【映像】敗戦後3年目・占領下の東京の表情  新橋と渋谷

この映像は、昭和23年11~12月に撮影されたことが後に判明する。この年の12月23日の皇太子殿下誕生日に、東條英機ら「東京裁判A級戦犯」が処刑された。そうした頃の映像である。

「劇訳表示」に
【映像】「戦後日本の風景・・・その美しさ」【海外反応】
 という記事があり、アメリカ人が撮ったらしい占領下の東京の街頭風景の映像が紹介されている。
その記事は次のような文章で始まっている。
thecleaner001
これは1940年代後半の映像
原爆投下からたった数年後にも関わらず、彼らの生活は通常状態に戻って行った
もちろん戦争の名残りは残ってはいるものの、清潔感と秩序を感じる
そして「前進していこう」って気風を感じる
 
間接引用先は、「劇訳表示」の 【映像】「戦後日本の風景・・・その美しさ」【海外反応】
           http://www.gekiyaku.com/archives/47878656.html
初めの文章は、間接引用先より。
間接引用先の動画では、映像を画面一杯に拡大できる。

【撮影者】Rchard Shore(リチャード・ショア)1940~50年代に活躍した写真家(間接引用先のコメントより)。

これから、【場所】と【時期】を推定します。
はじめ(1)00:01 平坦な地形に山手線らしい高架とガード。左上に「コヤマ理髪所」。
              東京の下町ではないか?
        00:14 右に番地表示「田村町二ノ十五」。  
             赤穂藩主「浅野内匠頭終焉の地・田村太夫屋敷」ゆかりの田村町は、昭和40
             年、西新橋に町名変更された。また、田村町交差点も西新橋交差点となった。
             しかし、現在の西新橋から山手線までは200m以上あって遠い。
        00:32  左・カメラ店の前にトラック(荷台に立つ二人、座る一人)。
        00:48  左「店装洋松美(ミマツヨウソウテン)」ののれん。右、電柱に「島津電話店」。
  2    01:13   左に「島津電話店」。右に「店装洋松美」。
        01:38  左のカメラ店の前にトラック(荷台に三人)。
              今来た道を、逆もどりしている。 
   3        02:19     姉妹らしい和服の若い女の左側(姉か?)が、ファインダーから覗かれているの
              に気づいたらしい。画面を一瞬 凝視すると視線をはずし、横道に逸れて行く。
                             カタギの女は、路上で見知らぬ外人になれなれしくすることは無かった。
                             今や、カタギの女は絶滅危惧種になって久しい。
                             この「姉妹」、いま存命なら90歳直前ぐらいだろうか。
       02:29     中央に「道玄坂百貨街」。
         02:38  右側は車道。
        【場所】3は、渋谷・道玄坂の北側の舗道を、坂を上りながら撮影している。 
   4        03:43  左に「コヤマ理髪所」。
        04:16  カメラ店の前にトラック(荷台に座る二人)。
        04:32   「店装洋松美」。
              1の場所を車道の反対側から撮影。1と同じ方向へ移動している。
          04:37     路面電車の番号「6」。
              都電6系統線(渋谷駅前-青山車庫-青山6丁目-南町-高樹町-霞町-材木町    
              -六本木-今井町-福吉町-溜池-虎ノ門-南佐久間町-田村町1丁目-新橋)。
               http://infoseek_rip.g.ribbon.to/id30006.hp.infoseek.co.jp/6keitou.htm
         【場所】1,2,4は、「現在の新橋駅から地下鉄銀座線が虎ノ門駅へ向かう上の道路」      
            に面した、現在の新橋二丁目と判る。「コヤマ理髪所」は、新橋二丁目交差点か。
         【時期】通行人の服装から、季節は冬。街路樹のプラタナスが葉を落としきっていない         
              ので(03:20)、11月下旬~12月中旬か。年は「1940年代後半」としか・・・・。
繁華街には米兵が多くいます(00:31、01:29、01:57、02:37、03:48)。00:31のカメラ屋(メバエ商会)の前の米兵夫婦と荷台に人が乗るトラックは、関係がありそうです。米兵が光学機器をトラックで運ばせるのか?米国製車も多い。米国製バス(00:10、03:18)。ジープ(00:22、03:28、03:31、03:35、03:58、04:15)。 

イメージ 1
都電最後の日(新橋付近) 昭和42(1967)年12月08日 


イメージ 2
昭和27(1952)年の渋谷西口。この辺りは、空襲で焼け野原になった。正面左のY字路の分岐点が現在の「109」。分岐点の左が道玄坂。分岐点の奥は、恋文横丁と呼ばれた。
                        http://www.uchiyama.info/oriori/insho/yokotyo/koibumi/

01:03の右上に、ススが付いたらしいビルはありますが、空襲の跡が残るビルや半焼の木造民家も見えないのは不思議です。復興が急ピッチで進んだのでしょう。
こんな↓具合に。
 この時代の日本はGHQ占領下にあって、日本は独立国ではありませんでした。
朝鮮戦争(1950年)はまだですが、人々の顔には緊張感があります。

参考
「【貴重すぎる】占領時代、米軍の日本での行動が赤裸裸に記録されていた」
「赤裸々」とは言っても、頻発した米兵の強姦事件は出てこない。米兵より始末が悪いのが、オーストラリア兵だった。さすがに犯罪者の子孫だけはある。

 2016年3月15日追記 この映像の正体が判明しました。
アメリカの「東京ジョー(Tokyo Joe)」という35mmの劇映画がある。昭和23(1948)年秋に撮影して、昭和24(1949)年に公開された。
 この映像は、撮影チームが撮ったスクリーンプロセス用フィルムがyoutubeに流出したもの。
 ↓のURLに「東京ジョー」の解説があり、そこにある一番下の動画がここで紹介した映像に一致します。

結論のまとめ
【撮影者】 Rchard Shore(リチャード・ショア)ら、「東京ジョー」撮影隊のセカンドユ  
       ニット(予備チーム)
【もの】   「東京ジョー」のスクリーンプロセス合成用35mmフィルム
        実景の未使用カ­ット
【時期】   昭和23(1948)年11~12月
【場所】   1,2,4.:現・東京都港区新橋2丁目 新橋2丁目交差点周辺
        3.           :現・渋谷区道玄坂2丁目 道玄坂北側舗道

表題は後から変えましたが、終戦後3年ちょっとの光景とは、おどろきです。
撮影地に焼け跡は避けたにしても、戦禍の跡はほとんど見られません。



その後の参考資料