ガダルカナル二題

 爆撃隊の護衛ゼロ戦パイロットとしてガダルカナル上空に達した坂井三郎は、こう書いている。
海面を俯瞰して、私は思わず、あっと叫んだ。
 見よ、海上を埋めて真っ黒に密集している敵の大船団!
数は数え切れない。その船団のまわりを十数隻の駆逐艦らしいものが、真っ白い弓形の航跡を引きながら走り回っている。日本の潜水艦を警戒しているのであろう。
 その碇泊している船団と海岸との間の海面が、数百条、数千条の白い縞模様で織りなされている。海岸との間を、アリのように往復している無数の上陸用舟艇の曳く航跡なのだ。これを見た瞬間、私は、〈戦争は負けだ〉と直感した。
イメージ 1
硫黄島 1945年2月19日 海岸に殺到する上陸用舟艇
 ―いま、ここに来ている船団は、これだけのものだけれども、すでにアメリカの物量は、この世界の果てまでも船団の架け橋をかけてきた。たとえいま、この架け橋を潰したとしても、明日はまた新しい橋がかけられているであろう。
押し寄せる物量の洪水を、素手で防ぐような努力を、われわれはしなければならないのだ!
ついにきたるべきものがきた!
 私はそう思って、あらためてまた、その海上一帯を見まわしたのである。この海を圧する大船団!私は素早くその数を目で追った。少なくとも、7~80隻はいる。自分たちの戦いの相手は、いまや敵の飛行機ではなくて、アメリカの物量だという感じが、胸にドキンとこたえた。
 私は少なからず気をのまれた形だったが、そのあいだに爆撃隊は、すでに爆撃進路に入っていた。目標をねらって定針している。高度4000mあたりに断雲がながれている。右上方の太陽が気になる。
イメージ 2
そのとき、突然、その太陽の中からこぼれ落ちるように、7,8機の敵機が降ってきた。
 熊蜂のようなずんぐりした胴体が、濃緑色に塗られ、翼の裏だけがピカピカと金属性の輝きを見せていた。
――あっ、グラマンだ。初めてみる宿敵グラマンの姿!
同じ海軍機ということだけで、私は無条件に闘志のたぎりたつのをおぼえた。
イメージ 3


 しかし、キスカ島撤退と同様に、日本軍の撤退作戦としては成功している。

ニミッツ提督は1943年4月17日の戦闘報告で、後悔の念をまじえながら書いている。
最後の瞬間まで、日本軍は増援作戦をしているように思われた。
  彼等の、計画を偽装させ、果断に敏速にこれを実行できた能力が、日本軍の残存部隊の撤退を可能にしたのである。米軍が日本航空部隊の攻撃および艦隊の部署についての真の目的を理解したのは、日本軍が引揚げを完了した2月8日になってからである。
  それ以前に計画を知っていたならばガダルカナル島の強力な部隊と南太平洋にある優勢な艦隊の力をもって、日本軍の撤退を潰滅的な敗走にかえることができたであろう。
日本軍の撤退気づかぬ米軍