WGIPが標的としたもの
WGIP(War Guilt Infomation Program ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)「戦争に対する罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」が標的としたものはなんだったのだろうか?
国民の記憶
ミッドウェイの敗戦や秘密兵器の戦艦大和が広く知られていた訳ではないが、戦局についての実感
はあっただろう。 入営記念
ミッドウェイ飛龍撃沈さる ガダルカナル島
サイパン島陥落 学徒出陣
沖縄特攻
ミズ-リ号上 降伏調印使節団
空襲による民間人の死者
図には軍直属軍事工場における犠牲者は含まれていない。例えば、豊川市(愛知県)では8月7日午前10時過ぎ豊川海軍工廠がB29爆撃機の大編隊による空襲を受け、派遣兵120名・動員学徒452名を含む工廠関係者2,500名以上の犠牲者を出した。その他、工廠周辺にも被害が及び、在宅中の児童21名、入学前の幼児22名を含む市民113名が犠牲となった。工廠関係の犠牲者は、豊川海軍工廠が直属の軍工場のため戦死として扱われ、軍人以外の犠牲者も海軍軍属として扱われたので、500人以上の民間人犠牲者を扱った上図には掲載されていない。東京新聞大図解「空襲被害」(2015年8月2日)に掲載された山辺昌彦氏(東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)による解説文を以下に引用するので参照されたい。
「米軍など連合国軍による空襲は、日本の軍事施設を破壊するとともに、国民の戦争継続の意欲をくじくことによって日本を降伏させようとの狙いがあった。本土空襲の初期は、飛行機工場が第一目標であり、それができない時は第二目標として産業都市とみなした市街地を空爆した。工場爆撃の巻き添えを含め、民間人に被害が出ており、軍事施設だけでなく民間施設をも狙う無差別爆撃が、すでに始まっていたといえる。
これが大きく変わるのは、1945年3月10日の東京下町大空襲からである。米国は一年前から、都市の最も燃えやすい人口密集地域を目標に設定し、木造家屋を効果的に焼く油脂焼夷弾を開発し、大型で航続距離の長いB29爆撃機とともに大量生産していた。
これらがそろった3月に都市を焼き尽くす空襲を始めたのである。単に無差別攻撃というより、民間人を主な標的とした空襲だった。 出典: http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5226e.html
「米軍など連合国軍による空襲は、日本の軍事施設を破壊するとともに、国民の戦争継続の意欲をくじくことによって日本を降伏させようとの狙いがあった。本土空襲の初期は、飛行機工場が第一目標であり、それができない時は第二目標として産業都市とみなした市街地を空爆した。工場爆撃の巻き添えを含め、民間人に被害が出ており、軍事施設だけでなく民間施設をも狙う無差別爆撃が、すでに始まっていたといえる。
これが大きく変わるのは、1945年3月10日の東京下町大空襲からである。米国は一年前から、都市の最も燃えやすい人口密集地域を目標に設定し、木造家屋を効果的に焼く油脂焼夷弾を開発し、大型で航続距離の長いB29爆撃機とともに大量生産していた。
これらがそろった3月に都市を焼き尽くす空襲を始めたのである。単に無差別攻撃というより、民間人を主な標的とした空襲だった。 出典: http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5226e.html
兵隊が戦場で戦死するのは仕方がないが、非戦闘員を殺傷するのはハーグ陸戦条約違反である。その他、艦砲射撃など、日本の民間人を大量に殺傷したのは米軍を置いて他に例を見ない。焼夷弾を大量にばらまくB-29の映像はアメリカの戦争犯罪の証拠であるが、現代の日本人はこれを台風かなにかの自然災害であるかのように平然と見て、アメリカ人の意志による虐殺行為であると気づこうとしない。まさしく、WGIPにヤラれている。
突然の事なので驚いております。
政府がいくら最悪の事態になったと言っても、
聖戦完遂を誓った以上は、犬死にはしたくありません。
敵は「人道主義」「国際主義」等と唱えていますが、
日本人に対してしたあの所業はどうでしょうか。
