昭和7(1931)年「一目でわかる漫画世界現状地図」(新潮社)

「一目でわかる漫画世界現状地図」
昭和7(1931)年9月1日(新潮社 刊)
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挙国一致内閣の斉藤首相、農村救済に頭を悩ます。
昭和7年は、東北地方の冷害と昭和恐慌が重なって大変でした(「青文字」は、「私のコメント」です)。
宇垣大将、内地の政局に目を光らす。
朝鮮総督宇垣一成。政治力があったのか、期待されていたのか・・?
日本委任統治の諸島。南洋庁がある。ただし、全面積は神奈川県にも及ばない。
 ワシントン
ドルの国・アメリカはドルがあり過ぎて不景気だとある。フーバー大統領も、赤字の悩みに四苦八苦だ。公約の禁酒法案もだんだんぐらついて来た。酒の密売でウンと儲けた夜の大統領アル・カポネは檻の中から首を出して笑っている。
イメージ 2フーバー大統領は世界恐慌に有効策を打ち出せず、
一期で退任した。
後任はF.D.R.ことルーズベルト
 ルーズベルト大統領は、現在のアメリカでは評判が良い方だ。その理由は、
1)世界恐慌から抜け出してアメリカ国民に職を与えたこと
2)アメリカを世界帝国にしたこと
である。
世界恐慌から抜け出したのは、「彼のニューディール政策が成功したから」と長い間ごまかしてきたが、日本を挑発して真珠湾攻撃をさせることで第二次世界大戦に参戦したことが理由と、明らかに言われるようになった。2)も同様である。
 ルーズベルトスターリンチャーチルヤルタ体制を作った。今日の「歴史修正主義」とは、「ヤルタ体制に異議申し立てする者」への非難に使われる。

それは、ルーズベルトチャーチルが起こした戦後世界の混乱の真因から目をそらさせたい歴史家や政治家がいるからだ。「アメリカやイギリスの兵隊が多く戦死したのは、スターリン共産主義の拡大に利用されただけだ」とは、決して言えない。

なぜアメリカはルーズベルト批判を許さないのか?
要は、ルーズベルト外交があまりに愚かすぎ、これを批判されてしまえば、アメリカ外交は根底から破綻することは間違いないからだ(渡辺惣樹)。
日米の開戦は到底避けられない運命だと論者は盛んに叫んでいる。とにかく世界の視聴は挙げて太平洋に面したこの二大強国の軍備に注がれている。その矢先、米国は本年五月、太平洋・大西洋両艦隊合同の大演習を日本を仮想敵国として大々的に行った挙げ句、米国海軍軍令部長プラットウィリアム・プラット大将は、大西洋艦隊全部を挙げてその根拠地を太平洋岸に置く事を命じ、事実上大西洋艦隊を廃して太平洋艦隊に合併してしまった。これが日本に備えるのでないとは誰が云えよう。
 ハワイ
太平洋の楽土・ハワイも最近日米間の政局の緊張の折柄、なぜか物情騒然たるものがある。特に真珠湾の軍備の充実なぞ、何となく妙に興奮させられる。
 フィリピン
太平洋争覇戦の場合、アメリカの東洋根拠地となるフィリピン諸島アメリカ官憲は、近頃日本人の増加を大いに恐ろしがっている。
シンガポールの軍港・イギリス海軍の根拠地。大規模の砲台、5万トンの巨鑑も自由に出入りのできる浮きドックを備えて、東洋問題の万一を用意す。
 こうして見ると、アメリカ海軍は日米戦争をやる気まんまんである。
2011年刊で、邦訳は2017年刊の元大統領:ハーバート・フーバー『裏切られた自由』によれば、フーバーは「日米は開戦すべきでない」と考えていた。
フーバーは知日派ではなかったが、このような軍部の動きを懸念するには至らなかったと見ることができる。
五ケ年間であらゆる国内の産業を極度に振興させ、文化の施設も完備させようという。いわゆる五ケ年計画はすこぶる良好だという。
 この言い方は伝聞調だけだ。当時、世界恐慌に苦しんでいた資本主義諸国では、ソ連の五カ年計画は「計画経済」の成功と受け取られ、多くの社会主義者がそこに希望を見いだした。しかし、五カ年計画の実態はほとんど知られることがなく、むしろ世界恐慌に巻き込まれなかった社会主義国、そしてスターリンの勝利と受け止められていた。つまり、日本では、ソ連の実情は知られていなかった。
  マンガを見てもソ連の民衆はみな楽しげで、戦前の日本人(特にインテリ)がソ連の宣伝にすっかりダマされていたことが分かる。ソ連の実態が分かったのは、「ソ連崩壊」の後だった。
1932年から1933年の極寒の冬の間、カガノーヴィチによって作り出された大飢饉により、強烈な数字が上がった。ウクライナ人は見つけられるものは、ペット、皮ブーツ、皮ベルト、木の皮、草、根に至るまで何でも食べた。食人が普通の事になった。子供を食べる両親もいた。
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通りで横になり、死んでいくウクライナの人々。「行き倒れはザラだった」と分かる。
スターリンは第二次大戦中の会談で、チャーチルに対して1930年代に農業の集団化を達成するために一千万人に上る非協力的農民を殺害せざるを得なかったことを認めている。
  支那
 一方、支那は内戦状態で国家の態をなしていなかったことは、よく知られていた。
 英領インド
 ガンジーが、イギリス官憲を振り回している様子が描かれている。
戦前・戦後を通じて、インド独立にガンジー国民会議派が功績があったように日本では受け取られてきた。これは、連合国側、特にイギリスの宣伝によるものらしい。しかし、今日ではチャンドラ・ボースインド国民軍起爆剤になったことが知られている。
インド国民軍の「初陣」が、かのインパール作戦だった。
日本人は、「インパール作戦の世界史的意義」を戦後70年余りを経て、世界に最も遅れて理解するようになったのである。


1932年の世界情勢を描いた日本の絵地図が面白い 海外の反応