLを押すと姿と鳴き声が分かる。


次に、目をとじて、声だけを聞いてみたい。

ジュウイチの声は、「激しい悲しみの記憶」を呼び起こすのだ。
これは、ホトトギスについても同様である。

キリスト教徒は鳥の声に「美や調和」を見いだそうとするようなのだが、
昔の日本人の美意識はこれとは違っている。

ジュウイチと同様、ホトトギスの声もけたたましいだけで、
とても美しいと呼べたシロモノではない。
小中学生が聞けば、「あんな声、どこがいいのかわからない」と言うだろう。


それにもかかわらず、万葉集以降の詩歌には、ゴマンとホトトギスが登場するのである。
万葉集4,500余首のうち、ホトトギスを歌ったものは鳥類最多の156首に上るそうだ。

子規とは、ホトトギスのことである。
当時の不治の病・結核に冒されて喀血した正岡子規は、
自らを「鳴いて血を吐くホトトギス」にたとえて
子規を名乗ったと伝えられる。

日本人は、激しい鳴き方をするジュウイチやホトトギスに、何を感じてきたのだろうか?

さて、この話に興味を持った方は、しばやんの次の記事にお跳び下さい。