日本はなぜ対米戦争をはじめたのか?

こう問うと、いろいろと論が出て、話はどうどう巡りすることが多い。
TEL QUEL JAPON 「日米諒解案 (3) 未完」に卓見があるので、少し読みやすく編集してご紹介してみたい。
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少し視点を変えて日米開戦前をみてみよう。

ゾルゲ事件ゾルゲ事件の捜査開始は「1940年6月27日」であったと記されている。
逮捕開始は1941年9月。
ゾルゲも尾崎も目的を達成したのだ。尾崎は国家の中枢に取り入って北進論を退け南進を決定することによって、日米戦争の導火線に火をつけることに成功し、ゾルゲはその情報を提供することによって対独戦の敗北からソ連を救い出したのだ。
日本国内では北進論者の松岡が排除され、南進が決定、対米戦争に取り込まれていく。

Handed by the Ambassador in Japan (Grew) to Mr. Tomohiko Ushiba, Private Secretary of the Japanese Prime Minister (Prince Konoye), 6 July 1941:この手紙はグルーから牛場友彦に手渡されたもので、
「まさか対ソ戦に突入するのではあるまいな、そうでないという確証を近衛自身から合衆国大統領に伝えて安心させられよ」
と言う内容。
グルーは松岡でなく牛場に渡している。理由はよくわかる。外務大臣松岡はすでに嫌われ者で蚊帳の外に置かれているからだ。
スターリンが知りたがっていたこと、ゾルゲが知りたがっていたことを、何故ルーズベルトが、日米交渉の真っ最中にこれほど異様に気にかけるのか?ルーズベルトの向こうにもゾルゲのようなソ連のスパイがいたからだ。

いま少し視点を変えて日米開戦前をみてみよう。

真の敵であるロシアを攻めさせず、いつの間にか日本を対アメリカ攻撃に走らせる、つまりゾルゲや尾崎達とホワイト達米国に巣くったスパイとは、同一目的で動いていたのだ。
日本が見据えていた敵は常にロシアであった、にもかかわらず日英米独国に巣食ったロシアのスパイ達が仕組んだ日米交渉という餌についふらふらと食いついたがために、はっと気がつくと罠にはまって、思いもよらなかった米国(真珠湾)に爆撃機を飛ばせていた。
比喩的にいうと、
穴を掘ったのはゾルゲ、
最終的に穴に突き落としたのはホワイトだと言えよう。

そもそもの餌である非公式の,出所を転倒させた,道に投げ出されたのも同然の日米諒解案は、箱に入れられ包装されあたかも両国で正式に諒解されたかのように装って帰国した松岡に提出された。
「本提案は米国の悪意七分善意三分」
と初見で胡散臭い餌であることを見抜いた松岡はさすが大日本帝国の外交官である。
すかさず矛盾点を指摘していく。
・・・・・・・

アジアの解放、安定した大東亜建設のために八紘一宇の理念の下、まず満州国を独立させた日本が結果として戦った戦争は大東亜戦争であった筈だ。その大日本帝国が何故広い太平洋でアメリカと戦争を始めてしまったのか。日本人はその問いを忘れてしまっている。
その意思も当初は全くなかったのに、何ゆえに真珠湾に向かって攻撃の口火を切ったのか、
日米交渉というペテンの餌に釣られて、
追い詰められパニックに陥った鼠として何故大猫に噛み付いたのか?
日本人はその問いを忘れてしまっている。

やれ松岡が諒解案を握りつぶしたから、
やれハルノートをたたきつけられたから。

松岡の構想は早々と無視され失脚させられているし、
何度も言うがハルノートは、国家がヒステリーを起こすような性質のものではない。
Strictly confidential, tentative and without commitment(極秘文書。試案にして法的拘束力無し。)と明記されている。一説にはこの一行がが何者かによって消されていたという説もある。たたきつけられて怒り心頭に達したと信じておられる方は、おそらく消されたものにしか接しておられないに違いない。
日米交渉という餌は最初から最後まで悪意ある虚偽の罠だらけなのだ。

日本人やアメリカ人にそれを気づかせてくれたのはずっとあと、
吉川光貞やウィルロビィの働きがなければ、
あるいはその働きを検証しない限りは、
催眠術のような日米交渉の実態
は理解できないだろう。

そして考えてみれば、
転向した元スパイだったElizabeth Bentleyや
Whittaker Chambersの告発
がなければ、全体像は全く解明できず、
ああでもない、こうでもないと、今よりももっと馬鹿げた推測が蔓延り、歴史の解釈は深い深い出口のないトンネルに進み続けて行っただろう。
ただ日米開戦に関するあらゆる文章の中で、
Elizabeth BentleyやWhittaker Chambers
を検証した上でのものが、日本にはあまりにも少ないのは残念に思う。

///////////追記:2011年10月25日/////////////
1941年7月に創設されたOSSの前身COIによって既に、戦後日本の占領プランがねられていたことが分かっている。
日米交渉などと他国の善意や信義に縋り付いて交渉しているつもりの開戦回避努力など、今から見ればだが、聞いて呆れる、たしかに日本は「よしよしとあやされている赤ん坊である」。
いつまでも、いつまでも「ハルノートを叩きつけられた」ので堪忍袋の緒が切れた、などという次元で思考している場合ではない。