数知れぬ戦争犠牲者のことを思って欲しいと思います。
憎しみを感じない訳には行きません。
きのう、伊勢崎町(横浜)に行って、初めて彼らを見ました。
彼らは得意気に自動車を乗り回したり、散歩したりしていました。
橋のほとりにいる歩哨は、欄干に腰を下ろして、腰にかけた小銃をぶら下げ、
チューインガムを噛んでいました。
こんなだらしのない軍隊に負けたのかと思うと、くやしくてたまりません。
江藤淳(1990)『閉ざされた言語空間』より
当時の日本人が、戦争と敗戦の悲惨さを、自らの邪悪さがもたらしたものとは
少しも考えていなかったと言う事実がここに示されるであろう。
数知れぬ戦争犠牲者は日本の邪悪さゆえに生まれたのではなく、
米軍の殺戮と破壊の結果生まれたのである。
憎しみを感じるべき相手は、日本政府や日本軍であるよりも、
まずもって当の殺戮者・破壊者でなければならない。
当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。
そして、このような視点から世相を眺める時、日本人は学童と言えども、
戦死した兵隊さんの視線を肩先に感じない訳には行かなかったのだ。
つまり、ここでは生者と死者、生きる者と死ぬ者とは、ほぼ同一の光景を共有・・・・。
広島に救援に入った軍隊は、被爆者にこう言われた。
「兵隊さん、かたきを取って下さい!」
日本軍は「天皇の軍隊」と言われたが、「国民の軍隊」でもあった。
横須賀の米軍慰安所RAA 引き揚げ船 ギブ・ミー・チョコレート 引き揚げ船を迎える婦人会
米政府、GIへの指導「子供らがいたら、積極的にチョコレートやチューインガムをやれ」
「アメリカがいかに素晴らしいか」の宣伝行為だった。
サンフランシスコ・シールズ来日 神宮球場 フルブライト・アメリカ留学
そう言えば、戦後は軍隊の悪口を言うのが流行った。「軍隊」とは、日本軍のことである。日本軍の悪口を言うのが、日本のインテリの証しであるかのような風潮だった。
ある時、友人の父親が言った。
「あんなのはウソだ。あんなに本当にイジメたら兵隊は付いて来ない。俺たちゃ、兵隊連れてシャバに飲みに出たもんさ。ドンチャン騒ぎやって、門限に遅れりゃ兵営の塀を乗り越えるのさ。見つかりゃオオゴトだが、な~に、『アイツら、またやってやがる』でなんとかなったもんだ」
『青い山脈』は、宿命からの現実逃避だった。その奇妙な楽天主義とナイーブさは、まさに生半可ではない。これが、「戦後理想主義」の姿だった。その裏には、「反戦」と結びついた社会主義礼賛の風潮が隠されていた。こうして、戦後の日本人は人生と世界の本質を見る上で不可欠な座標軸を見失い、世界と人生が理解できなくなって行く(中西輝政)。
そして、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)「戦争に対する罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」は、目的を達した。
心理カウンセラーの仕事で集団カウンセリングをしている時に、その原因を突き止める様なカウンセリングをしていくと、10人いたうちの4人の方が、さっき先生がおっしゃっていた様な、
【War guilt information program】つまり「日本は戦争で悪いことをしたんだ」ということが 元々の精神問題の根底にあることがわかったんですって。
それでその方もはっとして、
「ひょっとすると多くの日本人の悩みの根底には、戦争犯罪・自己否定・先祖の否定があるのではないか」ということで調べておられるってことだったんです。」
私のコメント
WGIPが標的としたものは、「日本人としての自信と自主性」だと思いますね。戦後教育を受けた日本人は、特に学歴が高いほど「日本人としての自信と自主性」を奪われていると思います。そこで、彼らは架空の「国際人」なるものをめざすことになるのでしょう。
私も自己否定的な傾向に悩まされてWGIPにこだわってきましたが、先祖調べの方面から乗り越えられたと思っています。日本人は素直で真面目で学習意欲があるから、洗脳されやすいんですね。戦後教育は、WGIPに沿ってきました。アメリカは、二匹目・三匹目のドジョウをねらってイラク・アフガニスタンで仕掛けて、失敗したそうです。
アメリカのような、歴史の浅い、インディアン殺しの前科者が造った国に洗脳されるのは苦々しい思いです。
続きは、こちら。