ハルノートで挑発された訳ではなく、そのまえからずっと挑発され続けていた。
(軍艦の配備から見て、そしてアメリカの日本に対する利敵行為から見て、パールハーバー以前にすでに戦闘状態であったので、宣戦布告の必要はない、というたしかパール判事の発言があったと記憶している)
ルーズベルトと近衞の会談で、100%の譲歩をしても(ハルノートをのんだとしても)、戦争回避の可能性はゼロ。アメリカは先の先を読んで、戦後世界支配まで考えている。
アメリカとひと括りにしてもいいかどうかはわからないけれども)。
ハルノートは単に戦争準備完了のお知らせ、さあ、いらっしゃいという暗号であったと見たほうが良い。
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 以上は、TEL QUEL JAPON 「日米諒解案 (3) 未完」のサワリです。
下の方の「正論 2009年4月号 田中英道氏 論文」から松岡洋右関連と、時間順に読んだ方が理解しやすいでしょう。とにかく資料の山で、私も十分に理解してはいません。
ブログ主のBruxellesさんは、現在療養中で返事はできないようです。

まあ、要するに、アメリカには世界戦略があって、支那市場を得るにはとにかく日本が「目の上のたんこぶ」だった。一方、スターリンは欧州正面にヒトラーを迎えて、背後の日本が恐ろしかった。そこで世界に放ったスパイらに、ことある毎に日米戦争をあおらせた。「日米交渉」はスターリンが仕組んだ「日米戦争への疑似餌」である。尾崎やゾルゲやホワイトや・・、他にもイロイロといるんだろうが、日本外交の分岐点にソ連スパイが現れては、日本の鼻面をグイと日米戦争へもって行く・・。これで日本はにっちもさっちも行かなくなった。ルーズベルトは対日戦に異論はないから、「真珠湾のだまし討ち」でアメリカ議会とアメリカ国民をペテンにかける一芝居を打ち、日米やる気まんまんで戦争が始まった。
気がかりなのは日本のくせ者外交官・松岡洋右である。「コイツは、悪者にしておくに限る」と・・・。これに異論を唱えると、日本じゃ出世できねえんじゃないですかい?
誰がその元締めなんですかねえ・・。
今ちょっと多忙なもんで、分かる所は返事しますが、打てば響くという訳にはまいりません。


1933年12月8日・国際連盟の臨時総会に於ける松岡全権の演説
http://tpmania.txt-nifty.com/0911/19321208_matuoka.html
より、ちょっと長くなりますが抜粋。
「実は日本には今、聯盟が日本の立場を充分理解していないことを憤慨し、愛想を尽かしている多数の真剣な人々がおって、聯盟脱退論を唱えている。──最初から加盟したのが誤っているというのだ。このジュネーブに於て現に進行しつゝある事態のお蔭で、諸君が日本国内にかかる論者を生ぜしめたのだ。とはいえ、私が度々申上げているように、我が日本国民の大多数は今日なお聯盟の味方である。これまで忠実に留まって来たように、なお忠実に聯盟に留まろうとしているのだ。この点を別な角度から説明しよう。今日、日本は重大な危機に遭遇している。支那代表が如何に保証しようと、その反対に支那の現状は益々悪化しつゝある。 一言にして言えば日本は今日、東亜全体に通ずる脅威に直面している。しかも極東を救うために腕一本で闘っているのだ。
 ──極東に戦端を醸さんとしてでは断じてない。いな反対に平和の為にである。しかも我々は、ソヴィエット・ロシアを聯盟外に放置したまゝ、この状勢に直面しているわけである。
今、この冷静な事実を前にして、紳士諸君、ソヴィエット・ロシアも、米国も聯盟に属せず、また聯盟は今日完全なものでないという現実に立って、日本が聯盟規約になんら伸縮性を帯ばしめずして、これに裁かれることは絶対に不可であると諸君の前に言明することは、極めて常識的な判り切った話ではないだろうか?」

「──私はあえて言うのだ。今日なお我が国民には『制裁いつにても御座んなれ』の覚悟が出来ているのですぞ!
 それは何故か? 日本はそれが『今か、然らずんば永久』の問題であると信じているからだ。日本は断じて威嚇の前に屈服するものではない。日本は断じて制裁の下に屈従するものではない。日本は平気で制裁を迎えるつもりだ。何故なら、正しくとも、正しくなかろうともそれは、
 『今か、然らずんば永久』
 と信ずるからだ。しかも日本は正しいとあくまで信ずるのだ!」
「たとえ世界の世論が、ある人々の断言するように、日本に絶対反対であったとしても、その世界の世論たるや、永久に固執されて変化しないものであると諸君は確信できようか? 人類はかつて二千年前、ナザレのイエスを十字架に懸けた。而も今日如何であるか?
 諸君はいわゆる世の輿論とせらるゝものが誤っていないとは、果たして保証出来ようか?
 我々日本人は現に試練に遭遇しつゝあるのを覚悟している。ヨーロッパやアメリカのある人々は今、二十世紀に於ける日本を十字架に懸けんと欲しているではないか。
諸君! 日本はまさに十字架に懸けられんとしているのだ。しかし我々は信ずる。堅くかたく信ずる。わずかに数年ならずして、世界の輿論は変わるであろう。しかしてナザレのイエスが遂に理解された如く、我々もまた世界によって理解されるであろうと。」
松岡の予言の通りというか、日本が国際連盟で主張していた人種平等も実現し、欧米の植民地もほとんどすべて独立しました。松岡洋右も日本軍人も戦後の焚書や洗脳で非常に評判が悪いのですが、今の日本の政治家と比べたら覇気が違いますし、どれほど日本の国益のために尽くしていたかがわかります(PB生氏)。